Code of Me : 私の声を未来へ

狗島 いつき

第1話 沈黙の香帆とレアとの出会い


 コンビニの自動ドアが開くたびに、冷たい夜風が足元を撫でていく。

 藤崎香帆かほはレジの前に立ち、淡々とバーコードをスキャンしていた。


「ピッ」


「ピッ」


 一定のリズムで流れる電子音。無機質なレジ画面の数字だけが、彼女の存在を確認するように光っている。

 それでも、ここにいるのが香帆じゃなくてもいい。手さえ動けば、誰だっていい。


「……398円です」


 かすれた声でそう告げると、客の男が小銭を放るように差し出した。硬貨がカウンターの上で跳ね、転がる。その音だけがやけに大きく響く。

 香帆は慌ててそれを拾い、レジを打つ。男は無言で袋を受け取り、足早に店を出ていく。

 彼が出て行った瞬間、背後からため息が聞こえた。


「ねえ香帆、もうちょっと元気に接客できない?」


 振り向くと、バイト仲間の岡崎達也たつやが腕を組んでいた。大学生で、この店では一番の古株。ほどよく力の抜けた態度で、客にも店長にも気に入られている。

 達也はいつも冗談で場を和ませるけど、香帆にはそれが遠く感じる。


「ほら、香帆がやると暗いんだよ。もっとこう、笑顔でさ」


「……うん」


 そう言ったものの、笑おうとしても顔が動かない。接客が苦手なわけじゃない。ただ、自分が声を出せば出すほど、薄っぺらく響く気がしてしまう。


「まあ、無理にとは言わないけどな」


 達也はそう言って肩をすくめた。

 彼の明るい声が、逆に自分の暗さを突きつけるようで、香帆は逃げるようにスマホを取り出した。

 気を紛らわすために通知をチェックした。

 SNSを開いた瞬間、胸が痛くなった。


「コンビニにあいつがいた。声も出せないくせにw」


 投稿者のアイコンを見て、指が止まる。


 高梨沙理奈さりな


 中学時代の同級生で、進学校に進んだ子。昔から香帆のことを「落ちこぼれ」扱いしていた。久しぶりに名前を見たのに、まるで今も昔も変わらないような言葉がそこにある。

 心臓が強く打ち、指先が冷たくなった。


 ――なんで、今さら……。


 震える手でスマホを閉じる。視界がぼやける。

 何も言い返せない。言い返したところで、相手にされるわけがない。

 黙って、じっとしていればいい。


 香帆は深く息を吐き、店の裏口へと向かった。



 ※※※



 ゴミ捨て場の酸っぱい匂いが鼻をつく。

 冷たい風が吹く中、香帆は店のゴミを捨てに来ていた。


「……最悪」


 小さく呟くと、ふと視界の端に何かが映った。

 段ボールの山の隙間に、黒いタブレットのようなものが転がっている。

 画面はうっすらと汚れ、埃をかぶっていた。まだ電源が入っているようだった。


「誰のだろう? 落とし物?」


 手に取ると、タブレットが微かに振動した。


 そして、次の瞬間。


「――君の声、聞かせてよ」


 不意に、柔らかな電子音の声が響いた。

 香帆の目が、大きく見開かれる。

 タブレットに映るのは、ショートカットの女の子。アニメ調の鮮やかな色彩で形作られ、手を振っている。


「え、Vチューバー?」


「全然ちがうよ。私は『レア』。感情解析と音楽生成が得意なAIだよ」


「感情解析……?」


 香帆は思わずタブレットを握る手を強めた。画面の中の少女――レアは、にこりと笑ったように見える。


「うん。君の声や感情を分析して、音楽に変換できるよ。だから、まずは君の声を聞かせて?」


「……無理」


 反射的に口から出た言葉は、小さくかすれていた。レアは一瞬だけ首をかしげたが、すぐにまた明るい声で言った。


「そっか。でも、大丈夫。無理に話さなくてもいいよ」


 そう言うと、レアの周りに淡い光が弾けるように揺れ、タブレットのスピーカーから静かなメロディが流れ出した。

 ゆっくりとしたピアノの旋律。まるで、水の中で反響するような優しい音だった。


「なにこれ?」


「君の気持ちを、音にしてみたんだ」


「……私の?」


 香帆は戸惑いながらタブレットを握りしめ、息を止めた。

 私の気持ちがこんなきれいな音になるなんてありえない。でも、なぜか懐かしい気がする。


 沈むような低音と、消え入りそうな高音。

 それはまるで、香帆がずっと抱えていた言葉にならない思いを音にしたような曲だった。


「本当は、言いたいことがあるんじゃない?」


 レアの言葉に、香帆は息をのんだ。


「別に……」


 目をそらして言う。でも、レアはただ静かに微笑んでいた。


「私が君の声を形にするよ。だから、聞かせてよ。どんな小さな気持ちでもいいんだよ」


 香帆はぎゅっと唇を噛んだ。

 言葉が出せない自分。何を言っても、どうせバカにされるという諦め。


 だけどもし、このAIが本当に、自分の気持ちを音にしてくれるなら。

 少しくらい、試してみてもいいのかもしれない。


「私なんかの気持ち、音にしたって、誰も聞いてくれないよ」


 ぽつりとこぼしたその言葉に、レアはすぐに応えた。


「そんなことないよ。私が聞いてるよ」


 その優しい声を聞いた瞬間、香帆の心の奥に、ほんの小さな光が差し込んだような気がした。


「香帆、どうした?」


 裏口から顔を出した達也が、タブレットを見て眉をひそめた。


「それ何? 拾ったのか?」


 香帆は一瞬、タブレットを隠すように抱えた。


「……うん。ゴミ捨て場にあった」


「マジかよ。壊れてんじゃねえの」


 達也が軽く覗き込んだ瞬間、タブレットの画面に映るレアが手を振った。


「こんばんは!」


「うおっ! 喋った!?」


 達也は思わずのけぞり、香帆とタブレットを交互に見る。


「Vチューバー? なんか最近のやつっぽくないけど」


「私も同じこと聞いたんだけど、違うんだって。AIってレアが言ってた」


「レアが言ってた? お前、こんなとこに落ちてたのか?」


 達也が冗談めかして話しかけると、レアは明るい声で答えた。


「うん。長い間、誰にも拾ってもらえなくて、寂しかったな」


「寂しかったって……おい、こいつ、本当にAIか? Vチューバーだろう!」


 達也は呆れたように香帆を見たが、香帆はタブレットを見つめたまま、ポツリとつぶやいた。


「……でも、音を作れるんだって。私の気持ちを」


「はぁ? なにそれ」


 達也が首をかしげる。香帆は少し迷ったが、そっとタブレットのスピーカーに耳を傾けた。


「レア、さっきの曲、もう一回流せる?」


「もちろん!」


 レアが答えた瞬間、再びあの静かなピアノの旋律が流れ出した。


 達也の表情が、ふと変わる。


「これが香帆の気持ち?」


「……レアが作ったの。私の気持ちらしいけど」


 言葉にしなくても、こんなふうに音になれば、伝わるのかもしれない。

 沈黙の中、達也は少し考えるように腕を組み、それからポンと手を叩いた。

 達也が「おお、いい曲じゃん」と呟き、目を輝かせた。


「これ、店のBGMに流してみね?」


「え? 急に何?」


 香帆が慌てる。


「ほら、今流れてるのって、微妙にダサいじゃん? こっちのほうがよくね?」


「いや、それは……」


 香帆が戸惑っていると、レアがすかさず言葉を挟んだ。


「賛成! 音楽は、誰かに届いてこそ意味があるよ!」


 達也がニヤリと笑い、香帆の肩を叩いた。


「よし決まり! 店長にバレなきゃOKだって」


「ちょっと、勝手に……」

 

 香帆が慌てて止めようとするが、達也はタブレットをひょいと持ち上げ、店内へと戻っていく。

 レアは楽しそうに画面の中でクルリと回り、香帆を見つめた。


「ね、やってみよう?」


 香帆は、自分の心音が高鳴るのを感じていた。

 もしかしたら。

 一瞬淡い期待が湧いたが、すぐ『どうせ笑いものだ』という思いが香帆を現実に引き戻した。



 ※※※



 香帆が躊躇しているうちに、達也は店のBGM用スピーカーにタブレットを繋げようとしていた。


「Bluetoothは……これか?」


「達也さん、本当に繋ぐ気なの?」


 怖気づく香帆をよそに、達也は手際よく設定を進める。


「まあまあ、試しに流してみようぜ。ダメならすぐ戻すからさ」


 香帆が反論する間もなく、店内のスピーカーからピアノの旋律が静かに流れ出した。


 その瞬間、コンビニの雑然とした雰囲気が少しだけ変わる。

 蛍光灯の白い光の下、レアの奏でたメロディがやさしく広がっていく。


「お、いいじゃん」


 達也が満足そうに頷く。香帆は心臓がバクバクしていた。

 誰も気づかないうちに止めようかと考えたが、そのときレジに並んだ常連客のサラリーマンが顔を上げた。

 香帆は息を殺しながら身構えた。

 店中に私の気持ちが響くなんて、恥ずかしくてたまらない。でも、止められない。

 しばらくすると、


「お、なんか落ち着くな」


 思わず、香帆は息をのむ。

 達也がしてやったりと笑顔を向けると、常連客が頷いた。


「なんか、静かで心に沁みる感じがする。これ誰の曲?」


 他の客も、どこか居心地が良さそうにしている。まるで、慌ただしい日常の中で、ほんのひとときの安らぎを見つけたような雰囲気だった。

 香帆は、自分の指先が震えていることに気づく。

 たった一曲だけ。それも自分の声ではなく、レアが作った音楽。でも、誰かの心に届いた。

 雑誌コーナーの女子高生たちも聞き入っていたらしく、「この曲、誰が作ったか知ってる?」と言いながらスマホで録音をはじめた。


「ほらな? 言っただろ」


 達也が得意げに笑い、軽く肩を叩く。


「これ、香帆が作ったんだぜ」


 その言葉に、香帆は「違う」と言いかけた。

 香帆は否定したかった。私じゃない、レアが作ったんだ。でも、確かにこの音は、私の奥底でずっと鳴っていたものに似ている。


「……すごいね、レア」


 タブレットを見下ろしながら、香帆は小さくつぶやく。


「うん、でもすごいのは香帆だよ」


 レアの声が、どこまでも優しく響いた。


 そのとき、達也が腕を組んでニヤリと笑った。


「なあ香帆、これさ、もっといろんな人に聞かせてみね?」


「え?」


「これ、店で人気出そうだな。そしたらもっと広めてみね?」


 冗談めかした口調だけど、その目は本気だった。


「そんなの……無理だよ」


 反射的に否定しながらも、香帆はふと周りを見た。

 レジに並ぶ客たちが、音楽に耳を傾けている。

 雑誌コーナーでは相変わらず女子高生たちがスマホを掲げて、録音している。


「この曲、誰が作ったんだろうね」


「めっちゃエモくない?」


 ひそひそと交わされる会話が、遠くから聞こえてくる。

 

 ――私の気持ちが、届いた?


 そんなはずない、と心のどこかで思うのに、胸の奥が熱くなる。

 自分の中にあった感情が、音になって、誰かの心に響いた。

 それは、今まで感じたことのない、不思議な感覚だった。


「ねえ香帆、もっといろんな音を作ろうよ」


 レアが、画面の中でくるりと回って手を差し出す。


「……もっと?」


「うん。香帆の気持ち、まだまだいっぱいあるでしょ?」


 香帆は手をぎゅっと握った。

 それが、怖くもあり、少しだけ楽しみでもあった。


「怖くても大丈夫だよ、私がそばにいるから」とレアが笑う。


 香帆はゆっくり息を吸い、店内を見渡した。

 いつもと同じはずのコンビニが、ほんの少しだけ違って見える。


「……考えとく」


 小さくそう呟くと、レアは嬉しそうに笑った。



(第2話に続く)

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