第2話
タクシーが、静かにブレーキを踏んだ。
「目的地に到着しました」
合成音の案内と共に、私は窓の外に目を向ける。そこは、古びた建物の間に挟まれた細い路地だった。
長く放置されたマンションと、看板が外れたままの廃業店舗。昼間でも陽がほとんど差し込まないこの一帯は、夜になるとまるで時間の流れから切り離されたかのような沈黙に包まれていた。
人の気配はなく、風すら止まり、都市の鼓動が遠く感じられる。タクシーのドアが自動で開き、ひんやりとした夜気に身を晒す。
端末のライトを点け、座標が示す正確な地点へと足を運ぶ。足元には割れたガラス瓶や湿った紙くずが散らばっていた。
この場所は、都市の記憶から抜け落ちた影のようだった。
──いた。
路地の奥、粗大ゴミの山のそば。誰にも気づかれず、まるで役目を終えた機械のように投げ捨てられていたその存在に、私は息を呑んだ。
白い肌。だが、部分的に焦げ付き、人工皮膚は剥がれかけている。紺色の髪は埃にまみれ、頬には乾いた泥が貼りついていた。片腕は不自然に折れ曲がり、脚部の接合部は破損していた。
伏せられた顔の胸部──装甲の隙間から、微かに光が明滅している。
弱い。今にも消えそうなそれでも確かに「生きている」と伝えてくる光。
「……信号の正体、キミ……?」
私はそっと膝をついた。彼の顔は半分がむき出しの回路に覆われており、表情はほとんど読み取れなかった。
だが、閉じたまぶたの奥に、確かに“誰か”が宿っていると感じた。──夢で聞いたモールス信号、そして示された座標。すべてが、この暗い路地裏の片隅へと私を導いていた。
偶然じゃない。
私を“呼んだ”のは、彼だ。
私は端末を操作し、再びタクシーを呼び出して運搬モードを起動する。ほどなくして、白い車体が路地の入口に滑り込んできた。無言のまま後部ハッチが開き、運転AIが状況を即座に認識する。
私は彼の身体を慎重に抱き上げた。軽い。単に損傷していてボディの重量が軽くなっているだけなのだろうが、この重さには、名前も、記憶も、未来も──何ひとつ、今は宿っていない。
それでも私は、彼をここに置いていく気にはなれなかった。車内に戻り、彼を膝の上に横たえる。薄く開いた唇。その形が、何かを言いかけたまま止まっているように見えた。
「大丈夫。もう一度、目を覚まさせてあげるから」
その言葉が彼に届いたかは分からない。けれど、胸の光が一瞬だけ、強く瞬いたように見えた。
タクシーは静かに発進する。夜の街の明かりが流れゆくなか、私は知らず、彼の手をそっと握っていた。
──彼は、私の何を知っているのだろう。
私は彼の、何を思い出すのだろう。
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