あなたがわたしにくれたもの

さわらに たの

第1話 あなたがわたしにくれたもの


「きみは、幸せだったかな」


 


 陽の差す窓辺に、小さな段ボールの箱を置いた。


 中には、あたしの大切な家族――茶色い毛並みの小柄なウサギ――チョコが、静かに眠っている。


 寝ているみたいだけど、もう息はしていない。

 

 先生には最初の検診の時から言われていた。

 「生まれつき腫瘍がある子がいて、この子がそうです」って。

 だから、普通よりもちょっと早いお別れは覚悟してた。

 でも、その分――誰よりも幸せなウサギにしてあげたかった。



 ふわふわで、あたたかくて、かわいくて。

 初めてきみを抱き上げた日のこと、今でもはっきり思い出せる。


 ちいさな鼻がひくひくしてて、瞳はくりくりで、胸の奥がぎゅうっとなった。

 「なんて可愛いんだろう!」って、あたし、何度も叫んだよね。


 それから毎日、きみはあたしに新しいことを教えてくれた。


 ウサギって、おとなしくてお利口なイメージだったけど――

 あたしの服や、敷いたばかりの布団をかじって穴をあけて、飛び跳ねて。

 「乱暴者だなあ」って言ったら、きみは耳を後ろに倒して、知らんぷりしてたっけ。


 人参を出したとき、葉っぱだけ食べて肝心の赤いところは残してたよね。

 「ウサギってにんじんが好きじゃなかったの!?」って、ほんとうに驚いたよ。


 春になって少し暑くなった日、部屋の隅でぐったりしてたから、エアコンの温度を下げた。

 冬には寒さでブルブル震えてたから、私には暑いくらいに暖かくした。


 きみは、暑いのも寒いのも苦手で、

 でもそれを声に出して教えてくれることはなかったから、

 あたしが、気づくしかなかった。


 気づけないことも、たくさんあったかもしれない。

 でも、できるだけ、きみの快適な場所をつくってあげたかったんだよ。



 今、こうしてきみの顔を見てると――

 まるで何も苦しんでいなかったみたいに、安らかな顔をしてる。


 お別れは、やっぱりつらいけど、あたしはね、ちゃんと伝えたいんだ。

 きみと一緒に生きられて、ほんとうに、しあわせだったよ。


 朝起きたらきみがいて、夜眠る前に「おやすみ」って言って、

 それがあたりまえだった日々が、宝物みたいに、きらきらしてた。


 きみはどうだった?

 あたしのところに来て、幸せだった?


 声に出すと、涙がまたぽろぽろとこぼれてしまう。

 でも、大丈夫。


 そろそろ、お別れの時間。


 箱の中に、きみの好きだった葉っぱを入れた。

 あたしの古いハンカチも敷いた。もう破られてもいいや、って思って。


 


 バイバイ、チョコちゃん。

 わたしに、たくさんの「好き」と「あたたかさ」を教えてくれて、ありがとう。

 きみの全部が、大好きだったよ。


 ――またいつか、どこかで。



 ■


 長い長いその後。

 あたしは大人になって結婚して家族を持った。

 そして新しいふわふわの家族も。


「お母さん! このウサギさん服や布団はかじるのに、ハンカチだけはかじらないね?」

「ああっ、ニンジンの葉っぱだけ食べて!」


 子供たちの声が聞こえる。

 目の前のふわふわの家族――真っ白なウサギ、シュガーの瞳は、私に語り掛けていた。


「ただいま」って。


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