第20話 いやだ、俺にはあなたが必要だ
私の言葉を聞いたフェリオスは、信じられないものでも見たかのような顔をした。
部屋のなかに重い沈黙が落ち、やがてかすれた声が響く。
「……もういちど、言ってもらえないか?」
「婚約を破棄して貰えませんか」
「なぜ?」
「イリオン様から、皇帝陛下が私たちの婚姻を認めていないと教えて頂きました。私を愛妾にするように言われたのでしょう? でも私が妾になるのを、お祖父様は――教皇猊下はお許しにならないと思います」
「イリオンめ、余計なことを……!」
「イリオン様は悪くありませんわ。むしろ、本当のことを教えて貰えてよかったのです。いつまでも婚約者のままでなんて、いられないのですから……」
向かい側のソファで、フェリオスは額に手をあてて俯いた。骨ばった手がくしゃりと黒い髪を掴んでいる。
そのつらそうな表情を見るだけで、彼の今までの苦労が伝わってくるようだった。
「フェリオス様。ハートンでもエンヴィードでもいいので、貴族の男性を紹介してくださいませんか? あなたが私を捨てたことにすれば、陛下も納得してくださるでしょう。お祖父様には、別の男性に一目ぼれしたとでも言っておきますから」
我ながら苦しい言い訳だ。
肖像画を見てフェリオスに一目ぼれしたはずなのに、数ヶ月後にまた別の男性に一目ぼれなんて……お祖父様も私に呆れるかもしれない。
でも呆れられようと何だろうと、今はこの方法が最善だと思う。
「…………だ」
「え?」
俯いたままのフェリオスが何かをつぶやいたが、声が低いうえに小さすぎて聞き取れない。
彼は握りしめていた黒髪を放し、ようやく顔を上げた。
「いやだ」
「は……? 何が嫌なのですか?」
「婚約は破棄しない。俺にはあなたが必要だ」
「…………私の話、聞いておられました?」
「聞いていたし、あなたの言い分もよく分かる。もう少し待ってくれ、陛下を説得して――」
「愛妾にしろと言う方をどうやって説得しますの? 陛下はガイア教が大嫌いだと伺いましたわ。もういい加減、諦めましょう」
「いやだ!」
いきなり大声を出すので、びくっと肩を跳ね上げてしまった。
フェリオスがこんな声を出すの、初めて見たんですけど。
「ちょ、なにを子供のような我がままを……」
「我がままを言ってなにが悪い? 俺は皇子として、すべての命令に従ってきた。好きな女ぐらい、自分で選んでもいいだろう!」
「……!!」
すっ、好きな女!?
この状況でそれを言うなんて、卑怯じゃないの!!
「あなたの事情なんか知りませんわ! 私にはロイツを守り、次の巫女姫を産むという使命があるんです! あなただってエイレネ様を守りたいのでしょう!?」
「っ……!」
エイレネ姫の名前を出した途端、急に大人しくなった。叱られた犬のようにションボリする姿は、戦場で恐れられた皇子とは別人のようだ。
今こそチャンスだろう。
「納得いただけたようですわね。さあ、婚約の証となる書類をお出しになって? 私が陛下に書簡を送りますわ。ロイツの巫女姫とは婚約を破棄し、貴族に降嫁させたとうまく書いておきますから」
「……出さない。俺はまだ、納得していないから」
「っこの、分からず屋!! だったら自分で探します!」
「いいだろう、探してみろ。でもこの部屋にあるかどうか分からないぞ?」
「~~っ!!」
腹立つぅ!
美形の嘲笑が見とれるようなレベルだから、尚さら腹立つ!
ムカムカしながら探し始めたが、数分で目眩がしてきた。引き出しを覗いている途中で視界が暗くなり、ふと目を開けると何故かソファに寝ている。
すぐ横にはフェリオスの不安そうな顔が。
「あら? どうして……」
「食べていないせいで、体が弱っているんだ。今日はもう休め」
そう言って、返事も待たずに私を横抱きにし、部屋へと戻り始めた。
え、このまま廊下を歩くの?
夜だから人目はあまりないけど……。
「は、恥ずかしいですわ。自分で歩けますのに」
「途中で倒れるかもしれないだろう。騎士に抱き上げられるぐらいなら、俺があなたを運ぶ」
「……フェリオス様がこんな方だなんて、知りませんでした。子供っぽい言い訳をするし、焼きもちをやくし」
「俺も知らなかった」
「…………。私、諦めませんからね。さっさと体力を戻して、婚約の書類を見つけてみせます!」
「ふ……。では俺は見つからないよう、せいぜい上手く隠しておこう」
部屋に戻ると、カリエが目を白黒させて隣室へ行ってしまった。
なにか余計な気遣いをされたような気がする。
「おやすみ」
ベッドに寝かせられたと同時に、額に温かな感触。
まさかキス?
いやいや違うでしょ、
「お、おおおやすみ、なさいませ」
フェリオスは満足そうに頷き、部屋から出て行った。
ぱたんと音がしたあと、自分の額に触れる。
私、なにしに行ったんだっけ?
婚約を破棄しに行ったはずだよね?
それが何故、おでこにキ――何かぶつかっただけで、固まってるんだろう。
「んぐぅぅ……! 負けてたまるものですか! 絶対に書類を見つけてみせる!」
闘志を燃やした私は、カリエに頼んで夜食を用意してもらった。普段はこんな時間に食べたりしないが、今はとにかく体力を戻しておきたい。
なぜか敵になってしまった美しい婚約者が妙に憎らしかった。
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