第18話 あ、あんた?

 オリーブの木に実がつき、少しずつ大きくなってきた。

 夏まっさかりの今は雨が降らないこともあるので、小川から農園まで水を引く管を作っている。


「きれいな黄緑色ね。実がついて本当に良かった」


 数百を超える木を眺めながら農園を歩き、木の状態を確かめた。農園で働く人達はみな良く日焼けしていて健康そうだ。


 私の横には騎士のウェイドが立ち、日傘を差しながら私に合わせてゆっくりと歩いている。私は一応お姫様なので、日焼けしないようにと気遣ってくれたらしい。

 端まで歩いて木の状態を確かめ終えたとき、こちらへ向かってくる少年に気づいた。


「あら? イリオン様ではありませんか。どうなさったの?」


「ララシーナがここにいるって聞いて会いに来た。あんたと話してみたかったんだよね」


 あ、あんた?

 義理の家族になる予定とはいえ、『あんた』と言うのはちょっとどうかと思うんですけど!


 唖然としたまま少年を見ると、彼はクスクスと笑っている。


「暑いから日陰で話そうよ。ウェイドとエルビンは下がれ。義姉上と二人だけで話したい」


 イリオン皇子は問答無用で二人の騎士を下がらせ、私を木陰へと促した。

 二人の騎士は少し離れた木陰から、心配そうにこちらを見ている。


「昨日は驚いたよ。まさかあのフェリオス兄上が、エイレネ以外の女性に触れたりするなんて。どうやって仲良くなったの?」


「どうやってと言われましても……。私は難民の人たちと働いたり、精油どろぼうを捕まえたりしていただけで……」


 今は壁のぼりの件は黙っておこう。

 弟さんにまで変な姫あつかいされたくない。


「フェリオス兄上の体のことは聞いた? 僕たち皇族の話とか」


「かっ体のこと……!? いいえ、何も聞いておりません。私たち、そこまで親密なわけでは……!」


 急に『体のこと』なんて生々しい言葉を聞かされ、顔がかあっと熱くなる。

 次代の巫女姫のことで悩んでいる最中なのに、体のことなんて聞けるわけがない。


 今はむしろ、体がどうとか考えたくもないんです! 


 ハンカチで額に浮かんだ変な汗を拭いていると、イリオン皇子は白けた顔で言った。


「……なぁんだ。仲がいいって言っても、所詮はその程度か……。まあそうだろうね、フェリオス兄上が僕たちの事情を話すわけがないよね。全部知ったら、あんたはこの国へ嫁ぐのが嫌になるだろうし」


「え……?」


 どくんと心臓が跳ね、ますます嫌な汗が浮かんでくる。

 そんな私の様子を見て、イリオン皇子は愉快そうに言葉を続けた。


「エンヴィードは小国を併呑へいどんしながら巨大化してきたせいで、皇帝の妃は各地から何人もやって来る。でも最初八人いた妃は一人しか残っていないし、皇子はたったの三人。姫はエイレネだけだ。おかしいと思うだろ?」


「皇帝陛下の御子がたったの四人? どうして……」


「そんなおかしい国に、フェリオス兄上があんたを呼んだのは何故だと思う?」


「ロイツ聖国との戦争を避けるためではないのですか?」


「半分正解。でも戦争を避けたいと思ってるのはロイツと兄上ぐらいだよ。ガイア教が大嫌いな父上は最初からあの国を潰すつもりだったけど、兄上が姫を娶って人質にすればいいと説得したんだ。兄上ってああ見えて、本当は戦争が嫌いなんだよね」


「ああ……。そういう事だったのですか」


 婚約したのに皇帝陛下に合わせてもらえないのは何故だろうと思っていた。でも皇族の結婚というのはとにかく時間がかかり、婚約から結婚まで半年以上かかるのが普通だから深く考えていなかった。


 私との婚約は、フェリオスが独断で決めたことだったのだ。


「せっかくエンヴィードに来てくれたあんたには気の毒だけど、父上はあんたとフェリオス兄上の結婚を認めないと思うよ。愛妾にでもしろと言われたらしいし。でも大事な巫女姫を愛妾なんかにしたら、さすがにロイツの教皇猊下は黙っていないだろうな。そしたら今度こそ、戦争になるかもね」


「そんな……! 戦争を避けるために、嫁いで来ましたのに!」


「やっぱりそうか」


 それまで面白がっている様子だったイリオン皇子はがらりと表情を変え、嫌悪をむき出しにして私を見つめた。 冷ややかな眼差しはやはりフェリオスと似ている。


「あんたも自分の事しか考えてないんだ。フェリオス兄上よりもロイツの方が大事なんだろ? もう祖国へ帰りなよ。戦争が始まりそうになったら、ディナルあたりに助力を願えばいい」


「ご冗談を。ディナルとエンヴィードで戦争など起これば、世界中を巻き込むことになります!」


 ディナルは西大陸のほとんどを支配する大国だ。

 そんな国と軍事大国エンヴィードがぶつかり合えば、たとえロイツが助かったとしても世界は滅んでしまうかもしれない。


 私はもう、早死にするのは嫌なのよ!

 今度こそお婆ちゃんになるまで人生を満喫してみたいの!


「あっそう。じゃあ頑張ってみれば? あんた一人で戦争を止められるか、じっくり見といてあげる。じゃあね、義姉上」


 イリオンは少女のように美しくほほ笑み、私のもとを去って行った。

 少し離れた木陰から彼の騎士が現れ、二人の後ろ姿が徐々に小さくなる。私は呆然とそれを見ていた。


「奥方さま、大丈夫ですか? 少し顔色が悪いようですが……」


「今日はもう休まれた方がいいのでは?」


「……そうね。お城に戻ります」


 ウェイドとエルビンに守られながら馬車に乗っている間も、気分はずっと憂鬱だった。


 婚約したのに結婚の日時がいつまで経っても決まらないのは、皇帝が認めていないから。今の状態で無理に結婚してしまったら、フェリオスは廃嫡されてしまうだろうか?


 でも私はどうしても、次の巫女姫を産まなければならないのだ。

 そして次の巫女姫が生まれてすぐに死ぬことのないよう、戦争を避けなければ――。


「綺麗ごとはともかく、私は死にたくない! イリオン様が兄上大好きなのは分かったけど、自暴自棄になられるのは困るわ!」


 イリオンはごちゃごちゃと色んな話を聞かせてくれたが、要するに大好きなお兄さんを私に取られるのが気に食わないのだろう。


 でもだからって、「フェリオス兄上以外はどうでもいい」という彼の態度はどうかと思うけどね!


「どうすればいいかしら……。フェリオス様もロイツも守りつつ、私の目的も果たす方法を考えないと」


 ――って。

 そんな方法、本当にある?

 エンヴィードの皇帝に睨まれてる私たちって、すでに風前の灯火みたいなもんじゃない?


「め、女神様……どうしたらいいですか?」


 私のつぶやきに対する答えは当然ながら無く、馬車の中に自分の声が虚しく響いただけだった。


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