第19話

 サク。サク。サク。


 地面に落ちた枯れ葉が、足を運ぶ度に乾いた音を立てる。


「ねえ、ユーグ」


 自分の手を引き前を歩くユーグへと、エリシアは声をかけた。


「どこに向かってるの。ここはどこ?」


 ユーグに導かれるままラクスたちの前から離脱したエリシアは、気が付いたときにはまったく覚えのない場所を歩いていた。

 ラクスのこと、自分のことを考えてぼんやりとしたまま、行き先をユーグに委ねているうちに――今に至る。

 辺りは深い森。夕日の朱色が差し込み、木々を紅に染め上げる様子は美しいと言えるかもしれない。しかし今は不安のせいで、妙に不気味に思えた。


「ねえ、ユーグ……」

「ここは、キクリの森。僕の一族が管理する、アートフォリングスが支配する領地の一つです」

「――え?」


 ユーグの言葉の意味を、エリシアはすぐに呑み込むことができなかった。だが耳に覚えのある名前には、正確に反応する。


「アート、フォリングス?」

「そうよ」

「!」


 後ろから聞こえた冷ややかな女の声にエリシアは顔を強張らせ、振り向こうとした。しかし半端に体が向き直りかけたところで強かに頬を叩かれ、地面に転がる。


「痛っ……」

「これしきで痛いだなんて、がっかりさせないでちょうだい」

「きゃあっ!」


 言葉と共に降ってきたヒールに背骨を踏みつけられ、エリシアは悲鳴を上げる。

 日常茶飯事だったケンカと虐めにより、エリシアは同じ年頃の子どもより、よほど痛みに耐性があった。

 だがラクスと行動するようになってからは、怪我をするような事態は起こっていない。ラクス同様、あるいはそれ以上に、怪我の痛みを忘れたエリシアは苦痛に弱い。

 恐怖を知っているからこそ。


「あん、た……!」


 それでも敵に対する意地でエリシアは歯を食いしばり、首を捻って敵を見上げる。

 地に這ったエリシアからは逆光となって、姿が判別し難い。しかしその程度で誰だか分からなくなるような相手でもなかった。


「アルテナ……!」

「ごきげんよう、エリシア」

「あうっ」


 ごり、と背骨の上でヒールに体重がかけられ、エリシアは痛みに喘いだ。その様子を満足気に見下ろして、アルテナはさらに微笑みを深くする。


「ふふっ。泥に塗れて小汚いこと。でもそれがお前に相応しい本来の姿よ、エリシア・フェーゼ。ほんの気紛れに貴族の寵を得たからといって調子に乗って、身のほど知らずな」

「ふざけ、ないで! この程度――!」


 エリシアは顔を上げてアルテナを睨みつけ、魔力を集中させる。うつ伏せに倒れた状態からでも、魔法の発動には関係ない。

 ――しかし。


「ああ。大人しくしててくださいね」

「な!?」


 魔力が形となる前に、エリシアの側に屈み込んだユーグから、両手に重みのある金属を付けられる。途端、魔力が阻害され外に出せなくなった。

 成す術なく手首に取り付けられたそれは、鎖付きの手枷。魔力を封印する術式が組み込まれた、魔具だ。


「ユーグ、あんた!」

「すみません」


 その可愛らしい顔に、いつかと同じような、少し困っている風に見える微笑を無意味に張り付けて、ユーグは中身のない謝罪をした。


「でもアルテナ様が怪我をすると、後で僕が八つ当たりされるので」

「組んでたのね……!」

「違うわ。ユーグは――ヴレドア家は、何百年と昔からわたくしの家の臣下なの。もちろんお前は知らなかったでしょうね。嫉妬に目がくらんで、敵の情報を調べることもしなかったのだろうから」

「あっ」


 襟を掴んでエリシアを引き摺り起すと、近くの木へと押し付ける。そうしてアルテナがエリシアを押さえ付けている間に、ユーグが先のなかった鎖同士を、木の幹を回して後ろで繋ぐ。


「くぅ……!」


 腕を動かしもがくが、その程度で外れるような拘束ではない。

 アルテナはエリシアの悪あがきを不愉快そうに見つめ――


「不似合いだわ」


 眉をひそめ吐き捨てると、エリシアの肩に手をかけ、一気にその服を破り取った。肩から臍の辺りまでが容赦なく外気に晒され、白い素肌が夕日に照らされオレンジに染まる。

 剥き出しにされた肌に、エリシアの顔が羞恥で赤く染まった。


「何するのよ!」

「生意気に、身の丈に合わないものを着ているから。下民のお前がまるで貴族であるかのように……。この布、上級種の天馬の毛で織られた物でしょう。付加されている対魔防御性も高いわね。これは、アスガフトスの魔力かしら」


 布の手触りを確かめてから、アルテナは残骸となった服を地面に捨てる。エリシアの視線がそれを追い、悔しそうに唇を噛む。


「血の卑しさは隠しようもないけれど、お前は、確かに愛らしい顔と身体をしているわね」

「あっ」


 無造作に伸びたアルテナの手が、エリシアの剥き出しになった胸を鷲掴む。容赦のない力で捏ねられて形を変えた柔らかな肉に、赤い指の跡が付いた。


「二度と間違いがないように、見る影もなくしてしまいましょうね?」

「や……」


 女の急所を鷲掴んで柔らかく蠢くアルテナの指と、至近距離で微笑むその冷酷な表情とに、エリシアは怯えて身体を硬くする。


「ふふ。うふふ。怖いの? ねえ、わたくしが怖いの? エリシア」

「誰が、あんたなんか……!」


 震えそうになる声を叱咤して、エリシアが意地とプライドだけで睨みつけると、アルテナは嬉しそうに瞳をきらめかせた。


「そうよね? そうでなくてはいけないわ。だって、屈服のさせ甲斐がなくなってしまうもの」


 くす。くすくす。

 アルテナの唇から洩れる喜悦の笑いに、エリシアは身震いする体を止められない。


「いっぱい、我慢しなさいね? わたくしが満足したら、魔石の在りかを吐きなさい」

「誰が、あんたなんかに渡すもんか!」

「ええ、その調子よ。頑張ってね」


 エリシアの虚勢を歓喜で迎え入れ、静かにアルテナの腕が持ち上げられた。




「見つかったか?」

「いや、無いな」


 手分けをしてエリシアの城を捜索していたラクスとバルヴァラは、小一時間の別行動の後、合流して成果の無さを報告し合う。

 二人が探しているのは、エリシアの城の魔石である。


「ないなら仕方あるまい。もう引き上げないか?」

「ふざけんなっ。諦めねーぞ俺は!」


 二人が――というか、探し物に真剣なのはラクスだけだが。


「我は別に、今はそれほど城を欲してはおらんぞ? お前の城があるのだし」

「俺がお前を追い出したいからに決まってんだろ!」


 どこかへ逃げたエリシアに、戻ってくる場所を奪うことでまたダメージを与えられる――とも考えなくもないが、正直、今のラクスにもうそれほどの執着はない。

 エリシアは、ラクスが彼女に抱いた気持ち以上にラクスに固執していた。離れることで弱ったエリシアを見れた。それでもう十分だと思ってしまっている。

 同時に自分の性も自覚させられて、そちらは少々恨めしいのだが。


(まあ、いずれは向き合わざるを得なかっただろうしな)


 自覚などしたくなかった。だが本当にそうなりたくないのならば、きちんと見つめ、己を律する努力をしなくてはならない。

 見ない振りをしてエリシアに逃げたから、彼女を余計に傷付けたのだとラクスも分かっている。

 しかし心が感じるのは、反省以上に喜び。褒められたものではない淫魔の性質が出てしまう。


 色々分かってしまった今。エリシアから城を奪おうとしている最大の理由は、バルヴァラに与えるためである。そしてバルヴァラから一刻も早く離れたい。


「まったく、臆病な男だな。まあその初心さは可愛いと言えなくもないが。何しろ、惚れるのが怖いから我と離れたい、という理由だからな」

「お前のそういうとこ、本ッ当嫌いだ!」

「何にしても、我は家捜しに飽きた。一度休憩するぞ」

「……そうだな」


 見つからない苛立ちと共に、作業が雑になってきたのは確かだった。

 このまま続けていては、たとえ魔石が隠されている場所に立っても見落としてしまう可能性がある。

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