君だけを見て、導かれる



 階段の下で、杏は真秀を見送った。


 軽く手を振って、回れ右。自分も家路へと歩き出す。


 スーパーの前の押しボタン式信号で立ち止まり、ふと振り返る。

 重たそうな買い物袋を後ろかごに収めたおばさんの自転車が、今にも倒れそうになっていた。


 杏は慌てて駆け寄り、自転車を支える。


「ありがとね、お姉さん」


「いえいえ、間に合ってよかったです」


 おばさんを見送って、青信号の横断歩道を駆け抜けた。

 揺れるサコッシュ。その中には、生まれて初めて受け取ったラブレター。


 軽くて、だけど重たい。変なの。




「ただいまー」


 今日パパは帰宅が遅い日だ。

 杏はママと二人で“冷食まつり”と称して、ジャンクまがいのダメダメな夕食を楽しんだ。そのあと、ママはTV、杏は入浴。


 とっておきのバスソルトを投入する。ネロリの香気と湯気に包まれながら、杏は今日一日を何度も思い返した。


――あのとき、すぐに返事をしたほうが

よかった?

でも、真秀先輩なら、きっと一日くらい待ってくれるよね。


 そんな確信があった。


―― わたしも、先輩が好き。どころか、大好きだ。


一緒にいると楽しい。

それって、すごく大事なことだと思う。



 本当は、自分から告白するつもりだった。


 男の子から告白されることにこだわる描写を、物語の中でよく見かける。

 だけど、杏にはその理由がずっと分からなかった。

 優位性? 自尊心? 古風な恋愛観?


 どれも、いまいちピンとこなかった。


 でも今日、真秀からのラブレターを受け取って、ひとつはっきりわかった。


 担保。


 両想いだと信じていても、本当にそうかはわからない。

 告白されて、初めて確信が得られる。

 それは、言葉にすると、―― 担保だと、そう思った。


 ―― 変かな?


 けれど、ラブレターを受け取った杏は、確かにそう思ったのだ。


―― わたしは先輩から告白された。

だから、わたしは両想いに“固定”された祝・カップリング!


 だけど、ただ素直に「はい」と受け入れるだけでは、何かが違う気がして、一日待ってもらった。

 

 ―― ごめんなさい、先輩。



 翌朝、杏はいつもより早く駅に着いた。

 改札前で、真秀を待つ。


「先輩、おはようございます!」


「あ、舎利倉さん。おはよう。改札で会うの、珍しいね」


「はい。実は待ってました」




 並んで改札を抜け、二両目のロングシートへ。

 空いている真ん中の席に腰を下ろす。


 電車が小さく揺れて動き出す。

 足元から伝わるモーターの低い振動。車輪がレールをなぞる乾いた音が、耳に心地よく響いた。




「先輩、ジャック貸してください」


「いいよ。何を聴かせてくれるの?」


「tofubeatsです」



 真秀から渡されたイヤホンジャックを繋ぎ、杏はプレイボタンを押した。


 ヘッドフォンからはスローなビートが流れ出す。


 貸し切り状態の朝の車内。ロングレールだから継ぎ目音もしない。

 車窓から見える田んぼはもう稲が伸びて青々としていた。



 四分三十四秒後、アウトロが静かにフェードアウトした。


 杏はヘッドフォンを外さずに、隣に座る真秀を見つめる。


 無音10秒、続いて杏の声が流れ出す。


 軽く驚いて目を見張る真秀。



――先輩と出会ってから、わたしの毎日は変わりました

先輩はわたしをやさしく導いてくれます。


それが嬉しくて。

もっと一緒にいたいって、心から思っています。


先輩だけを見つめています。 

この気持ち、受け取ってください。


わたし、先輩のことが好きです……

   

   

 視線が交わって、溶けた。 


  


 杏はそっとヘッドフォンを外した。

 カーブに差しかかった車体が、軽く左右に揺れる。


「先輩が手紙だったので、わたしはボイスレターです」


 杏がにこりと笑う。

 真秀は、ぐっと顔をしかめるように笑った。


「断られたらって、一晩中、不安で仕方なかったんだ」


「うそ。いつもの通り、すん、としてたんじゃないですか?」


「そんなことないよ。うれしいって言ってくれたから、少しは安心してたけど。

 でも、家で許可を取らないと返事できないのかなって、さ」


 つり革が揺れて、軽くきしむ。


 外の景色、小さな川沿いの遊歩道。首にバンタナを巻いた柴犬がリードをぐいぐい引っ張っていた。



「あはは、深窓のご令嬢ですか。パパはともかく、ママはむしろ期待してくれてるみたいですよ」


 真秀がきちんと居住まいを正す。


 ―― ここだね。うん。


 杏も真面目な顔をして向き合う。


「舎利倉さん、改めて」


「はい」


「僕と、付き合ってください」


「はい。わたしも、大好きです」


 頬が赤くなっているのは感じるけど、意外に心は落ち着いている。


 ああ、真秀といると、いつもこんな感じだ。と杏は思った。



――真秀先輩の横はいつだって、居心地がいいなあ。



 二人の関係は今日、変わったけれど、

 二人を包む空気感は出会った時から、ずっと変わらないのだった。





――――――――――――――



https://www.youtube.com/watch?v=e_K-8acKFNU

tofubeats / トーフビーツ -「BABY」


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