真秀、杏と知り合う
――ん? 隣に誰か座った?……ガラ空きなのになー。
目を開ける。
ガラガラの車内、ロングシートのど真ん中に座る真秀のとなりに座っていたのは、この車両に乗った時には確かに対面にいた女子だった
。
ヘッドフォンで耳がふさがってた彼は、ぽかんとして隣の子を見つめた。
*****
真秀はふとっちょだ。口さがない友人たちによく言われるのは“ムーミン”。あと“着ぐるみ”。
でも本人はあんまり気にしていない。 だって遺伝だし。両親も似たような体系だから、もう「仕様」ってことで受け入れてる。
どんなだろうが、大事なのは身だしなみだと思っている。 髪も肌もケアして、顔剃りだって月イチで。デオドラントも欠かさない。 太ってるからこそ、そんなことで疎まれたくはないし、きちんとしているのが好きだから。
人混みが苦手だから、みんなより早い電車で通学している。 この日も、ちょうど空いている車内に乗って、ロングシートのど真ん中に腰をおろした。
正面に、同じ高校の制服を着た、見覚えのない女の子が座っていた。一年生?
――スレンダーで、色白。赤みがかった長い髪、あれは地毛かなあ……
つい見とれてしまい、
(やばい、キモがられる)
と焦って、目を閉じた。
そのまま、空いた通学電車内でゆったり音楽を聴く。
初夏の朝。まだ少し肌寒さが残る時間帯、アンチUV/IR仕様でシェードが一切ない窓の向こうには奇妙な色合いの空が広がっている。郊外の住宅地を抜けるこの路線は、時間帯やバスの連絡にによっては、驚くほど空いている。
*****
――え?
隣に人の気配がした。
なんかいい匂いもする。柑橘系だ。 女の人? それにしても、気配が近すぎる。
おかしいなと思って目を開けると、車内はガラガラのまま。 目をつぶる前とちがうのは、向かいにいたはずの子が真秀の隣の席に移ってたことだ。
静かな車内、踏切の警告音がかすかに聞こえた。窓の外を雑木林の緑がスッと流れてゆく。
女の子が首にかけたヘッドフォンを指で指して、何か言っている。
よく見ると、彼女のヘッドフォンは《Y50》。真秀のと同じ機種の、色違い。
そんなに安くもないモデルだし、出たばかりの機種でもあった。
真秀はヘッドフォンを外した。
「な、何か、用かな?」
「おくつろぎのところすみません! 一年の舎利倉と申します。あの、同じ機種使ってみえたので、つい……!」
礼儀正しいヘッドフォンおたくっ子?
鼻頭に散った淡いそばかす、長いまつげにキラキラした瞳。きちんと着崩してない制服にイエローカーキ色のタクティカルパック。
ギャップに、真秀は少し笑ってしまった。見た目とキャラが一致しない子だ。
「えっと、僕は二年の粕畠。で、しゃり……?」
「舎利倉です。すみません、変な名字で」
「そっか、舎利倉さん。で、なんか僕に聞きたいことあった?」
真秀はほんわかした声で笑いかけた。
「はい。わたしのY50、なんか音がしっくりこなくて……もしかして初期不良か、それともエイジング不足か。よくわからないんです」
小首をかしげる仕草もよく似あっていた。
「それで、お願いがあるんですけど……先輩のY50、よろしければ、試聴させてもらえませんか?」
真秀は驚いた。ちょ、ちょっとまって。
「え? 僕の? 今まで着けてたやつだけど……」
「え、はい?」
「あの、キモくない?」
「え、わたしが着けることが、ってことですか? ……あーすみません!そうですよね、気持ち悪いですよね」
「いやいやいや! 舎利倉さんは全然キモくないし! 僕、僕がキモくないかって事……」
「いえ、全然」
ニッコリ笑うと、片えくぼができた。 眉間には笑いじわ。すっごいナチュラルに、可愛い。
「じゃ、じゃあ、聴いてみる?」
真秀はヘッドフォンを首から外して、ハンカチで軽くイヤパッドを拭いた。
――あー、ウェットティッシュ持ってればよかったな
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます。お借りします」
彼女が装着したので真秀は再生ボタンをタッチした。 途端に彼女の目が見開かれる。小さな頭が小刻みにゆれる。
「ピアノの音も、鐘の音も響きがすごいです!わたしのと別物みたい!」
しばらく聴いた後でヘッドフォンを外すと、紅潮した顔でそう言った。 瞳がキラキラしていて、興奮した様子が伝わってきた。
「そっかそっか。あ、そうだ。舎利倉さんのジャック貸して。自分のと比べてみなよ」
「はい!お願いします」
ワクワクしたような様子の彼女。渡されたジャックを繋げて、また同じ曲を再生した。
そうしたら、すぐに外して顔をしかめる。
「変です。いい音で鳴ってます。なんでなんで?」
真秀が答えようとしたとき、ちょうど電車が降車駅に着いた。
アナウンスが鳴り、電車がギイィとブレーキをかける。ゆるやかにスピードが落ち、ドアが開いた瞬間、朝の香気をはらんだ外気が流れ込んできた。ホームにはすでに通勤客が並び、退避線のホームでは小鳥がちょんちょんと跳ねていた。
「あー、着いちゃいました……」
「明日もこの電車?」
「はい、そのつもりです!」
「じゃあ、続きは明日、ってことでどう?」
「ありがとうございます! よろしくお願いします!」
ぺこりと深いお辞儀をして、杏は軽やかにホームに降りた。
そのまま友だちと合流して、楽しそうに笑っている。
大きなタクティカルパックを揺らして、スカートをなびかせながら階段を軽やかに上っていくのを見送る。
(真面目か……でも、素直で、人見知りしない、いい子だったな)
十中八九、音の違い”は……まあ、きっと彼女には思いもよらない事、だろうな。
――また明日、か。
真秀もいつも使うエスカレータを避けて、ゆっくりと空いている階段を上っていった。
階段の踊り場、曇った窓から差し込む朝日がちょっとまぶしかった。
――――――
https://www.youtube.com/watch?v=sNQu0sA3QSk
ジョー・サンプル 『Voices In The Rain』
雨だれの鐘の音は3:04
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