第5話:【 オフィーリア・カリオペに出会った】
ナエヴァ・ウィンター──氷の姫君は、新しく購入した服の効果を試すため、街の広場をゆったりと歩き始めた。予想通り、誰も彼女に特別な注意を払うことはなかった。ただの通行人として認識されたに過ぎない。
高価なアイテムの効果に、少女は内心満足していた。
「ちょっと高かったけど、効果は素晴らしいわね。」
ナエヴァがどうやってあれほどのカルメラを手に入れたのか、不思議に思った方もいるかもしれない。答えは簡単。彼女の領域に迷い込んだコンカラー志望者たちを倒し、その所持金を奪ったのだ。中には多額の資金を持っていた者もいた。そして塔の通貨はその誕生以来、価値が変わっていない。三万年以上も蓄えてきたナエヴァの財産は、まさに膨大なものだった。
とはいえ、莫大な財産を持っているからといって、浪費するつもりなどナエヴァにはなかった。人間だった頃の貧しい生活が、彼女の中に「無駄遣いは悪」という価値観を深く根づかせていた。特に、塔の貨幣価値と地球のそれを正確に理解している今では、なおさらだ。
──と、その時。
「……この匂い……」
しかしまあ、どんなに理性的で冷静な彼女でも、「お菓子」には弱かった。いや、弱いというより、彼女は本当に甘いものが好きなのだ。地球ではほとんど食べる機会がなかっただけに、なおさらである。
ふと鼻先をくすぐった甘い香りに、ナエヴァは立ち止まり、香りの出処を探し始めた。やがて彼女は、路地の一角に立つ小さな屋台の前にたどり着く。周囲の屋台がどれも重たい料理を売っている中、その屋台だけは、まるで色とりどりの雲のような不思議な食べ物を並べていた。
(わたあめ……?)
心の中でそう呟くが、表情は変わらない。
まさか塔の中で、こんな地球らしい甘味に出会うとは思ってもいなかった。ナエヴァは迷うことなく、屋台に近づき口を開いた。
「わたあめ、一つ。」
「フェアリーフロス、一つください!」
──!
同時に発せられた二つの声。お互い、驚いたように目を合わせる。ナエヴァの目の前には、ローブをまとい、フードを深くかぶった少女が立っていた。しかし鋭い視線を持つナエヴァには、少女の姿がはっきり見えていた。濃紺の髪に、黄金の瞳。
(この子、オフィーリア・カリオペね)
「……わたあめ?」
少女は不思議そうに問いかけた。
だがナエヴァは答えず、ただ無視する。
「一つ。」
屋台の男はにこやかに微笑み、手際よく綿のような菓子を巻き取りながら言った。
「かしこまりました、お嬢さん。少々お待ちを。そちらのお嬢さんもね。」
オフィーリア・カリオペは、ナエヴァに無視されたことが気に入らなかったようで、少し眉をひそめた。
「あなたの国では、このお菓子を“わたあめ”と呼ぶのかしら?」
ナエヴァは一瞬、再び無視しようとしたが、また質問され続けるのは面倒だと感じたのだろう。しぶしぶ口を開く。
「そう。」
「わたあめ か……変わった名前ね。どこ出身かは知らないけど、タワーでは『フェアリーフロス』って呼ばれてるの。次からはそう呼んだほうがいいわよ。」
少女は優しくそう言った。
その言葉に、ナエヴァは少しだけ意外に思った。
カリオペ家の者が、こんなにも他人に親しげな態度を見せるなんて——
彼女の知識の中では、紺色の髪と黄金の瞳を持つこの一族は、冷たく、排他的な性格で知られているはずだった。
けれど、何よりも驚かされたのは、その少女が口にした一言だった。
"どこ出身かは知らないけど"
「知ってたのね。」
ナエヴァが静かにそう言うと、
少女——オフィーリア・カリオペは、薄く笑って答えた。
「まあ……あんなに目立つ子がいたら、知らないわけないでしょ?」
彼女たちの言葉の裏にある意味は明白だった。
ナエヴァが〈イレギュラー〉であるという事実。
ナエヴァはチュートリアルを出るときにオフィーリアの目の前を通っており、
そしてオフィーリアもまた、あの美しさを一度見て忘れることなどできなかった。
「どうやって私だと分かったの?」
ナエヴァの問いは簡潔だった。
「……ああ、その変装アイテムのこと? そんなもの、私の目は誤魔化せないわ。」
彼女はあっさりとそう返す。
「さすがは“竜の瞳”。」
「!」
その言葉に、オフィーリアの目がわずかに揺れた。
竜の瞳——
それは〈タワー〉の中でも伝説級の存在。
真なるドラゴン、あるいはその眷属とされる古代種のみが持つ眼。
そして、その血を引く者たちは、現在〈カリオペ家〉という強大な家系となっていた。
「あなた……」
「はいはーい、お嬢さんたち! フェアリーフロス、できたよー!」
屋台のおじさんが元気よく声をかけてきた。
「お代は70カルメラでーす!」
三層に重なった色とりどりの綿あめが、それぞれの手に渡される。
ナエヴァは無言で支払いを済ませ、そしてそのまま立ち去った。
「……あっ!」
オフィーリアは慌てて支払いをし、すぐに彼女を追おうとする。
けれど、その姿はすでにない。
「ちょ、ちょっと、速っ……!」
ほんの一瞬、瞬きをしたその隙に——
ナエヴァ・ウィンターは視界から、完全に消えていた。
「なにあの子……」
しかし、オフィーリアはあきらめなかった。
どうしても知りたいことが、彼女にはあったからだ。
夕暮れが訪れても——
オフィーリアは、ついにナエヴァを見つけ出すことはできなかった。
その額を伝う汗が、彼女がどれほど執念深くその少女を探し回っていたかを物語っていた。
銀髪の少女——一度視界に捉えたはずなのに、どこへ消えたのか。
オフィーリアは手の甲で頬を拭い、再び周囲を見渡した。
先ほど、彼女はこの都市で最も高い塔へ登り、〈竜の眼〉を使って辺りを見渡した。
けれど——そこにも、あの少女の姿はなかった。
「いったい……あの子、何者なの……?」
息を整えながら、オフィーリアは空を仰いだ。
茜に染まり始めた空の下で、彼女は確信していた。
(あの子、強い……私の想像以上に。
カリオペ家の眼を欺くなんて、普通じゃないわ。)
(彼女の世界って……全員あんなに強いの? それとも、あの子だけが別格……?)
そう呟きながら歩いていた彼女の足は、いつの間にか元いた場所——
ナエヴァと出会った、あのフェアリーフロスの屋台へと戻っていた。
気がつけば、屋台の品はすっかり売り切れていた。
「おや、頭巾のお嬢さん! 無事だったかい?」
年老いた店主が、気さくに声をかけてくる。
「……ええ。私は大丈夫です。
それにしても、随分早く売り切れたんですね。」
オフィーリアは周囲に目をやる。
彼女の眼は、常に小さな違和感を見逃さない。
通常、こうした甘味の屋台は夜になっても商品が残るのが普通だ。
だが、今は在庫どころか、明日の分まで綺麗さっぱり売り切れていた。
「ははは! 本当に今日は運が良くてね。
朝からずっと、ここに座って食べてくれるお嬢さんがいたんだ。
おかげで何日分も売れて、当分は食べるのに困らなさそうだよ!」
「……?」
(朝から夕方まで、ずーっとフェアリーフロスを食べ続ける娘なんて、なかなかいないよね?)
(……甘いもの中毒?)
オフィーリアが訝しげに眉をひそめたそのとき——
店主は近くに腰掛けている誰かを指さした。
「ほら、あそこにいるお嬢さんさ。」
指差された先に目をやると、そこには——
フェアリーフロスを口にしながら、足をぶらぶらと揺らす銀髪の少女の姿があった。
そう、まさしく——ナエヴァ・ウィンター。
「……ずっと、ここにいたの!?」
疲労の混じった声が、思わず口から漏れるのだった。
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