第1話:【氷の姫君の目覚め】
氷の玉座に腰掛けたままの一人の少女。
その年頃は十八歳ほどに見えた。
彼女は目の前で剣を構える何人かの人間たちを冷たく見下ろしていた。
まるで、何千回も同じ光景を繰り返してきたかのように——ただ退屈そうに。
彼女は立ち上がることさえせず、その場で彼らを皆殺しにした。
その瞳には光が宿っていなかった。ただの虚ろで、冷たい、そして疲れ切ったような視線。
少女は、美しく芸術的に築かれた氷の城にて、長い年月を生きてきた。
「氷の姫」と呼ばれる彼女は、その長い人生の中で、
城を訪れる者たちを例外なく殺してきた。
けれどそれは、彼女が殺戮を好んでいるからではない。
ただ、訪れる者が皆、彼女の命を狙ってきたからに過ぎない。
「……あとどれだけ、私はこうしていなければならないの……?」
彼女の苦しみの始まりは、遥か数千年前のこと。
まだ世界が「普通」に回っていた頃だった。
およそ三万年前、地球全体を未曾有の災厄が襲った。
原因不明の「永久冬」が突如として世界を覆ったのだ。
果てしない吹雪と雪が続き、
正体不明の獰猛な魔物たちが次々と現れるようになった。
多くの人々が命を落とし、生き残った者たちは力を手にし、
その魔物たちに立ち向かっていった。
しかし、魔物の出現は止まることはなく、終わりは見えなかった。
たった一年で人類の三分の一が死に絶え、
それからも数は減り続けた。
そして五年後、超常の力を持った三十人の人間が集まり、
この「永久冬」の元凶を討つために立ち上がった。
当初三十人いたその戦士たちも、
「冬の森」を突破できたのはわずか六人。
そして彼らは、永久冬の中心に座す「氷の女王」に立ち向かい——
全力を尽くして彼女を打ち倒した。
その結果、氷の女王は滅び、世界の寒波は徐々に消え去っていった。
人々は歓喜し、その六人を「英雄」として称えた。
けれども、皮肉にも——
その六人の英雄たちは、女王との戦いの中で命を落としていたのだった。
世界は彼らを称え、彼らの功績を称えて、
その日が来るたびに毎年黙祷を捧げるようになった。
だが、人々は知らなかった。
それがすべての始まりに過ぎないということを——
確かに、英雄たちは死んだ。
心臓は止まり、呼吸も、声も、すでにこの世にはなかった。
……だが、
その中の一人、最年少の英雄は、
アジア大陸の片隅にある孤児院で育った少女だった。
彼女の心臓も確かに止まっていた。
だが彼女は、まるで何事もなかったかのように再び目を開けた。
真っ二つに裂けた肉体が、
音もなく、何事もなかったかのように繋がり始める。
短かった黒髪は膝まで伸び、雪のように白く染まり、
黄味がかった褐色の肌は、氷のように青白く透き通り——
黒かった瞳は、氷に閉ざされたように銀青に変化していた。
丸かった耳も、その先端がわずかに尖り始めた。
全身に刻まれていた無数の傷は消え去り、
まるで新生児のように滑らかな肌が蘇る。
背が少し縮まり、顔も若返っていった。
その体には、明確な「冷気」がまとわりつくようになった。
そして何よりも、その変貌を遂げた彼女の姿は、
この世の誰よりも——
美しく、そして、誰よりも哀しかった。
【
その入り口は、いくつもの世界に現れる。
塔を攻略した者には、どんな願いも叶えられるという。たとえ、それが神になることであっても。
ただし、塔に入るには条件がある。
それは、各世界に設けられた「チュートリアル」を突破すること。
名ばかりのチュートリアル――その実態は、その世界にとって終末とも呼べる大災厄だった。
チュートリアルの舞台となった世界は、必ず破壊の運命に晒される。
そこで生き延び、試練を乗り越えた者だけが、塔への入場を許されるのだ。
中には、塔の中で生まれた子供も存在する。
だが、そういった子供たちでさえ、一度チュートリアルの世界に放たれなければ、塔から追放されてしまう。
そして――
地球は、数あるチュートリアルの中でも、特に過酷な舞台とされていた。
生存率は1%未満。その苛烈さから、地球チュートリアルを突破した者には、数々の希少なアイテムや報酬が与えられる。
数多の者が挑戦し、数多の者が命を落とした。
特に、地球のチュートリアルボスが変わって以降――生還者は一人もいない。
そう。
かつてのボスは、「アイスクイーン」だった。
そして現在、その玉座に君臨するのは、かつてアイスクイーンを打倒した勇者の一人。
死から蘇った彼女は、新たなアイスクイーンとして選ばれたのだ。
なんという皮肉。平穏を望んで戦った少女が、いまや討たれる側となり、ドロップアイテム目当ての侵入者たちに命を狙われる存在になってしまった。
ボスである限り、彼女は領域から出ることは許されない。
果てしない時の中で、孤独に閉ざされ、ただひたすらに侵入者を屠る存在として生きることを強いられる。
幾万、幾十万という命を奪い続けて三万年――
そのため、彼女はこう呼ばれる。
《束縛されし氷の姫君》
同じことを三万年も繰り返せば、誰だって狂うだろう。
彼女が正気を保つために選んだ唯一の手段――それは、自らの感情を殺すことだった。
「彼女はそれほど強いのか? なぜ誰も討ち取れなかったのか?」
――確かに、彼女は強い。
だが、それだけではない。
本当の理由は別にある。
たとえ、どれだけ致命的な傷を負っても――
心臓を貫かれようが、引き抜かれようが、首を斬られようが、身体がバラバラに引き裂かれようが――
彼女は、死なない。
神から与えられた祝福か、あるいは呪いか。
《アイスプリンセス》の肉体は、どんなに損壊されても、即座に再生するのだ。
幾千、幾万の自殺も、他者の刃も、彼女を終わらせることはできなかった。
そう――
彼女は《不死》である。
そして三万年の時が流れた今――
《アイスプリンセス》が《アイスクイーン》の座を継いでからというもの、塔は地球を「チュートリアルとして不可能な舞台」として公式に閉鎖した。
いまや地球に存在する生命体は、彼女ひとりだけ。
誰一人いない世界で、彼女は独り、城に君臨している。
「……今さら止まったって、何の意味があるの? 結局、何も変わらないのに」
その心は、限界まで擦り切れていた。
「死ぬこともできず、生きることもできず……神に願ったって、無駄だってわかってる……」
「……ふふ、もう何ができるというの? 世界中の書物はすべて読んだ。塔に挑んだ征服者たちの本さえも。
それが唯一の暇つぶしだったのに、それさえなくなってしまった……」
少女は、ゆっくりと城のバルコニーへ歩み出る。
彼女の眼前に広がるのは、果てしなく続く白の世界――
「……つまらない」
.
.
.
.
ドオオオオオン――ッ!!
大地が激しく揺れ、あらゆる物が落下し、雪崩が起きた。
だが、氷の姫君はその振動の中にいても、表情ひとつ動かさず、ただ無言で震源の方向を見つめていた。
そして、彼女の視線の先――
突如、金で装飾された豪奢な門が地中から勢いよくせり上がった。
氷の姫君は、静かにその門へと歩み寄り、そっと指先を触れる。
「……なんで、ここに入塔ゲートが……?」
感情の色を宿さない声が、冷たい空気に溶けた。
|おめでとうございます!
「……は?」
何の前触れもなく、その言葉が空中に現れた。
「はぁ……運命って、本当に人を弄ぶのね……」
元はただの人間だった自分が、チュートリアルのボスとして永遠を生き、
そして今度は“塔を登る者”として招かれるとは――
「……どうしろっていうのよ。入るべき? やめるべき? もう、どっちでもいいけど……」
意味を求めることをとうに諦めていた氷の姫君は、少しだけ思考を巡らせた。
――ここで独りきりで生き続けるよりは、マシかもしれない。
永遠に続く孤独、それこそが彼女が最も忌み嫌うものだった。
「……待って。塔は、頂上に辿り着いた者の願いを叶えるって言ってたわね。ってことは……死ぬこともできる?」
その瞬間だった。
三万年という時を越えて、
彼女の氷の心がほんの僅かに溶け――
微かに、微かに、笑みが零れた。
それは心の底から溢れ出た、純粋な喜び。
――死ねるかもしれない。
「ようやく……この呪われた人生から、解放される……塔の頂上に辿り着けば……私は、死ねる……!」
その目に滲んだ涙は、触れる前に凍りつき、雪の粒となって落ちていった。
それでも彼女はもう迷わない。
三万年の果てに、氷の姫君は決意する。
退屈の果てに、終焉を求めて。
彼女は歩み出す。塔を登る者として――
足取りは軽やかに、だが確かな意志を携えて。
その瞬間、門の前に新たなメッセージが浮かび上がった。
「……名前? 名前、か……最後に誰かに呼ばれてから、どれくらい経ったのかしら……。昔の名を使えば、過去に縛られてしまう……」
「……ならば――」
「ネイヴァ。」
「私の名は……ネイヴァ・ウィンター。」
氷雪のように静かに、けれど確かな声で彼女はそう名乗った。
それは、現在の彼女をもっとも正確に象徴する名。
“冬の雪”という意味を持つその名は、
氷の姫君に新たな歩みを与える最初の一歩となった。
|ようこそ塔へ、ネイヴァ・ウィンター。あなたの願いが叶いますように|
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます