異伝カチカチ山 ~ V-Tuber寧々と炎上軍師家康 ~

月影 流詩亜

第1話 静かなる悪意の火種

 ​

【​視点:因幡寧々いなば ねね


 ​春の柔らかな日差しが、レースのカーテンを透かしてテーブルの上にキラキラと踊っている。

 その光を一身に浴びて鎮座するのは、淡いピンク色に輝く宝石のようなスイーツたち。


 私の目の前で、親友であり最高のマネージャーでもあるお松が、小さなフォークを片手にうっとりとしたため息をついた。


 ​「寧々、これ、やばい。この桜餡さくらあんのモンブラン、見た目も味も天才の所業だよ。

 次の配信、絶対にバズる!」


 ​黒く艶やかな犬の耳を嬉しそうにぴくぴくと動かしながら言うお松に、私は満面の笑みで頷いた。


「でしょ? 桜の葉の塩漬けが、餡の甘さを引き立ててて……。 これならリスナーのみんなも喜んでくれるかな」


 ​V-Tuber「ふわもこ寧々」としての私の活動は、このカフェの一角から生まれることが多い。

 季節のスイーツや雑貨を紹介したり、時にはリスナーさんからのお悩みに答えたり。

 ふさふさの白いウサギの耳と尻尾がチャームポイントの私は、ありがたいことに「癒し系V-Tuber」として多くの方に応援してもらっていた。


 チャンネル登録者数も、もうすぐ夢に見ていた大台に届きそうで、企業からのコラボ案件も少しずつ増えてきた。

 すべては、温かいコメントで支えてくれるみんなのおかげだ。


 ​「まあ、あんたの人柄あってこそだけどね」


 お松はモンブランを一口頬張り、幸せそうに目を細める。


「それにしても順調すぎて、逆に怖いくらいだよ」


 ​その言葉が、私の心の隅に小さなさざ波を立てた。

 けれど、目の前の幸せな光景が、すぐにその不安をかき消してくれる。

 この穏やかな日常が、ずっと続けばいい……そう思った、まさにその時だった。


 ​カランコロン、とけたたましいドアベルの音と共に、勢いよくカフェの扉が開かれた。


「寧々様! この好色藤吉郎こうしょく とうきちろう、本日も貴女様という名の天下をお迎えに上がりました! さあ、この婚姻届にサインを!」


 息を切らしながらビシッと敬礼を決めるのは、猿顔が特徴のウサギ獣人、木下藤吉郎くん。

 彼は私の熱狂的なファンを公言してくれている駆け出しのV-Tuberで、こうして毎日のように情熱的な……そして少し一方的なアプローチをしてくれる。


 ​「藤吉郎、あんたまた来たのかい。

 店の迷惑も考えな。寧々はあんたみたいな猿にはやらんよ !」


 お松が呆れたように立ち上がり、仁王立ちで藤吉郎くんの前に立ちはだかる。

 その光景に私は思わず、クスリと笑ってしまった。


 ​「ごめんね、寧々ちゃん、お松さん。藤吉郎がまた迷惑を……」


 藤吉郎くんの後ろから、彼の親友で、お松の恋人でもある犬千代利家いぬちよ としいえさんが申し訳なさそうに頭を下げた。

 穏やかで誠実な利家さんは、いつも暴走しがちな藤吉郎くんのなだめ役を一手に引き受けてくれている。


 ​「ううん、大丈夫だよ、利家さん。藤吉郎くんも、いつも応援ありがとうね。でも、婚姻届は受け取れないかな」


 私がやんわりと断ると藤吉郎くんは、


「おお、寧々様! そのお優しいお言葉、今日の配信の糧とさせていただきます!」と感激に打ち震え、利家さんに首根っこを掴まれて店から引きずられていった。


 ​笑い声が溢れる、いつも通りの幸せな時間。

 私はこの場所が、この仲間たちとの何気ないやり取りが心の底から大好きだった。


 ​その日の夜。


 私は自室の配信ブースで、無事に生配信を終えたところだった。

 今日の配信も、紹介したスイーツが可愛いと大好評で、コメント欄は温かい言葉で溢れていた。


 ​『寧々ちゃんおつかれさまー!』


『モンブラン、明日早速買いに行く!』


『声聴いてるだけで癒される……』


 ​一つ一つのコメントに、胸がじんわりと温かくなる。

 みんなのこの言葉が、私の活動の原動力だ。ありがとうの気持ちを込めて、ゆっくりとマウスホイールを回し、コメントを遡っていく。

 その、ほんの些細な偶然だった。

 もし、ほんの一秒スクロールが速かったら、気づかずに済んだのかもしれない。

 ​私の目に、一つの書き込みが飛び込んできた。


 ​『ふわもこ寧々って、昔は別の名前で活動してたってマジ?

 しかも、他の配信者の悪口言って炎上したって噂』


 ​匿名のアカウントから投下された、全く身に覚えのない言葉。

 心臓が、どきりと嫌な音を立てた。

 全身の血が、さっと引いていくのが分かる。

 温かい言葉で満たされていた空間に、まるで一滴の毒が落とされたように、その黒い文字列だけが異様な存在感を放っていた。


 ​「……何、これ」


 ​誰かの悪意ある冗談?


 それとも、ただの勘違い?


 そう思おうとしても、一度見てしまった言葉は、とげのように心に突き刺さって抜けない。

 賑やかだったコメント欄の喧騒けんそうが、急に遠のいていくような感覚に襲われた。


 ​それは、これから始まる長く暗い悪夢の、ほんの序章に過ぎないということを、この時の私はまだ知る由もなかった。


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