バイバイじゃなくて、またねと言おうよ
咲翔
◇◆◇
榎本京介が転校するという噂が、私――川端沙莉の耳に入ってきたのは、桜の蕾が膨らみ始める三月中旬のことだった。
「榎本くんが転校?」
目をパチクリさせる私の横で、親友の咲良が頷く。
「お父さんの転勤なんだって。小中学校はここで通ってきたけど、中三は向こうで過ごして受験もそっちでするって」
「咲良はそれ誰から聞いたの?」
「深田よ。幼馴染なんだけど、あいつ、榎本と仲いいでしょ?」
「ああ」
私は深田くんの顔を思い浮かべた。確かに彼はよく榎本くんと一緒に居るイメージだ。
仲良しの友人と中学最後の一年間を過ごせないことになった彼は、今一体どんな気持ちなんだろう――、じゃなくて。
「榎本くん、本当に居なくなっちゃうの?」
「ほんとよ!」
咲良が私の肩を強くつかんで揺さぶった。
「どうするの沙莉! このまま想いを伝えないままお別れでいいの!?」
そう、私はその榎本くんに、かれこれ二年間片思い中なのであった。それはほぼ誰にも言ってなくて、かろうじて咲良が知っているくらいである。
もちろん、榎本くんに仄めかそうとしたことも、思わせぶりな態度をとったこともない。
「……それは嫌」
「でしょ?」
咲良が私の返事を聞いて大きく頷いた。
「それじゃあ、ちゃんと伝えなきゃ。沙莉、ほんとにあたし応援してるから!」
「うん、ありがとう」
咲良の声を聞きながら、私は頭の中で榎本くんを好きになったあの日のことを思い出していた。
あれは、中学一年生の春のこと。
ある晴れた日の昼休み。図書室に来ていた私は、上限である十冊まで本を借りようとして大量の本を抱え込んでいた。
そして私はそれをカウンターに持っていこうとしたところで、バラバラと本を床に落としてしまったのだ。
「あっ」
慌てて拾おうとかがむ。私が三冊ほど抱え直したところで。
「大丈夫?」
声変わりしかけている男子の声が上から降ってきた。そのままその声の主は私と同じようにかがんで、残りの本をかき集めてくれたのだ。
「榎本、くん」
その男子こそ、榎本京介くんだった。小学校は同じだったけれど、あまり話したことはなかった榎本くん。
「あ、川端じゃん。今年、初めて同じクラスになったよね?」
榎本くんの言葉でハッとする。そうだ、中学で初めてクラスメイトになったんだ。……っていうか、榎本くん、クラスに私が居ること気づいてたんだ。
「そうだったね、よろしくね」
私がそう言って、榎本くんから本を受け取ろうとすると。
「また落とすかもだし、運ぶよ」
「あ、ありがとう」
榎本くんと一緒に貸し出しカウンターまで向かう。
「川端はよく図書室来るの?」
「うん、本好きだから。榎本くんも?」
元気な男子の多くが校庭へ遊びに出る中、榎本くんのような運動部の子が晴れの日に図書室に来るなんて珍しい。そう思った私が聞くと。
「うん、俺意外に見えるかもしれないけど本好きなんだよね」
その時の笑顔が、忘れられなかった。
これが私の榎本くんを好きになったきっかけだ。それから偶に、図書室で会えば読書の話をお互いにするようになっていた。
そんな榎本くんが転校してしまう。
大好きな人であると同時に、貴重な本友達である榎本くん。
会えなくなるの嫌だよ。
それでも、彼との別れの時は刻一刻と近づいていた。
◇
ついに終業式の日が来た。榎本くんがこの学校に来る最後の日だ。中学二年生になってからはクラスが別々になってしまったため、私は彼のクラスの終業式後の学活が終わるまで廊下で待つ。
「さようならー」
榎本くんのクラスから、元気な終わりの挨拶が聞こえてきた。もうすぐ彼も出てくる。
胸の奥がギュッとした。緊張しているのかもしれない――私の心臓はドクドクと音を立てている。
そんな私の視界の隅に、教室の扉から出てくる榎本くんの姿が映った。今だ、飛び出す。
「榎本くん!」
私は叫んだ。その声に彼以外の子たちもこちらを見るが、気にしてなんかいられない。
「あのさ、話があって」
「川端、こっち」
「えっ」
気づけば私は榎本くんに手首を掴まれて、誰もいない階段の踊り場に連れてこられていた。
「俺も川端に用があって。で、先聞くよ。話って?」
「……私ね」
ギュッと両の手を握りしめる。それでも目は榎本くんを見つめたまま。私は言う。
「榎本くんのこと、大好き。たくさん話してくれてありがとう。本当に楽しかった」
頬が赤くなっているのが分かった。
少しの沈黙のあと、榎本くんが口を開く。
「良かった。すげぇ嬉しい」
「え」
「俺も川端のこと好きなんだ」
「え?」
私は固まった。榎本くんも、私のことを?
「だからさ、俺たちはバイバイなんて言わずに、またねって言おう」
榎本くんの頬も赤くなっていた。
「遠距離だけど、俺また絶対会いに来るから。じゃあそれまで」
またね。
榎本くんは片手を上げて去っていった。私は寂しさと、驚きと、嬉しさと、胸いっぱいの幸せを抱えて。
ただそこに立ち尽くしていた。
「京介くん、またね」
私の呟きは、春の空気に溶けていく。
バイバイじゃなくて、またねと言おうよ 咲翔 @sakigake-m
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