カッコウは空の夢を見るのか

にわ冬莉

擬態

 私が卵を産んだのは十二月に入ってからのことだった。


「立派な有精卵ですよ」

 そう言って助産士さんに渡された卵は、薄いクリーム色をした暖かい楕円形。そっと抱きしめると、まだ聞こえるはずもない鼓動が響いてくるかのような幸せな気分になる。


「これが私の……」

 この子が世に姿を現し、私がきちんと母親になるまであと半年。それまでの間、私はこの子を温め続けなければならない。


 今は昔と違い、孵卵機での人工孵化が当たり前となっている。医学博士の中には、面白おかしく「孵卵機を使うのと自然孵化とでは生まれたあとの人格がどう違ってくるか」を唱えた本などを出して議論を呼んでいる。その博士が言うには、孵卵機で生まれた子供よりも自然孵化で生まれた子供の方が、性格が優しく穏やかである、というのだ。何の根拠もない、イメージだけで作られた話だと私は思ってしまうのだけれど。


 だって、温め方の違いで性格など変わるものだろうか? そりゃ、想像するに母親の体温で温められた卵はなんとなく優しさに包まれているようないいイメージが湧き易い。日々、話かけて大切に半年を過ごして生まれた子供は優しい子になりそうな気はする。けれどそんなの単なるイメージで、卵の状態で話かけても中の子供はまだほとんど耳が聞こえていないのだから母の想い、愛は伝わらないと思う。要は気の持ちようなのではないだろうか。昔ながらに親が半年間、そっと抱いて暖めるのを推奨する人もいるけれど、今やそんな時代は終わり、機械的にきちんとした一定の温度で暖めてやるべきだという意見も多いのだ。実際、卵を産む女性の七割は孵卵機での人工孵化を選んでいた。その方がギリギリまで仕事ができるし、昔ほど料金もかからない分、経済的にも負担は少ないからだ。


 けれど私は自然孵化を選んだ。


「この子には、生まれる前から愛情を注いであげたかったから」

 そんな風に発言して高感度を上げた女優もいたが、そんな理由ではなかった。


『ただ、抱いていたかった』


 私の理由はそれだけ。

 この卵を、ただ毎日抱いて過ごしてみたかった。まだ正しい形を成していない我が子。自然孵化には事故もつきもので危ない、という意見も耳にはしたが、そんなリスクを負ってでも私はこの卵を抱いていたかった。


「お前は変わり者だな」

 はじめは反対していた夫も、とうとう私の頑固さに根負けし最後は苦笑いでそう言った。義母は今でも反対しているが、人工孵化への申し込みはしていないのだから、自分で温める以外道はないのだ。ここまでくれば何を言われても関係なかった。要はきちんと孵しさえすればいいのだから。


「これから大変ですね」

 助産士は、そう言って大袈裟に眉を寄せ微笑んでみせた。私は曖昧に頷くと、手にした卵をもう一度じっと眺める。あと半年……。まだ半年? ううん、たったの半年間。この半年間を大切にしよう。卵を抱き続ける、という原始的な時間を過ごすことで、私は空に還れそうな気がしたのだ。


 人が翼を持たなくなってから数億の時が流れた。


 昔、私たちの祖先は空に住んでいた。なのにどうして翼を捨ててしまったのだろう? 今や私たちの背中にはその痕跡すら残されていない二枚の羽根。空行く鳥たちを目にするたびに、私はそう問いたくなる。


 飛びたいか、と言われれば大きくイエスと答えよう。なぜあの自由な空を、我々は手放してしまったのだろうか……。


 私は抱き締めた私の卵にそっと口づけをした。布団に潜り込むと、卵を覆うように横向きで体を丸める。潰してしまわないよう、最善の注意を払って。

 私の可愛い子……。



「正直、あいつが自然孵化を選んでくれて助かったよ」

「じゃ、うまくいったのねっ?」

「ああ、あいつが風呂に入ってる間は俺が卵を見てるんだ。その時にコッソリすり替えた。あとは放っておけば、生まれるまであいつが温めてくれるさ」

「ねぇ、これから私はどうすればいい?」

「慌てるな。子供が孵ったら、今度はあいつとお前が入れ替われるようにしてやる」

「嬉しい! 約束よ?」

「ああ、約束だとも」



 正義は勝者のものであり、愛は信じた者のもとにのみ存在する。

 そして命は、奪った者のものとなるだろう。



 世界とは、そんな風にできているのだから──。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カッコウは空の夢を見るのか にわ冬莉 @niwa-touri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ