第3話 二日目

 二日目から本格的なサマースクールが始まった。

 比較的涼しい午前中は周辺散策に生物や植物の観察といった実践的なフィールドワークが多めで、午後は屋内で学習プログラムをみっちり受ける。

 食事以外の休憩時間もあるけれど、ここで受けられる高度な授業をみすみす逃す参加者は居ない。さすがに二日目からプログラム変更する参加者はいなくて、みんな予定通りに過ごしている。

 昼食後、教室移動のふとした時に茉莉花まりかの姿を探すけど、全部で12あるグループはそれぞれグループ内で別れて行動する事もあるから、60人の参加者の中から茉莉花一人を見つけるのは意外と難しい。


姫郷ひめさとさん! 遅いぞ!」


 乱暴に呼びつける鷲尾わしおさんの声にびくりとしながら、相変わらずごまかすように、にへらと笑みを浮かべるしかできなかった。

 昨日の名づけの時、それなりに会話が出来たと思っていたのに、またぶっきらぼうな言葉を投げつけてくるのと同時に睨むような視線を感じる。

 理由が分からないだけに、時間が経つにつれてわたしはイライラを募らせていた。

 突き放すような態度を向けてくる男子に話しかけるのが怖くて、わたしは胸のモヤモヤがじっとりと重さを増やしていくのを感じた。

 午後は男子二人と美華メイファが受けるプログラミング教室は別方向だと、基礎学力向上の教室へ向かうわたし達に別れた。

 わたし達に付いているのはヴァイスだ。小鳥ことりとの会話を妨げずに、いいタイミングとテンポでわたし達の会話に入って来る。無理に会話を続けさせるように話しかけてくる事も無い。

 それでも会話が途切れて考える事が無くなると、どうしてもイライラが蘇ってくる。


 ――何なのよ!? 言いたい事あるなら言えばいいじゃない!


 相手のいないところで、しかも胸の内で叫んでみてもちっとも気が晴れない。かと言って直接問いただすなんて、ちょっと無理そうだ。

 生理的に無理は理解できるけど、それならそうと早く言って欲しい。あの人とはどうしても無理だとお互いが申請すれば、グループメンバーの入れ替えだって出来るのに。

 そうしないで強い言葉をぶつけてくる鷲尾が嫌い。言いたい事を我慢して睨んでくる鷲尾が嫌い。

 きっと鷲尾はわたしが嫌いなんだろう。

 それならわたしも鷲尾を嫌っていいはずだ。


「ねぇ瑞希みずきちゃん。鷲尾くんと何かあったの?」


 わたしの様子を探るように小鳥が恐る恐る問いかけてきた。


「注意してたんだけど、態度に出てた?」


 そう答えると、彼女は予想は当たったけど嬉しくなさそうな、微妙に歪む困り顔を浮かべた。


「前からの知り合い?」


 続く問いに、わたしは首を横に振って否定した。

 元々の知り合いならどんなに楽だったかと思う。十日間のサマースクールで偶然知り合ったどこかの誰かでしかない男子に、どこまで話していいのか分からない。


「じゃあなんでなんだろう……」


「……わたしが知りたいよ」


 ポツポツと口を吐いて出るのは、自己紹介の後から感じていたわたしへの嫌悪感。

 美華や小鳥には向けられない悪意を感じていると話した。

 それらが向けられる理由も意味も分からなくてうんざりし始めている自分もちょっと嫌になっていた。

 ふっと溜息をついて隣に目を向けると、小鳥は天井を見上げながら考え込んでいた。ほんの少し待っていると、彼女はわたしの目を見ながら口を開いた。


「いきなり本人相手に理由を聞くのはよくないかもだから、大人の人を頼ってみたらどうかな?」


「大人の人?」


 そのまま問い返すと、小鳥は順を追って説明してくれた。

 一番の近道は本人同士が話し合う事だけど、お互いここで知り合ったなら相手の考え方や性格もよく知らないままだと、直接の話し合いは逆効果になるかもしれない。

 だからと言ってこのままどちらも不満を抱えたまま同じグループを続けるのは嫌だろうし、小鳥自身折角のサマースクールなのにギスギスしたグループよりは、一緒に居て楽しいグループの方がいいと言う。

 それは当然の想いだと思った。わたしだってグループのみんなと仲良くしたい。

 

「そこで朝倉さん。第3グループ担当だし、困ってるって最初に相談するなら朝倉さんしかいないでしょ」


 大人に相談するのも結構ハードルが高いと考えていると、わたしの背中を押すように小鳥が続けた。


「不安かも知れないけど動き出さないと何も変わらないよ? もう二日目なんだし」


 それはそうだけど、と思いながらわたしは曖昧な返事を返していた。

 小鳥に相談したのが良かったのどうかよく分からない。

 はっきりしているのは、この問題を片づけないと残り八日間もこの調子が続くという事だ。

 わたしは何とか気持ちを切り替えながら午後の学習プログラムを終えると、グループのみんなに「調子が悪いから医務室へ行く」と噓をついた。

 丁度、明日の野外活動について男子の部屋で話し合おうと決めたタイミングだったから、そっちはみんなに任せると言って部屋を出た。小鳥は途中で察したようだけど、美華は最後まで一緒に行こうかと心配してくれていたのが心苦しい。

 隣に立つヴァイスは何も言わずにわたしの後をついてきた。

 目的の部屋に着くなりドアをノックする。

 ほとんど待たされる事も無く開かれたドアの先に、見知らぬ男性が立っていた。わたしは自己紹介とここに来た目的を説明する。


「わたし、第3グループの姫郷 瑞希といいます。朝倉さんに相談があって来ました。いらっしゃいますか?」


 男性はわたしよりも側にいるヴァイスに注意を向けてから、部屋の中へ引き入れてくれた。そのまま小さな会議室に通されたわたしに座って待つように言うと、男性は部屋から出て行った。


「まるで職員室みたい……」


 会議室までの短い道のりを思い出して、誰に言うでもなく独り言ちるとヴァイスが反応した。


「見知らぬ大人に注目されて緊張していたのデスネ」


「そうかも」


 わたしの顔を見るヴァイスに表情があるように思えた。その大きな両目は明るくも暗くも無い、落ち着きのあるブルーで灯っている。

 思わず含み笑いをしていると、ドアをノックする音が会議室に響いた。顔を向けると朝倉さんがここに入って来る姿が見えた。


「相談があると聞いたけど、ヴァイスか白虎に不具合でもあったの? こちらではモニタリングできていないんだけど」


 かなり慌てた様子で、会議室へ入るなりそう捲し立てた朝倉さんは、わたしの対面の椅子に腰を下ろした。

 ぐっとわたしを見据える目が怖い。


「いいえ。ヴァイスも白虎も元気です」


 そう言うと、朝倉さんは露骨に脱力してみせてから「ハァー」と大きく息を吐いた。


「そう。良かった。まだ二日目なのに何か相談したくなるようなエラーが発生したのかと、心臓が跳ね上がったわよ。今もバクバク言ってる」


 そう言いながら朝倉さんが何かサインを送った。振り返るとガラス窓の向こうから、何人もの大人の人がこちらを覗き込んでいるのが見えた。みんな安心した顔を浮かべるのが見えた途端、ガラスは真っ白に曇って何も見えなくなった。

 

「それじゃ姫郷さんの相談というのを聞きましょうか」


 優しい大人のお姉さんのような微笑み顔を見て、わたしは相談する事に決めて良かったと思った。

 小さく深呼吸してから話を始める。


「あの、同じグループの鷲尾さんと……こう、合わないというか、嫌われているというか……」


 小鳥に話したのと同じく、自己紹介の後から感じていた自分へ向けられる嫌悪を含む言葉と視線が嫌だった事から説明を始めた。

 そしてそれらが美華や小鳥、千種さんには向けられないもので、疎外されているようにも感じている事も話す。

 どうして昨日会ったばかりの自分に悪意を向けてくるのか理解できない事や、その理由は知りたいけどこれ以上強い言葉や敵意に晒されるのは怖いと思っている事も話した。

 わたしが話す間、朝倉さんは急かしたり口を挟む事も無く、静かに話を聞いてくれた。


「それでわたし、どうしたらいいか分からなくって。小鳥ちゃんに相談したら、直接鷲尾さんと話す前に大人の人に、朝倉さんに相談した方がいいってアドバイスしてくれて……」


 相談したい事を全部話したら、朝倉さんは腕組みしながら天井を見上げていた。黙って反応を待っていると、朝倉さんはふうっと息を吐きだしてから、申し訳なさそうに口を開いた。


「なるほどねぇ。んー……あのね姫郷さん。私、参加者同士の問題には関知できないのよ」


 申し訳なさそうな顔と絶対に覆りようのない口調がぜんぜん一致していない。ぞわりと背筋に悪寒が走る。

 怖くなったわたしはただ反問しかできなかった。


「え? でも……」


「昨日言ったわよね? 私は技術サポート担当って。AICUアイキューの不具合やメンテナンス、あと参加者とAICUの間で発生する疑問や質問には対応出来るんだけど、グループ内の人間関係によるいざこざに介入する権限が無いのよ」


 ぴしゃりと突き放すような言い方に涙が溢れてきた。

 頼りにしてきたのに、頼ったのは間違いだったのかと後悔が頭を過った。

 パパもママもいないこの場所で、他の誰を頼れと言うのだろう。きっかけをくれたから小鳥に話す事ができたのに、権限が無いから無理って言われても……。


「でも、そんな事言われても。わたし達のグループについてくれてて、相談できそうな大人の人って、朝倉さんしかいないのに……」


 ぽろぽろ溢れ出す涙を拭いながらそう言うしかできなかった。

 そんな事を考えながら朝倉さんへ顔を向けると、厳しい表情は変わらないものの、何か自信のある顔をしていた。


「そうね。そんな時の為にAICU……ヴァイスと白虎、あの仔達がいるでしょう?」


「でもヴァイスはAIじゃないですか」


 思わず口を吐いて出ていた。

 だってヴァイスはAI、つまり機械だ。機械が人間の感情を理解したとか、機械が感情を思ったなんて聞いた事が無い。

 わたしの気持ちは分からない。

 すると朝倉さんはキッと両目に力を入れると、真剣な眼差しでわたしを真っ直ぐに見返した。


「あなたと同じように困っている人が誰一人として、後で、実は言いたくなかったとか言う事聞いて損したとか、とにかく、後悔しないように援ける存在を創りたいのよ、私達。今現在の最新鋭自律型AICUであるヴァイスは最高傑作よ。その時の気分や立場で言う事を変えるにんげんよりも、ずっと姫郷さんの事を理解しようと勉強して、援けようと考えてくれるのがヴァイス達なの」


 その力強い言葉に顔を横へ向けると、ヴァイスはさっきと変わらないブルーの眼をわたしに向けていた。


「この会議室少しの間貸してあげるから、ヴァイスに相談してみなさい? 姫郷さん」


 朝倉さんはそう言い残すと振り返りもせずに会議室を後にした。

 その後、耳がキーンとなるほどの静けさの中、私は朝倉さん相手とは違う緊張を感じながら口を開いた。


「ヴァイスはわたしの話を隣で聞いてどう思う?」


「ソウですね。瑞希サンの気持ちがそうなっている理由は分かりました。ですが鷲尾サンからも話を聞きたいと思いましタ」


 咄嗟に頭に浮かんだのは、わたしが朝倉さんやヴァイスに告げ口したと思われる恐怖だった。

 やめて貰わなきゃ。じゃないとグループはもっとおかしくなる。

 そう思ったわたしはヴァイスに話しかける。


「あ、あの……」


「心配しないで瑞希サン。記録を確認しましたが、確かに鷲尾サンの話し方や態度には、瑞希サンがそう受け取る事が十分可能だとワタシも思いマス」


 ゆっくりと明暗を繰り返すブルーの瞳はまっすぐにわたしへ向けられている。


「デスから、ワタシはワタシの記録確認によって生じた疑問を、鷲尾サンに問いかけるだけですヨ」


「でも……」


「大丈夫。ワタシはみんなの味方デス」


 そう言ったヴァイスはウィンクするように右目だけ点滅させた。


「みんなの味方?」


「ハイ。ワタシは特定個人を支援する事はできません。ですが公平に支援する事を約束します。それに、人と人がコミュニケーションを取り合うのですから、どこかで行き違いや思い違い、勘違いが発生する事は避けようがありまセん。ここまでは分かりマスカ?」


 こくりと頷き返すと、ヴァイスも軽く頷いてから話を続けた。

 ヴァイスがゆっくりと分かりやすい言葉で教えてくれたのは、わたしが抱いているこの嫌悪感が、実はいつの間にかわたし自身が考え出したものかも知れないという事だった。だから鷲尾さんからも、彼が自分の行動をどう考えているか話を聞く必要があるそうだ。

 言葉の意味は分かるけど、何かがわたしの胸の奥をチリリと引っかいたような不快感を覚えた。


「コウいう問題は早期解決が重要です。今ならまだ、瑞希サンは自分が間違っていたと理解できた時に、相手へ謝罪する事が出来るデショ?」


 正直言えば分からない。分からないままに俯くと、会議室のテーブルには不安で一杯の自分の顔が映っていた。

 もしもヴァイスの言う通り、わたしの思い違いで勝手に一人でそう思っていただけなら……。もしも彼の言葉や目つきに理由があったなら……。もしもその理由がわたしにあったなら……。

 そう考えると顔から火が出るほど恥ずかしくなった。

 だけどヴァイスの言う通り、今なら恥ずかしく思えるだけで済む。

 もしもわたしが間違っていたなら、自分の間違いを直すためにわたしは彼に謝らなきゃいけない。


「頑張る」


 そう答えるとヴァイスは喜んでいるような電子音を鳴らした。そして「続きはお部屋で、みんなと話しまショウ」と言った。

 朝倉さんにお礼を伝えてソフトクリームのコーンを逆さにしたようなヴァイスの手からにゅっと伸びた指を、わたしは何のためらいもなく握っていた。

 第3グループ男子の部屋に戻ったわたしを待っていたのは、他の4人と白虎だった。

 何故か鷲尾さんが居心地悪そうにこっちを見ている。

 後で美華と小鳥から聞いたところによると、野外活動でそれぞれの担当決めを話し合っている途中で不意に、白虎が口を開いたそうだ。


『ソウいえば蒼空そらクン。君は他の三人に対する言動と姫郷サンへの言動に差異を見せますネ。何か理由があるのデスカ?』


 あまりに唐突だったから鷲尾さん以外は揃って目を丸くすると、見ている事しか出来なかったらしい。あまりにも自然に会話へ割り込んできたから、当の鷲尾さん本人もびっくりして両目をパチパチと瞬かせていたそうだ。


『はぁ!? そんな事してねーし』


『ソレでは時折り、相手を睨みつけるような目つきをするのは何故デスカ?』


 美華と小鳥もそうした視線は感じていたらしい。今日たまたまわたしが小鳥に相談していたから、彼女はあの睨むような視線は自分じゃなくてわたしに向けられたものだったと思ったそうだ。

 これは千種さんも一緒で、彼が『時々睨んでくるけどなんでなの?』と、白虎の疑問に乗っかってそう口にすると、鷲尾さんは顔を伏せてから小さな声で何かを答えた。


『ごめん聞こえなかった』


 千種さんがそう言って催促した。すると鷲尾さんは真っ赤染めた顔を上げて答えた。


『持ってきたコンタクトレンズが合わなくて、裸眼の時は目を細めないとよく見えないんだよ!』


 これを聞いた美華達三人は揃って『はぁ~!?』と呆れたような反応しかできなかったらしい。わたしも直接聞いていたら『なにそれ』くらいは言っていたと思う。

 その後白虎がコンタクトレンズの替えを用意できるか聞くと、鷲尾さんは開催中には間に合わないと肩を落として答えたそうだ。


『ソレは残念です。しかめ面の蒼空クンもワタシは好きですが、理由が分かれば仕方ありませんね。では、言葉についてです。なぜ姫郷さんと他の三人とで、単語や語気を使い分けるのデスカ?』


『俺はそんな事してない!』


『蒼空クンと一緒にいる時間の長いワタシの記録がそうだと教えてくれました。だから不思議に思って聞く事にしたのデス』


 白虎の質問に、鷲尾さんははじめ何も答えようとしなかったそうだ。

 だけど誰も口を開かない時間が過ぎていくと、鷲尾さんは大きな溜息をついてこう答えた。


『陰口になるから言えない』


『ナルホド。そうですね、蒼空クンの言う通り、確かに陰口はいけません。では陰口でなければどうですカ?』


 白虎の天然なのか計算なのかわからないこの発言に、部屋にいた四人は揃ってまた『はぁ~!?』と声を挙げたそうだ。


 そんなタイミングで男子部屋に戻ってきたわたしは、異様な雰囲気の室内に居心地の悪さを感じていた。

 何故なら今わたし達の目の前で、白虎がヴァイスに何をしていたのかと会話を始めたからだ。

 ヴァイスはわたしの体調を一時的な過労と説明してから、朝倉さんとのやり取りを上手にまとめて語ってみせた。


「確かに鷲尾サンの言動には、ごく小さな不整合がありましたネ。ワタシも何故だろうと違和感を覚えていたのデス」


 肩をすくめたかのような仕草を見せたヴァイスがそう言うと、白虎は何度か頷いてから応えた。


「ワタシも同じです。そこで理由を訊ねると蒼空クンは、陰口になるから言えないと。しかし今状況は変わりました。陰口にはならないので教えてくださイ」


 二人? のやりとりを聞いていたわたしは、ぎゅうっとお腹を掴まれたような苦しさを感じた。


 ――え? わたしだけいない場所で喋ると陰口になる? じゃあ、あの突き放すような強い言葉の原因はわたし?


 驚いて体が硬直する。

 だってわたしには心覚えが無いのだから。

 鷲尾さんはずっと視線を逸らしたまま何も言わずにいた。白虎は急かずにただ彼の返事を待っていた。

 すると美華がしびれを切らしたように口を開いた。


「蒼空くん無自覚かも知れないけど、なんか時々、瑞希ちゃんにはキツく当たってるの、私見てるからね」


「してないって」


 即座に否定する鷲尾さんに美華は「だから無自覚なんでしょ」と言い返した。

 そこへトーンを抑えたヴァイスの声が部屋の隅々まで行き渡った。


「美華サン、今白虎は鷲尾サンの返事を待っていまス。すみませんが発言は控えてクダサイ」


 ヴァイスに注意された美華がドスンと大きな音を立てて座りなおしても、そっぽ向いた鷲尾さんは何も答えようしなかった。

 どんどん重くなる部屋の空気に耐えきれず、わたしは口を開いた。


「あの……鷲尾さん。わたし、あなたをなにか、どこかで怒らせちゃったかなぁ?」


 涙はどうにか堪えたけれど、声が震えるのはどうしようもなかった。小刻みに体が震えて仕方ない。

 それでもちゃんと聞かないと謝る事も出来なくなる。

 覚悟を決めて切り出したわたしを、鷲尾さんは睨むような目つきをして話し始めた。


「最初の自己紹介だよ。友達が別グループになって残念って言ったろ」


 わたしはこくりと頷いて認める。確かにわたしは「友達茉莉花と別グループになって残念だけどよろしくお願いします」と口にした。


「俺はこのサマースクールを本当に楽しみにしていたんだ。当選したその日からずっと。なのに初日からメンバーが残念とか言われて、怒って何が悪いんだよ!」


 鷲尾さんもまた、ずっと我慢してきた感情が堰を切った奔流のように流れ出した。


「知ってるよ、そんなつもりで言ったんじゃないんだろ? 分かってるよ、こんな事でそんなに怒る事無いってみんな言うんだろ? だけど考えてみろよ!?」


 わたし達と鷲尾さんの間を遮るように白虎が一歩前に出た。そして感情のまま不満をぶちまける鷲尾さんの肩に両手をかけた。


「蒼空クン。他人にとってはどれほど小さな事であろうと、キミが不快に感じたのなら怒っていいんデスヨ」


 横から千種さんが「でもそんな事でいちいち怒ってたら……」と言うと、白虎は彼に顔を向けた。そして諭すような優しい口調でこう続けた。


「ソウですね、雄介クン。キミにとってはそんな事でも、他の人にとってはそうじゃない場合があるというだけデスヨ」


 ただあの瞬間の気持ちを口にしただけと思っていたわたしは、鷲尾さんが傷ついた理由に思い至った。

 楽しみにしていたサマースクールの自己紹介でいきなり、本当は別の人がいたら良かったと言われたらどんな気持ちになるだろう。

 名指しした訳じゃない。

 だけどわたしの言葉が、あなたじゃなくてあの人がいたら良かったと聞こえたのなら……。

 千種さんと小鳥はあの時、鷲尾さんと同じように受け止めなかったけど、そういう見方があると知ったらどう思うだろう……。

 鬱々と考える間にわたしは自然と頭を垂れていた。

 誰も口を開かなくて、衣擦れの音さえ消えて静まりかえった室内に、ヴァイスの声が響いた。


「サテ、瑞希サン、蒼空クン。グループ変更を申請しマスカ?」


 呼びかけられたわたしが慌てて顔を上げると、鷲尾さんは驚いた顔をこちらに向けていた。

 わたし達と鷲尾さんを遮っていた白虎はいつの間にかヴァイスの隣に立っていた。

 ごくりと固唾をのみ込んだその音が部屋中に広がったんじゃないかと思えた。それほど緊張している自分を奮い立たせて、わたしは口を開いた。


「待って! その前に謝らせてください。それで鷲尾さんが許してくれるかは分からないけど、ちゃんと謝りたいんです」


 みんなの視線が鷲尾さんに集まると、彼は引き攣ったような表情を崩しながら頷いて了承してくれた。


「ごめんなさい。そんなつもりで言ったんじゃないんです。でも、傷つけてしまって本当にごめんなさい」


 腰を曲げて謝るわたしに彼はすぐ、頭を上げるように言った。

 お互いの視線がぶつかるのを感じていると、鷲尾さんはふっと息を吐いてから話し始めた。


「あれだろ? 美華さんとその友達って地元で付き合いがあるんだろ? それが揃って当選とかものすげぇ偶然だけど、それなら一緒になれなくて残念だよな」


 彼の話す内容に違和感を覚えたわたしは今度は間違えないと、すぐに訂正する。


「え、違うよ? 美華ちゃんも茉莉花ちゃんも、来る途中の飛行機で知り合ったばかりだよ」


「は!?」


 驚いた声を挙げる鷲尾さんに、美華が「住んでる地域も全然違う」と補足する声が聞こえる。

 わたしは彼に、飛行機で偶然横並びになった事や今回のAICUが可愛いという共通の話題で盛り上がった事を説明した。


「え!? それで友達? マジで?」


 驚きを隠さない鷲尾さんの問いかけに、わたしは黙って頷き返した。すると鷲尾さんは千種さんに顔を向けて「女子ってそうなのか?」と質問していた。

 首を捻る千種さんが答える前に、わたしは自分の考えを話す事にした。


「知り合ってどれくらいで友達と呼ぶかは人それぞれだと思う。わたしもあっと言う間に仲良くなれたのはびっくりしたよ。でも美華ちゃんと茉莉花ちゃんは友達だと思ってる」


 そこへ小鳥がおずおずと様子を伺いながら、わたしに声をかけてきた。


「私は?」


「小鳥ちゃんも友達だよ。美華ちゃん達と一緒。ここで知り合った友達だと思ってる」


 相好を崩して安心の微笑みを浮かべる小鳥と、わたし達のやりとりを見ていた美華が楽しそうに傍へ寄ってきた。


「友達ってこう、助け合ったりするもんじゃないのか?」


「それで友達なら僕と蒼空くんはもう友達だよね? 昨日と今日、一緒に行動して助け合いが出来てた姫郷さん達とも友達じゃない?」


 困惑する鷲尾さんの言葉に千種さんはあっけらかんとした調子でそう返すと、わたし達を見回してから話しを続けた。


「僕は友達って、なってくださいなりましょうと約束してなるもんじゃないと思う。多分蒼空くんは友達とはこういうもの、みたいな一定の何かに出来上がったイメージを持っているんじゃない?」


 千種さんの問いかけに腕組みしてむむむと唸る鷲尾さんを眺めていると、もう一度ヴァイスがグループ変更を申請するか問いかけてきた。

 ここまで騒ぎを起こしたわたしはきっと第3グループに居続けられないと思った。

 また部屋の空気が沈む中、鷲尾さんが口を開いた。


「俺は申請しない。それと姫郷さん、勘違いで八つ当たりしてごめん!」


 驚いて鷲尾さんに目を向けると、彼は立ち上がって腰を曲げ、頭を下げていた。慌てて頭を上げるように言うと、顔を真っ赤にしていた。


「本当にごめんなさい。俺、先に傷つけられたと思って……。それで我慢しようと思う気持ちとやっぱりムカつくって気持ちをうまくコントロールできなくて。みんなもごめん」


 鷲尾さんの謝罪は続いた。

 わたしに悪意を向けた事、他のみんなにも態度が悪いと感じさせた事ばかりじゃなく、わたしが感じていなかった些細な事まで謝っていた。

 すると美華達から困惑の気配を感じた。わたし自身も困惑しているのにだ。

 覗き見するようにちらっと視線を向けると、鷲尾さん以外の三人はわたしと彼を交互に見比べるような視線を送っていた。

 わたしが感じていた彼からの嫌悪感や悪意が無くなるのなら、きっとこう返事するのが良いだろう。


「鷲尾さん。わたし、次からはもっと早く、それって変じゃない? とかイヤですと意思表示できるようにするね。鷲尾さんもできたら、わたしの言動で気付いた事あれば教えてください」


 思った通り、美華達も同じようにちゃんと意思疎通をしていこうと笑い合っている。

 それから鷲尾さんは、親の転勤が多くてあまり友達がいないと話してくれた。言葉が違ったりその土地の習慣を知らなかったりで、うまく馴染む事が出来なかったそうだ。

 だから友達という言葉や存在を特別に感じていたらしい。そんな鷲尾さんに、まるで相手を選んでるように聞こえるからあまり言わない方がいいと美華がアドバイスすると、彼は真剣な面持ちで黙り込んでしまった。

 黙り込む鷲尾さんに千種さんと美華が明るく話しかけて小鳥が相づちを打つと、男子部屋の中は次第に明るさを増していくように感じた。

 わたしも会話に混ざろうと一歩足を踏み出した時、ヴァイスが静かに傍へ来た。


「瑞希サンも申請無しでよいですカ?」


「はい。もちろんです」


「ソウですか。よかったですカ?」


「はい」


 短いやり取りの中、わたしはヴァイスに相談して良かったと、心から思った。

 きっと今、わたしはちゃんと笑えているだろう。

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