3話

 今日の最後の授業は先生の急な休みで自習になっていた。他の生徒は自由な時間を過ごせることに浮き足立っていたが、私にとっては、放課後までの時間が余計に長く感じる退屈な時間だった。代理の先生は「大人しく勉強しとけよ」と言ったものの、黒板に大きく「自習」とだけ書いて教室を去った。本当にそう思うならちゃんと見ておけばいいのに。ただの建前に過ぎないことは理解していたが、心の中でつい毒づく。


 監視の不在を理解した生徒たちは、スマートフォンを取り出したり、仲の良いグループで集まって談笑し始めたりと自由を謳歌し始めた。私は話し相手もいなければ、特にすることもないので、眠くもないのに机に突っ伏して時間が過ぎるのをただ待った。


「で、前言ってた人と最近どうなの?」


 手持ち無沙汰になると嫌でも意識が散漫する。隣の席の女生徒の会話が、盗み聞きをする気がなくても受動的に耳に入ってくる。


「あー、悪い人じゃないんだけど、ちょっと独特っていうか、こだわり強い感じでさ」


 無線のイヤホンは昨日充電し忘れたせいで、登校中にバッテリーが尽きていた。暇つぶしに何か文庫本でも持って来てなかったか、あるいは言われた通り勉学にでも努めようかとカバンを漁っていた。


「こないだ貸してくれたCDもさ、よくわかんなかったんだよね」

「あー、あるよね。悪気ないんだろうけど、自分の世界が強いっていうか」

「うん、ちょっと疲れちゃう」


 自分には無関係の話だったはずなのに、やけに胸騒ぎがした。心当たりがあったからだ。そもそも映画に興味がなかった彼女がなぜ映画研究会に入ったのか。友達も作らず変な部活に一人でいる変わりものを、哀れに思ったからじゃないのか。


 ヒラジマ先生に話を持ちかけられて、それで校舎の隅の薄暗い部屋で一人でいる私を見つけて同情したのではないのか。ユイは誰かを見下したり、蔑んだりするような人間じゃない。優しい人間だ。けれど、優しさと哀れみはどこに境界線を持つのだろうか。惨めだ。自分が惨めで仕方がない。


 私が哀れだったから、彼女に同情されて、彼女に気を遣われていた。それに私が自分のしたいことを押し付けていた。それを同じ存在だと舞い上がっていたなんて、自分が馬鹿みたいだ。怒りとも悲しみとも区別のつかない、胸の痛みが押し寄せて来た。


 気づけば、窓の外には雨が降っていた。


 授業が終わって、周りが帰宅の支度をし始めても、頭の中はさっき聞こえた会話の内容が占めていた。……今日はもう帰ろう、今の状態でユイと顔を合わせたくない。そう思って教室を出ると真っ直ぐに玄関へ向かった。しかし、不運なことに、廊下ですれ違ってしまった。部室へ向かうユイと。


「あ、カスミちゃん。どうしたの?」


 最悪なタイミングだ。今だけは会いたくなかった。顔を見るとネガティブな想像ばかりしてしまいそうだ。声をかけられても俯いたまま黙っている私を、ユイが心配そうに見つめる。


「……具合、悪い?」


「……大丈夫、ちょっと天気を確認したかっただけ。行こっか」


「……うん、無理しないでね」


 これ以上ユイに気を使わせたくない。そう思って、つい見栄を切ってしまった。本当は、今この場から逃げ出したくてたまらない。彼女の顔を見るのが怖い。だけど今帰ったら、きっと彼女は私の身を案じてくれるのだろう。そのことが耐えられなかった。


「この前の映画、良かったよね。終わり方が綺麗だった」


「……そうだね」


「やっぱりハッピーエンドって安心するなあ、私は」


「……うん」


 部室に向かう最中、ユイはいつも通り積極的に話しかけてくれるのに、うまく返答することができなかった。自分でもわかるほど様子がおかしい。情緒が安定していない。


「……今はふたりで観てるけど、いつかは部員をもっと集めてさ、みんなで映画とか撮れたら楽しいかなって……カスミちゃんは……」


「ねえ」


 立ち止まって、ユイの発言を遮る。自分でも聞いたことのない低い声が出た。


「なんで私なんかに、そこまで優しくしてくれるの?」


「……どうしてって、カスミちゃんと一緒にいたいから。私は……」


「同情してるんでしょ?私が……変わってるから、ひとりぼっちだから」


 嫌だ。こんなこと言いたくない。なのに、もはや自分の意思ではコントロールが利かない。


「そんなこと……私は、カスミちゃんのことを知りたくて……」


「気の毒に思わないで!」


 無意識に自分が声を荒げていた。ふと見上げると、ユイは今にも泣きそうな顔をしていた。ああ、私が傷つけたんだ。誰の目からどう見ても、明らかに。耐えきれなくなって、私はその場から逃げ出した。たった一人の友だちを傷つけて。嫌いだ。私は私のことが大嫌いだ。


 傘は差さなかった。びしょ濡れになってしまえば、泣いていることは誰にも気付かれなかった。


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