第二話 若草・2
それは黒い木で作られた、大きめの唐櫃であるらしかった。それだけがぽつんと置かれている状況が興味深く、少しずつ近づいていきながらのぞき込んだ。かなり良い木で作られているらしく、さわやかな香りがふわっと漂ってきた。惜しむらくは、側面の方についているいくつものえぐられた跡と、焦がしたのではないかと思われる、炭になりかけた部分であろう。そのちぐはぐな見た目から、中には何が入っているのだろうかと気になってしまい、衝動的に蓋に手をかけて開けた、いや、開けようとした。
本当なら中身が見えるはずなのにそうはならず、ちゃんと見えることがないまま、頭の中には知らない言葉が激流のように流れ込んでくる。
帝、女御、大臣、太政官・・・
あまりにも大量の知識は、数え三歳の頭には負担が大きすぎたのだろうか、草宮は目の前が真っ暗になるのを感じ、そのまま意識を失った。
○
ぱちりと目が覚めると、すぐに異変を感じた。さっきまで聞こえていた童たちの声や、近くを流れ落ちる滝の音、近くを囀りまわっているはずの小鳥の鳴き声などが一切聞こえない。壁が薄いから、かなり小さな音でも結構聞こえるはずなのだ。なのに、なぜ?
「おお、目覚めたか。」
思わず振り返り、草宮は今度こそ絶句した。
そこにいたのは、穏やかな表情をした、背の高い人だった。だが、そこが問題なのではない。その人は絵巻物の中にしか出てこないような、ゆったりとした薄物の衣装を身にまとい、顔も髷も隠していない。あまつさえ、その背中からは、どうやって生えているのかわからないが、数えきれないほどの小さな腕が生えていた。それでも悲鳴をこらえたのは、その人の後ろから、淡い光がさしていたからだ。それがいわゆる後光というものだと、今の草宮にはわかった。さっきまで、周りが言っていた言葉の半分くらいはわからなかったというのに、今は頭の中に次々と知識が浮かんでくる。それゆえに、目の前の人が、人ではなく、仏、しかもこの寺の本尊のうちの一つである千手観音というものだと理解してしまったのだった。
なぜ自分に、しかもこんな直接に、と思う。祖母や祖母付きの老女房達は、何年も前に出家して、自分などとは違い真面目に仏道を信仰していたし、その祖母の教えによれば、仏とはせいぜいでもおぼろげにしか見えないようなもののはずである。
こちらの混乱などお構いなしに、仏は言葉を続けてくる。
「その唐櫃の中身は見えたか?」
慌てて首を振りながら、非礼にあたらないよう頭を下げる。すると仏は、小さくうなずいてから口を開いた。
「そうか。ならば教えよう。」
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