紫異文

橘 千明

第一話 第一章 若草・1

 強い風が吹き、桜の花びらが一斉に降ってきた。一面が薄桃色で、ところどころに萌黄色の若葉がある春の山の風景を、草宮かやのみやはうっとりと眺めていた。

 今日は気分が優れない祖母の尼上のため、出家した大叔父が暮らす北山の寺を訪ねているところだった。牛車の中は尼上と草宮に加えて、女房の少納言乳母と大輔が乗っているため、結構狭い。外の景色を見てほしいので、後ろの大輔の袖を引っ張りながら外を指さすと、大輔は外の景色を愛でるでもなく、ため息をついた。

「姫君と呼ばれないことを嘆きもせず、若君は無邪気にしておられる・・・」

「いまさらそんなことを言ってどうするのです!」

少納言乳母のたしなめる声を聞きながら、草宮はそっと視線を外した。周りの多くの女房が暗い雰囲気を醸し出していることが多い理由が、数え三歳の草宮にはさっぱりわからなかった。わからないけど、自分を若君と呼びたくないんだろうなとか、不都合なことがいろいろあるんだろうなとかは感じられたので、愚痴を言わない桜の木々を眺めることに集中するのだった。

                 ○

 そこから長い時間牛車に揺られてようやく、寺の姿が見えてきた。尼上はここで加持祈祷をしてもらうのだ。いままでは都の僧に頼んでいたが、効き目が薄いというので、僧都である大叔父のコネも手伝って、ここへ来ることになったのだった。

 牛車を本堂の近くに横付けし、大叔父の部下の案内を受けながら境内の中へ入った。尼上と多くの女房はさらに奥の方に案内されたが、病気でもないうえにまだ幼い草宮は、庇に近い局で、自分付きの童とともに待っているように言われた。

 局では天気もよく、多くの僧が尼上の方に行ってしまったことで人の姿がほとんどないこともあり、簾を半分ほど巻き上げることになった。ここのお堂は高いところにあるため、麓の景色が見渡せるようになっていた。都では珍しい、煙が上る家々と、畑が連なりつつ、つづら折りと呼ばれる細い道がうねりながら続いていく光景を、草宮はしばらく見続けていた。

 しばらくして、草宮は建物の中の方にも興味を持った。草宮が今いる局と、隣の局どうしは、壁代で仕切られているだけだった。どうにも好奇心が抑えられなくなり、周りの童たちが庇から庭に出たのを見計らい、そっと壁代の下に潜り込み、隣の局に入ってみた。

 そこは日当たりのよい草宮の局とは異なり、薄暗くじめっとしていた。外とは違い静かなので、今はここに滞在している人はいないとあたりをつけた後、局の中を見回すと、奥の壁代に沿うように、何かが置かれているのが目に入った。

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る