雨と本とコーヒーと

花萼ふみ

本と言えば…

本と言えば、雨とコーヒーという人は少なからずいるのではないだろうか。晴耕雨読という言葉もあるぐらいだし。コーヒーは読書と並ぶ大人っぽいものとも言えるのかもしれないし。しかし、そんな皆さんに告ぐ。…俺は雨が嫌いだ!!それに、コーヒーだって飲めやしない!!室内で雨音を聞くだけならと思わなくもないが、雨音を聞いているとどこか物悲しい気持ちにさせられたりする。それに、とにかく濡れるのが嫌だ。服も靴もびっしょびしょ。雨水を吸い込んでしまった服や靴は吸い込んだ分重みを増して、心も重く沈みこむ。一方のコーヒーは、とにかく苦い。…あれは飲み物なのか?コーヒーが飲めたら大人の仲間入りなんじゃないか、なんて考えて牛乳を入れてみたり砂糖を足してみたり、色々したけれどどうにも受け付けなかった。それに、あんまりにも色々足してしまったらそれはコーヒーとは言えない気がする。世の中にはカフェオレとかがあるからな。そんな訳で、俺が「本と言えば」で思い浮かべる風景が実現することはまあないだろう。

「耕平ー、コーヒー淹れたよー」

「はーい、今行く」

ないだろう、と思っていたのだが。そんな俺は今、ほぼ毎日コーヒーを飲んでいる。…さっきまでの熱弁はなんだったんだって?俺もそう思うよ。でも、彼女はコーヒー関係の資格を取るぐらいのコーヒー好きで、俺がコーヒーを飲めない人間だと知るとこれ幸いとばかりに飲ませてきたのだ。彼女曰く、苦味が苦手な人でも美味しく飲めるコーヒーがあるんだそうだ。それがこれ。

「今日のはどう?」

彼女をちらりと窺うと、目元を細め自信ありげに口角をあげている。何回かご相伴にあずかったことがあるとはいえど、やはりまだ抵抗がある。そんな俺はいつも余計なぐらい息を吹きかけて、熱とともに苦味も飛ばないかななんて思っている。

「…おいしい」

「ほんと!?よかったー!」

こんなやり取りはもう何度もしてきたが、それでも彼女は無邪気に喜ぶ。笑うとできるえくぼも、目尻にほんの少し皺が寄るのもいつも通り。俺の感想に満足したのか、彼女は自分のカップに口をつけた。ほぅ、と吐き出された吐息はコーヒーの香りが満ちたリビングに溶けていく。満足したらしい彼女は、机の上に置かれていた文庫本を手に取った。細長く綺麗な指先がページを捲っていき、ぴたりと止まる。真剣に向けられた眼差しが、自分に向けられた訳ではないのになんだかどきりとした。そんな彼女を邪魔する訳にはいかなくて、窓の外に目を向けてみる。ベランダに置いたモンステラの葉が水滴で艶めいていた。紙を捲る音と雨音はこんなにも相性がいいのだと、彼女といるようになってから初めて気づいた。

「ねえ、」

ふと彼女に声を掛けられて視線を戻す。

「耕平は本読まないの?」

「ああ、読まないことはないけど…」

「ふーん、雨の日ってすごく読書向きだって思うんだけど?」

「…それにコーヒーもついてたら?」

「もっと、最高に読書向きだね」

語尾がそれとなく揺れたような感じがして、思わず笑みが漏れる。彼女はやはり、俺が思う「本と言えば」と同じ「本と言えば」を掲げて生きているらしい。

「俺、実は”晴耕雨読”ってどうなん?って思ってて」

「どうなん?ってどういうこと?」

「いや、俺晴れた日の読書の方が好きだったりするんだよね」

「へえ、晴れって出かけようって思わない?」

「全然?むしろ逆。皆が出かけようとしてるなか、家で寝転がりながら読書するのって、なんか背徳感みたいのがあって好きなんだよね」

意外そうに目を見開いていた彼女は、俺の説明を聞くと楽しそうに頬を緩ませた。

「…それもいいね」

「うん。あと、俺コーヒー苦手って言ったじゃん?」

「うん」

「あのね、本って紅茶にも合うんだよ」

ほんの少し声を潜めて、この世の真理を見つけたみたいに言ってみる。彼女はまた、その当たり前の真理を初めて知った人みたいに驚いた顔をして見せた。

「じゃあさ、今度本を読む時はそうしようよ」

悪だくみをひそひそ話でするように、顔を寄せて彼女が言った。俺はそんな彼女の誘いを聞いて一つ頷くと、再びカップに口をつける。一気に流れ込んできた苦味に思わず顰めた俺の顔を見た彼女は、心底楽しそうに笑ったのだった。

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