第16話 キスしてくれたら教えてあげる


 マップアプリのピンが指した場所は私が通っていた大学と、最寄り駅の間の通りにあった。


 通い慣れた駅の改札を抜けて歩いて行くと、指定の場所について、私は思わず目を見開いた。


 なぜならそこには、私が大学時代よく行っていたお気に入りの定食屋が目の前にあったからだ。


「……うっそぉ……」


 店舗入り口のブラインドは降りている。

 信じられない気持ちでスマホの電源を入れて瀬野さんに電話を掛けると、数コールで彼女は電話に出てくれた。


『もしもし』


「あのさ、ついたんだけど」


『あー……今外出るね』


 久しぶりに聞いた声は少しだけ落ち着いていたけれど私の心臓はこれでもかと鼓動を速めていた。


 ブラインドが上がって、ガラスのドアが開きひょっこりと覗いた顔はやっぱりよく知る顔だったので、私は思わず吹き出すように笑っていた。


「嘘、信じらんない。こんな偶然ある!?」


「え、なに?」


 状況が飲み込めてない瀬野さんは目を丸くして私を見つめている。


「そりゃあの唐揚げ、食べたことあるはずだよ! 私、大学時代ここ週五で通ってた。あの無愛想な店員、まさかあんただったの?」


 ゲラゲラ笑いながら瀬野さんの肩を叩くと、やっと状況を飲み込めたのか瀬野さんが驚いた顔をした。


「え? じゃあ香織が通ってた大学って……」


「すぐそこ!」


 縁や運命なんてものを信じたことはなかったけどまさか意外なところで繋がりがあったことに驚かずにいられなかった。



 瀬野さんの実家は一階が定食屋になっていて二階が居住スペースになっていた。


 当時の面影を残したままの店舗。ガラスケースは今は空っぽだけれど、お昼にはいくつもお弁当が並んでいた。


 日替わり定食は安くてボリュームがあり同じ部の男性陣に人気があった。私はいつも唐揚げ定食を頼んでいた。


 せっかくだから上がっていけばと言われ、店舗の奥に抜け階段から二階へ上がる。決して広いとは言えないが、整頓されて綺麗な家だった。


 ダイニングテーブルに座ると、瀬野さんがキッチンでお湯を沸かし始めた。


「お母さん、大丈夫なの? 家にいるの?」


「ううん、入院してる。でも大丈夫、ただの過労だから。一人で休まず働いてるせいよ、もういい歳なのにね」


 ため息をついた彼女もどこか疲れているように見えた。

 バッグから封筒を取り出して、テーブルの上に置くと同時に瀬野さんがコーヒーを出してくれた。


「書類、ありがとう。迷惑かけてごめんね」


「いや、仕事は大丈夫。……あんたこそちゃんと寝てんの?」


 正面に腰掛けて封筒を受け取った彼女は、一度封筒をじっと見つめた後ふっと柔らかく笑った。


 その笑顔の意味に気付いてバツが悪かったけど反応せずに黙っていた。それもそのはず、封筒には宛名がしっかりと書いてあって、切手まで貼ってある。


 わざわざ赴いたことをからかってくるかと思いきや瀬野さんは何も言わずに封筒をテーブルの脇に置いた。

 

 飾り気のない、素のままの顔をぼんやりと見つめていて思った。

 

 私はこいつの、素の顔が好きなのだ。完璧に着飾っている姿よりもずっと惹かれる。初めて見た時からそうだった。


「……香織、夕飯食べてきた?」


「ううん、これ渡したらすぐ帰るつもりだったから何も」


「なんか作ろうか? 食材余ってるし」


「え、いいの? じゃあ唐揚げ食べたい」


「また唐揚げ? 好きねえ、本当」


 

 瀬野さんが料理上手だったのはそういうことだったのかと、ダイニングテーブルに並ぶ夕飯を見つめて今更ながら気が付いた。

 

「あんたのお母さん、いつも唐揚げ一個足してくれたの嬉しかったな」


 懐かしい味の唐揚げを頬張りながら言うと、瀬野さんは苦笑いした。


「そういうのがよくないのよ、私の母親は本当に経営向いてない。週に一回ぐらいは休めばって言っても学生さんが来るから、の一点張りで」


「この店、お母さん一人でやってんの?」


「そうよ、本当はこの店父親が始めたの。当人は、私が小学生の時に女作って出てったけど。学生の時は母親のこと手伝ってたけど、今はもう無理。お店継ぐつもりもないし」


「そうなんだ。……結構苦労したんだね。良い大学出てるし、そういうふうに見えなかった」


「お金がなくて、行ける大学が限られてただけ。貧乏って大変なんだから。香織にはわかんないかもしれないけどね〜」


 そう言って瀬野さんは笑った。


「まあでも今は、おかげでそこそこいい給料もらってるし、基本的には定時で帰れてるし? 悪いことばかりじゃないけどねぇ」


 そう言いながらも、彼女の瞳はどこか薄っすらとした翳りが見え隠れしている。

 現状に満足しているようには……やはり見えない。



 夕食をご馳走になり、長居するのも悪いしと立ちあがった私の手を瀬野さんが止めた。

 

 熱い眼差しが、私を射抜く。


 顔を見にきただけのはずだった。そんなつもりではなかった。

 でも彼女の腕が私の背に回り、鎖骨に頬を押し当てられた時、私の両手は自然とその身体を抱きしめていた。


 自分と同じくらいの背。私より少し細い腰。豊かで柔らかな胸から伝わる鼓動。甘い匂い。

 自分と同じ女性の身体なのに、どうしてこうも惹かれてしまうんだろう。


「香織はさ……恋人に甘えたりする? 記念日とか祝ったり、恋人らしいことするタイプ?」


「何それ、どうして急にそんなこと聞くの」


「別に。ただ、想像できないな〜と思って」


 胸元に顔を押し付けたまま、くすくすと笑う声が聞こえる。


「……それなりに祝ったりするよ、女子らしい事はできないかもしれないけど。可愛げないってよく言われる」


「ふふ。確かに可愛げはないかもしれないけど……優しいわよねぇ、心根が。恋人がいないのが不思議」


 柔らかく甘い声でそう言われて、私はぎこちなく笑った。


「やめてよ、あんたに褒められるとゾッとする」


 普段悪態を付き合っている間柄なのに、一度密室で二人きりになるとこれだ。


 吸い寄せられるように手が伸びて、触れずにはいられなくなる。


「……母親を見てるとさぁ、たまにすごく虚しくなるの。男で苦労して、お金で苦労して……この人の人生、これでよかったのかなって思う時があるのよね。私が前の彼と別れた時もそう、母親の顔が過った。女手一つで育ててくれて感謝してるけど、私はこんな生き方したくないとも思う。普通に結婚して、適度に仕事して……誰かに支えて貰いながら生きていきたいと思ってた。お金がないと幸せになれないって、母親を見て思ってた」


 どのくらいの苦労があったのかはわからない。でも、ぽつぽつと発せられる言葉はその一つ一つに重さがあって私の胸の奥に響いた。


「だからお金持ちと結婚したいの?」

 

「……お金があれば幸せになれると思ったの。ふふ、結構単純でしょ?」


 軽い調子でそう言うけれど、その言葉は私にとって大きな爆弾だ。


 瀬野さんの言いたいことはよくわかる。私だって何も想像しないわけじゃない。

 例えば彼女と万が一にでも恋人関係になれたとき、行き着く先には何があるのかを考えてしまうからこそ、その一歩を踏み出せずにいるのだから。


「私、もう少し自分は利口だと思ってた。……今度こそはって期待して、結局同じことばかり繰り返してる」


「それなら……あんたは、どうして私とこういうことしようと思ったの。あんたにとって、こういうのは時間の無駄じゃないの? 悪いけど私、ブランドバッグとかプレゼントできないよ」


 瀬野さんは私の鎖骨に頬を押しつけたまま笑った。


「そりゃあそうでしょうね。だって給料も私と同じくらいでしょ」


 それはどうかな。プロパー社員のあんたの方が、昇給している分高い可能性まである。


「でも……香織は私とは違うじゃない」


「違うって何が?」


「仕事できるし、私とは違う。きっと香織は数年後にはマネージャーになってる。山里マネージャーみたいになれる」


 意外だった。そんなことを言われるとは思っていなくて、なんと答えようか一瞬迷った。


「……それはあんただって一緒でしょ。可能性なんて誰にでもある」


「それは無理じゃない? 香織だって気付いてると思うけど、私はそんなに仕事に情熱を燃やすタイプでもないし」


「なんでやる前から諦めるの。頑張って働いて、出世して、欲しいものがあるなら自分で買えばいいだけじゃん。他力本願な生き方なんて不安定なだけだよ」


「簡単に言わないでよ。そんな簡単に出来たら苦労しないって。仕事が得意な方じゃないって気付いてるでしょ」


「名選手が必ずしも名監督になるわけじゃないし、現役時代鳴かず飛ばずの選手でも名監督になる場合だってあるでしょ?」


「……なんの話?」


「野球の話」


 そこまで言うと瀬野さんが声を立てて笑った。


「体育会系とはやっぱり話が合わない」


「野球観戦、楽しいよ? ビールも飲めるし。今度一緒に行こうよ、青澤ちゃんとか誘ってさ」


 無理矢理に話を逸らしたけれど、瀬野さんの言葉は私の心の深いところまで刺さった。


 漠然とした将来を思い描く時、いつだって心のどこかで甘えはあった。


 年収は自分より低くてもいいと言いながらも、あくまで「結婚する時点では」と言う話だ。

 男性は、いずれ自分の年収を超えていくだろうと言う根拠のない想定。


 そしていつかそれに甘えさせて貰いたい、こんな仕事漬けの毎日からいずれはドロップアウトしたい、そういう気持ちが確かに、薄っすらとだけどあったことは否定できない。


 でも――女同士での未来を思い描いた時、そんな甘えは一瞬で消え去ることになる。

 くだらない夢は見れない。寄りかかるのではなく、本気で支え合う必要がある。

 しっかりと両足で立って、現実を見つめなければ。

 

「香織」


「ん?」


「……今日、私誕生日なんだ」


「えっ、嘘。ごめん、何も用意してない」


「いいわよ別に。何もいらない」


「いや、さすがにそういう訳には」


「……それなら一つお願い聞いてくれる?」


「いいよ、私にできることであれば」


「キスして」


 直接的に言われたのは初めてで私は息を呑んだ。


「………………」


 行動もできず、言葉を発することすらできないあまりにも情けない私に瀬野さんは小さく息を吐いた後、気が抜けたように笑った。


「やっぱり抵抗ある? 女同士でするの」


「いや、それは……今更でしょ。そうじゃなくって……」


 そうじゃなくて。この関係に名前をつけたいとあんたが思っているのかどうかを知りたいんだ、私は。

 酷く不安定な足場の上に立っている。こんな状態では、とてもじゃないけれど覚悟なんて決められない。


「あんたは……一体どういうつもりでこんなことしてんの?」


「……キスしてくれたら教えてあげる」


 真っ直ぐに私の目を見て言った彼女の瞳はあまりにも透き通っていて、私は自分の心臓が痛いくらいに締め付けられるのを自覚した。


 全身の血が一気に心臓に集まり強く鼓動を打ち始める。

 表情はどんなに取り繕えたとしても心臓だけは、決して偽ることができない。


 少しだけ、顔を寄せる。

 彼女が目を瞑ったのがわかって私は息を呑んだ。


 知りたい。どう思ってるのか。


 でも、でももし彼女に「これ以上の関係になるつもりはない」と言われてしまったら。


 受け入れられるのだろうか、私は。

 ただのセフレだと、そう突き放されたとしたら――。


 躊躇った私に気付いたのか、首に腕を回され顔を近づけられた瞬間、反射的に思い切り顔を背けて拒絶した。


「……ごめん」


 砂で出来た城が波にさらわれて呆気なく崩れていくように、積み上げてきた関係が崩壊するのは一瞬だ。


 密着していた身体が離れると、瀬野さんは私の揺れる瞳をじっと見つめて、それから自嘲するように微笑んだ。


「……香織の気持ちは、よくわかった」


 首に回った腕がするりと解けて、離れていく。


 私は何も、言えなかった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る