第14話 年下だったとしてもさ、あんな高圧的な態度取っていいって理由にはなんないでしょーが
週末。私は東京駅から新潟行きの新幹線に乗り、気乗りしないまま実家へと向かっていた。
約束は十八時。
目的は、妹の優の結婚相手の顔を拝みに行くためだ。
最後に家に帰ったのは確か、一昨年の正月が最後だったと記憶している。
食事が終わったらとんぼ返りするからと言えば、泊まって行ったらいいのにと母には言われた。
でも、家を出て八年も経てば既に私の自室は物置と化していて、ベッドもすでに処分されている。
和室に客用布団を敷いて寝るのは嫌すぎると首を縦に振らなかった。
もちろん本当は、小言を聞きたくないだけなんだけど。
昨日、瀬野さんから返ってきたメッセージに何と返事をすれば良いのか迷いに迷い、ついに何も送らないまま気付けば日付を跨いでしまったから、結局適当なスタンプを送ってスマホを閉じた。
この期に及んで縮めきれない距離感を焦ったく思う一方で、これ以上深入りすべきではないとも思う自分がいる。
まるで心が真っ二つに割れているかのように二律背反した想いに翻弄されている。
必要とされていないのに、歩み寄ろうとしたところで独りよがりでしかない。
長い長いトンネルの中をゆく新幹線に身を任せて溜息をつく。
自分が置かれている状況を飲み込むのにも精一杯だと言うのに、これから母親のお小言を聞かねばならないと思うと――憂鬱でたまらなかった。
実家に着いたのは約束の十分前で、本日の主役である彼は既に緊張した面持ちで我が家の応接用ソファに小さくなりながら座っていた。
隣に座る優は得意そうな顔で、彼が口を開くたびににこにこと嬉しそうに笑っていた。
心の準備もできないままに見せつけられた幸せオーラがあまりにも眩しくて、危なく網膜を焼かれそうになった。
会食は和やかに進み、父は酒で、母は手料理を振る舞って、上機嫌に彼をもてなしていた。
初々しい二人を見ていると――人生における幸せのピークをまさに今目の当たりにしているような気持ちになる。
「優ちゃんの結婚式、本当に楽しみだわ。香織も早くいい人見つけなさいね。親だっていつまでも生きているわけじゃないんだから」
ふと話題の矛先が私に向いたと気付き、苦笑いする。
二十六で結婚なんて――私にはとても考えられない。絶対に早すぎる。
「別に、結婚する気がないって言ってるわけじゃないでしょ。今は会社も変わったばかりで忙しいし……」
「最近の人は、みんなそう言うのよね。でも、ずっと一人で居られると私も安心できないわ。せめて恋人の一人ぐらい、紹介してくれてもいいんじゃないの」
安心、ねぇ。
結婚したら安心だなんて一昔前の話だ。まだ女性が男性に養われることしか選べなかった時代の話。
そういう時代を生きた母親の価値観を否定するつもりは微塵もないが――どうも母は子供を結婚させることが子育ての終焉だと信じているフシがある。
結婚したからって、絶対に幸せになれる確証なんてどこにもないのに。
そうは思ったけれど、この和やかな雰囲気に水をさしたくなくて、言い返すことはせずに私は黙って頷いた。
食事を済ませた後、慌ただしく帰る準備を始め玄関へと向かった私の背を、優が追いかけてきた。
「お姉ちゃん、今日は忙しいのにわざわざ帰ってきてくれてありがとう」
「ううん、大丈夫だよ。いい人そうでよかったじゃん。本当におめでとう」
引っ込み思案で、いつも私の背に隠れてばかりいたこの子が――離れている間にちゃんとした一人前の女性になっていた。
この人と生涯を共に生きようと覚悟する瞬間とは、一体どういう感じなのだろう。
「結婚してください」と、恋人に伝えられる瞬間とは、一体どれほどの喜びを感じるものなのだろう。
あの日の瀬野さんの言葉が――蘇る。
――この人と結婚したら一生苦労するだろうなと思ったら、途端に冷静になった。すっと波が引いていった。あんなに好きだったのに。
彼女には、越えられなかった壁。
好きという感情だけでは、私たちはもう相手を選べないところまで大人になってしまっているのだとしたら、私たちの関係はきっとどこまで行っても不毛だ。
言葉にできないような寂しさと虚しさが込み上げてきて、笑顔を保てているうちに、私は逃げるように家を出た。
***
憂鬱な日曜日を超えた、月曜。
昨晩はあまりよく眠れなくて、欠伸を噛み殺しながら出勤すると、見慣れない人影が有村ちゃんの隣に立っていた。
日に焼けた肌。ツーブロックのガタイが良い若い男。
捲り上げたワイシャツの袖から覗く腕には筋肉が盛り上がっていて、仁王立ちで、捲し立てるように有村ちゃんに何か言っているようだ。
なーんか、嫌な予感がする。
「あのー、どうかしましたか」
声をかけると、青ざめた顔をした有村ちゃんが私に気付き、縋るような視線を寄越した。
おいおい、普段の威勢の良さはどこいった? と突っ込みそうになったが、どうもそんな雰囲気ではなさそうだ。
一瞬で何かあったな、と察する。
私に気付いた彼はぐるりとその太い首を捻じ曲げてこちらに視線を向けた後、凛々しい眉を不機嫌そうにぐっと寄せて詰め寄ってきた。
「予算が合わない。朝イチでデータを確認したんだけど、どうも登録されてる数字がおかしい。どうなってんだよ」
はーん、なるほど。
先週末、私は振り分けられた分のチェックと承認作業は全て終わらせて帰った。数字も全て突合して検証したし、絶対に間違いはない。
とすれば――うん、有村ちゃん、やらかしたな。
今にも噛み付いてきそうな大柄な彼を無視して、モニターを覗き込む。
「有村ちゃん、ちょっと見せてみて」
彼女のマウスを握る手が震えているのに気付いて、私は彼女の肩を押して退かせ、代わりにパソコンに向き直った。
これはしくじったな、と反省する。新人には荷が重い作業量だとわかっていたのに、彼女の不遜な態度に折れて手を差し伸べなかった私が悪い。
もしも瀬野さんだったなら――多分、有村ちゃんが帰った後にこっそり数字をチェックするぐらいはやるだろう。
「……元データとシステム上の数字、突合した?」
「利益の会社計は、確認しました」
「ふーん、合計は合ってんだ。じゃあ店別の数字は見た?」
「す、すみません……。合計しか見ていなくて」
「なるほど。じゃあどっか入り繰ってんだね」
簡単なケアレスミスだ。でも、長い社会人人生の中で誰もが一度は経験する。
ミスをしない人間なんていない。機械じゃないんだから。
後ろから画面を睨みつけているであろう彼に向き直る。
鋭い視線を真っ向から受け止めて、頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしてすみません。修正するので、お時間いただけますか。……有村ちゃん、すぐに山里マネージャーに報告してきて。間違ってるところ、見つけておくから」
青ざめている有村ちゃんに向かってそう言うと、こくりと頷いて彼女は私たちに背を向け、小走りで立ち去った。
「……こういうの、困るよ。瀬野さんがやってた時は一度もこんなことなかったよ。気をつけて貰わないと」
まだ怒りが収まっていないらしい彼は、険しい顔のままそう言った。
当然、非はこちら側にある。だけど、有村ちゃんの青ざめた顔から察するに、この男は相当詰め寄ったみたいだった。
何もそこまで言わなくてもいいんじゃないですか、なんて言い返しそうになったけれど、そんなことをしたらあの真面目な後輩のプライドを傷つけかねない。
だから私はただ黙って頭を下げるしかなかった。
「申し訳ありません」
ところであんた誰ですか、なんて言う暇もなかったから、頭を下げたついでにこっそり彼が首から下げてるネームプレートに視線を向ける。
経営企画部、黒崎。
覚えたからな、めんどくさい男。自部署の非を棚に上げつつそう胸の中だけでつぶやいて、私は袖を捲るともう一度モニターに向き直った。
***
午前のルーティーンの煙草休憩をスキップしてまで集中して机に向かっていたせいで、一仕事終え昼食の時間になっても、まだ神経が高ぶっているような感覚がしてあまり腹が減らなかった。
あの後、山里マネージャーが関係各部署に謝罪のメールを入れてくれて、データを修正することで何とかその場は収まった。
有村ちゃんは初めてのミスにかなり動揺していたみたいで、気晴らしにランチにでも誘おうかと思ったけれど、何を話していいかもわからず、結局一人で自販機でコーヒーを買って屋上へ向かった。
こんな日は、あの憎たらしい同僚に愚痴の一つでも聞いてもらいたかったものだが、生憎と今日も明日も明後日も、彼女はいない。
少しだけ肌寒くなってきた秋の風を感じながら煙草に火をつけると、隣に誰かが並んだことに気付いて少しだけ横にずれた。
「見ない顔だよな。新人?」
低く、太い声。突然声をかけられて驚き、慌てて見上げるとさっきの彼が、咥え煙草で立っていた。
げ、こいつも喫煙者だったのか。せっかくのリラックスタイムだったのに、今一番会いたくない人に会ってしまった。
「……新人ですね、一応。春に別の会社から移ってきました。三ツ矢です」
もう怒っていないらしい彼は、じろりと私のネームを覗き込む。
「ふーん……別の会社から来たんだ。何年目?」
「瀬野さんと同じです」
そういうと、彼がぴくりと眉をあげて眼球を泳がせた。
不思議に思って、その顔を覗き込む。
さっきは気づかなかったけど、割と整った顔している。日に焼けた肌は健康的で、肩幅があって身体がデカいせいか威圧感は拭えないけれど。
「……黒崎さんは何年目?」
「……年目……ッス……」
さっきまでの態度のデカさはどこいった? と突っ込みそうになる位弱々しく小さな声で彼が言う。
「ん?」
聞き返すと、彼は咥えていたタバコを口から離して申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「三年目……」
「…………」
「…………」
無言で彼をじっと見つめる。気まずそうにしているところを見ると、こいつ、もしかして私のことを年下だと思ってたのか。
「あの……すんません、俺てっきり年下とばっかり」
急にしおらしくなった彼に笑う。ガタイの良さからなんとなく思ってたけど、なるほど、こいつ体育会系だな。上下関係に結構うるさい感じの。
「……年下だったとしてもさ、あんな高圧的な態度取っていいって理由にはなんないでしょーが」
チクリと言ってみる。
「すんません」
すると、彼は素直に謝ったから、私は思わず声を出して笑ってしまった。
「でもまぁ、間違ったこっちが悪かったから、おあいこ」
煙草の火を灰皿に押し付けながらそう言うと、黒崎くんは安心したように、屈託なく笑った。
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