変わらない、変われない
知っているはずだった。
世界が残酷な事なんて、誰よりも知っているつもりだった。
だけど、結局のところはただそう思い込んでいただけ。
知っているつもりになっただけだった。
世界を知るなんて事、人に出来る訳がない。
紛い物の化物なら猶更無理だ。
希望を持った。
救われた。
幸せと思ってしまった。
だから……また間違えた。
そう……間違えたんだ……。
地面に横たわるキャルを、ヨノカは目の当たりにした。
首筋には、二つの穴が開き血が零れている。
嫌な程、見慣れた光景だった。
「……貴方、強かったの……ね……。驚い……ちゃった……あはは」
苦しそうに、彼女は呟く。
「キャルは……子供を護る為吸血鬼に自分を差し出して……」
隣に立った村人は、そうヨノカに伝えた。
容易に想像出来た。
こんな自分の面倒だって見てくれた位、出来た人だったのだから。
「……このまま放置するとどうなる?」
尋ねながら、ヨノカは村人に銃を返した。
「あいつらの『使徒』……つまり、操り人形だ」
「……そうか」
ヨノカの知る眷属化と名前は違うが、おそらく意味は変わらないだろう。
ヨノカはキャルを抱きかかえた。
「お、おい!? どうするんだ!? そいつはもう……」
慌てた様子で村人はヨノカに手を伸ばして来た。
「手当を」
それだけ答え、ヨノカは彼女の家に向かう。
中に入って、改めて気づいた。
その家に、ベッドは一つしかなかった。
自分がついさっきまで何も知らずぬくぬくと寝ていたベッドにキャルを寝かせ、くしゃくしゃと自分の頭を掻き乱暴に髪を乱れさせる。
当たり前にベッドを使っていた自分に酷くむかついた。
「……お願い……私を……ころ――」
「待った。その前に一つ尋ねたい」
「な……に……?」
「無礼な事を聞く。君は生娘か?」
「……へ?」
「処女か? 誰かと繋がった事があるか? 女性相手も含める。精神的な意味も踏まえ、言い辛いだろうが教えてくれ」
彼女の顔は、嫌悪に染まった。
「ちが……う。私は……恋人が……居る……の。だから……止め――」
「そうか。残念だ。処女だったらもう少し対処が楽だったのだが……」
「なに……を……」
ヨノカは彼女の上体を起こした。
「すまない。少しだけ痛いぞ」
そう言って、その首筋に己の牙を突き立てた。
ヨノカは吸血鬼としての力はほとんど持たない。
それでも、吸血は出来ずとも血を送り込む事は出来た。
だからもし、彼女が処女だったら自分の子にするという手段が使えた。
こちらの吸血鬼はどうか知らないが、自分達の方の吸血鬼、ヴァングロームは処女、童貞を自分の子とし『吸血鬼化』させる事が出来る。
ただし、それは本物の吸血鬼ならという枕詞が付く。
不完全なヨノカはその機能さえ欠落している為、『吸血鬼化』も『眷属化』も出来ない。
だから出来るのは精々『真似事』である。
ヨノカの真似事は例え自分の血の影響化に入れても命令権を持たない。
例えその体の支配権を握ってもだ。
それが、ヨノカの権能。
つまるところ、ヨノカは支配権の『打ち消し』を行う事が出来る。
他の吸血鬼の影響を打ち消す事が、ヨノカが吸血鬼として劣等種である証明だった。
とは言え……こちらの吸血鬼相手にそれが通用するかはわからないが。
突き立てた牙を通し、血を微量ずつ送り込む。
他人を浸食する様で心底不快な感覚の後に、ヨノカの全身に張り巡らされる血管が、びくびくと暴れ回った。
動脈も静脈も関係なく脈うち、どくんどくんと体内で鞭の様にしなる。
吸血鬼としての特異な能力を使う度に、ヨノカの体は拒絶反応を引き起こす。
それは、ヨノカが不良品として
ぶちっと、嫌な音が聞こえる。
どうせ血管が切れたのだろう。
その証拠に、ぼたぼたという音と不快な香りが漂った。
それでもヨノカはその行為を止めず、おおよそ一分かけ、丁寧に、ゆっくりと、微量の血を送り込んだ。
そっと牙を離し、地面を見る。
どうやら切れたのは左腕手首の血管だったらしい。
手首が酷い事になっていた。
「すまない。部屋を汚い血で汚した」
ヨノカはこれ以上綺麗な床を汚さない様、じくじくと痛む腕を無理やり抑えつける。
「……あれ? 苦しくない? 私……どうなったの?」
助かった……と言ってあげたい。
だが見る限りそれは出来ていない。
たぶん……彼女の支配権を奪う事は出来た。
だが、彼女はまだ牙を突き立てた吸血鬼の使徒であった。
「時間稼ぎだ。猶予が少々増えた。それだけしか、俺には……」
ヨノカの言葉に一瞬驚いた後、眼を伏せ微笑んだ。
怪しいとわかっている。
それでも、キャルはヨノカを疑わず、その言葉を素直に受け入れた。
疑う事さえバカバカしい程に、ヨノカの表情は痛々しかった。
「そう……。どの位時間があるかわかる?」
「……今日一日は、たぶん大丈夫だ。だが、明日の夜を超えるのは」
「十分よ。ありがとう。これで、最後に恋人と想い出を作れるわ」
そう言って、キャルは笑顔を見せた。
こんな時でも平気で笑えるのは、きっと自分がマシな方だからと知っているからだろう。
ここもまた、随分と希望のない世界の様だ。
だから彼女は、こんな時であっても当たり前の様に笑っている。
ああ……全く……全くもって……反吐が出る。
「大体想像付いてるが、一応聞かせてくれ。使徒化とやらは、どうやったら解除出来る?」
「知らないの?」
「記憶喪失だからな」
キャルは何故か、ヨノカにジト目を向け、そして溜息を吐いた。
「……血を吸った吸血鬼を殺せば良いわ。……間に合えば……だけど」
それはヨノカの知る眷属化と同じ条件であった。
「猶予はどの位ある?」
「貴方の方が……いえ、何でもないわ。正直、わからない。だって血を吸われ人を助ける為に倒しに行って、そして戻って来たなんて話物語位でしか聞いた事がないもの。でも、遅くなればなるほど、変わっていくのは確かよ」
「そうか。そこは、違って欲しかった……」
「違う? まあ良いわ。だからねヨノカ、貴方は無理しなくても良いの。あんなのでも仲間が居る。あいつらは群れているからとてもじゃないけど……」
ぴくっと、ヨノカは耳を動かした。
あの吸血鬼が群れているという事を、キャルは知っていた。
それはつまり……。
「もしかして……そいつがどこにいるのか、知ってるのか?」
キャルは答えず、俯いた。
「……教えてくれ」
「嫌。せっかく助けた人に死なれたくない」
「俺もだよ。俺を助けてくれた人を死なせたくない」
「行っても死ぬだけよ」
「あの程度なら死なない」
「そんな訳ないでしょ!?」
キャルは叫んだ。
「そんな訳……ないでしょ……。今日だけでも、何人死んだと思うのよ……。貴方が強いのはわかった。だけど……貴方は人間で……」
ヨノカは、自分の傷口を見せた。
先程爆発した様に切れた血管を、その左手を。
ヨノカの腕の傷は、もうなくなっていた。
「助けてくれたのに悪い。俺も――化物なんだ」
そう言って、苦笑する。
人間ならキャルを救えない。
だったら……人間でありたいなんて願わない。
化物を人間と呼んでくれた彼女を助ける為なら……。
「……本当に?」
「ああ。俺は化物だ」
「そっちじゃない。それはどうでも良いわ。化物は自分を化物だなんて呼ばないもの。本当に……死なずに倒せるの? あの悪魔共を」
「――ああ」
「嘘。だって貴方、行き倒れてたじゃない!」
「そう。俺はね、あそこで死んでた。だから君が命の恩人。その恩を、俺に返させて欲しい」
「でも、私は……」
「頼む……。もう、見たくないんだ。俺に『ありがとう』と言ってくれた人が死ぬ姿は……もう……」
必死なヨノカを見て、キャルはくすりと微笑んだ。
「どうしてそんな泣きそうな顔するのよ。あんなに強いのに」
吸血鬼を一方的に、軽々蹴散らしてみせた彼。
そんな彼なのに、子供みたいに泣きそうな顔をしていて、その事が少しだけ、面白かった。
「強くない。……俺は、そんな大層なもんじゃないんだ」
「死なないって、約束して頂戴。それなら……」
「あの程度の奴なら束になってかかって来られてもやられないって約束は出来るぞ。まだ俺には『切札』もあるしな」
少しだけ誤魔化して、ヨノカは答える。
死なないという約束は、出来ない。
そもそも寿命を過ぎた自分がどの位生きられるかさえわからない
そして例えわかっていたとしても、所詮終わった後の命である。
キャルを助ける為に命を捧げる必要があるのなら、迷わず捧げるつもりだった。
「……北に数十キロ程離れた先にある山。その中腹に古城があるわ。そこがあいつらの根城。……この辺りの吸血鬼達の住処よ」
「ありがとう」
そうとだけ答え、ヨノカはその部屋を後にした。
扉の向こうには、銃や槍、斧や農機具で武装した男達が十人近く並んでいた。
キャルの家は小さい訳ではないが、これだけ集まってると流石にみっちりしていた。
「あー……。聞いてたか?」
尋ね、ヨノカは男達の顔色を伺う。
誰も答えないが、バツの悪そうな顔からそうだと理解出来た。
「だったら話は早い。俺はこのままその古城とやらに行ってくる。あんたらは安全な場所に居てくれ」
「安全? そんなもんこの世界にありゃせんよ」
老人の一言を聞いて、ヨノカは頭を下げた。
「すまない。無礼な事を言った」
「謝りなさるな恩人さん。……だけど、行くなら少し待っておくれ」
「どうしてだ?」
「虚の月が赤く輝いとる。こんな時はあいつらが元気になるんじゃ。じゃからもう数時間……朝まで待っておくれ」
「あまり時間を無駄にしたくない。……ああ言ったが、どの位まで彼女が保つかわからないんだ」
「それなら尚の事じゃよ。あんたが本気でそう思って下さっているのなら、あいつらが逃げられない朝を待って欲しい。あんたが朝日を浴びても無事ならじゃがの」
そう頼む老人の目はどこか鋭かった。
「……わかった。朝日が昇るまで待つ。代わりにあいつらの生態の事を教えてくれ。記憶喪失なんだ」
「…………? ああ、そういえば記憶喪失という設定じゃったな。忘れておったわ」
「せ、設定じゃなくて本当に……」
「言わんでええ言わんでええ。恩人さんの質問は何でも答えるとも。その為に、食べ物を食べて体力をつけておくれ。最悪の場合恩人さんだけでも逃げ帰れる様にの」
そう言って、老人は笑った。
心配しているというよりも、世界の為に生きて欲しい。
そう言って貰えているとわかるから……ヨノカの心に小さな棘が刺さった。
自分みたいな化物を信じてくれる事が嬉しくて……だけど同時に、申し訳がなくて。
ぱちぱちと、焚火の明かりの前で精神を統一する。
炎が揺らめくのをじっと見つめる。
夜の闇に飲まれぬように。
野宿生活が長いせいか、あるいはただの癖になっただけか。
ヨノカは、焚火を見ていると心が穏やかになれる様な気がした。
焚火の傍には、お礼と称し置かれた横のテーブルには干し肉等の保存食が。
焚火の上にはスープの入った鍋がかけられていた。
こっぱずかしいけど、それでもやはり誰かに感謝されるのは嬉しかった。
そうして、聞いた事を脳内で整理する。
思ったよりも、こちらの『吸血鬼』と『ヴァングローム』の差異は多かった。
まず、こちらの吸血鬼は外骨格の展開を行わない。
ヴァングロームは真の力を発揮する為には外骨格の展開、所謂『変身』のプロセスが必要となる。
それは紛い物のヨノカであっても同じであった。
続いて、弱点の多さ。
ヴァングロームと異なり、こちらの吸血鬼は随分と弱点が多い。
銀に弱い、ニンニクに弱いというのはアレルギーの様な物としてまあ納得する。
一部の下位吸血鬼は十字架を見るだけで苦しむというのも訳わからないが精神攻撃としてまあ理解しよう。
だけど『流水の上を通過出来ない』とか『招かれざる家に入れない』とかは本気でわけがわからん。
逆に共通する項目も多かった。
例えば、『日光』と、『吸血の必要性』。
特に吸血は『人間の血を吸わねばならない』と全く同じ特徴だった。
日光に関しては、ヴァングロームよりもこちらの吸血鬼の方が弱い。
上位吸血鬼程日光に弱く、下位吸血鬼であっても長時間日光に触れたら灰になり消えるそうだ。
こちらの吸血鬼もムカつく貴族ごっこが好きらしく、上位とか下位とかそういった位付けをしているらしい。
他にも色々生態はあるらしいが、今回は聞いていない。
重要なのは弱点があるかというだけ。
心臓を潰せば大体死ぬし、燃やせば再生力も下がる。
それだけわかれば十分だ。
それともう一つ……吸血鬼関連ではないが、重大な新事実があった。
「……魔法が……あるのかぁ」
彼らは当たり前の様に魔法の事を口にしていた。
ヨノカの住まう世界で『魔法』という代物のは『吸血鬼の権能』の事を示す。
だがこちらの世界では『吸血鬼の権能』ではなく本当の意味で『魔法』があり、極僅かだが使える人間がいるそうだ。
いよいよもってファンタジーの世界である。
ただし……ファンタジー世界であっても吸血鬼以外に変わった生物はいないらしいが。
魔法がある世界。
だがここに夢物語のような冒険はない。
ゴブリンも、ドラゴンも、英雄もいない。
ファンタジーの世界であっても、ここは元の世界と同じく人類の天敵、『吸血鬼の箱庭』に過ぎなかった。
「……はぁ。それで、おたくは一体何の様で?」
ヨノカは遠くからこちらを見ている男の方に向き、尋ねる。
マスケット銃を抱え木の陰に隠れていた男はびくっと体を震わせた。
「す、すまん。あんたを疑っている訳じゃないんだ」
「いや、疑ってくれて構わないよ。むしろ怪しんでくれ」
「あ、あんたを恩人と思わない奴はこの町にゃいない! 確かにあんたは怪しいし嘘吐きだ」
ちょっとだけ、まっすぐ言われヨノカはしゅんと落ち込んだ。
「だけど、あんたが悪人じゃないのはわかっている。恩人である事もわかっている。そうじゃない。そうじゃなくて……」
男は言い辛そうに困った顔の後、意を決し叫んだ。
「お、俺を古城に連れて行ってくれ!」
「……どうしてだ?」
「キャルは……俺の恋人だ。助けたいんだ! だから……」
「駄目だ」
「頼む! もうすぐ結婚式を挙げる予定だったんだ! ……あいつが居ないと俺は生きていられない。だから……」
ヨノカは静かに苦笑しながら、そっと立ち上がる。
そして男が油断したその一瞬で男の傍に立ち、そのまま男を転ばせて、マスケット銃を取り上げた。
男は何が起きたかもわからず、きょとんとした顔をしていた。
「この程度も反応出来ないならいない方がマシだ。それに……お前だけは絶対に連れていかない。例え誰に言われてもだ」
「な、何でだよ! 命を賭ける覚悟はとうに出来ている! 俺は死んだってあんたの邪魔には……」
「だからだよ! お前が死ぬ気だってのは目を見りゃわかる! だから嫌だ! 駄目なんだ! お前は俺の恩人の旦那になる男だ! お前だけは、何があっても絶対生きてないと駄目なんだよ! キャルの幸せの為に!」
「……だけど……俺は何も……」
「大丈夫だ。場所がわかっているのなら、何とかなる」
男はその場で、土下座をした。
「頼む……。頼む! キャルを、あいつを救ってくれ!」
ヨノカはぽんと肩を叩いた。
「任せろ。命を賭けて救ってやる」
正しく言えば、恩人一人救えないなら死んだ方がましという精神だが、それでもヨノカは全てを賭ける覚悟を持っていた。
「……そいつを持って行ってくれ。俺の分身だ。俺の気持ちを背負って――」
男はマスケット銃をヨノカに託そうとするのだが……。
「すまん。ぶっちゃけ要らない。あの時は特攻なのかと思って使ったがただ鉄の玉を撃つだけなら殴った方が強い。もしくは適当に包丁でも貸してくれ。それよりは十倍役に立つ」
「……そ、そうか……」
男はしゅーんとした表情ですごすごと立ち去っていく。
申し訳ないのだが、あれだけばかすか撃って殺せない様な威力では、少々心もとなさすぎた。
しばらくして、彼は小刀と食器用だが銀のナイフを数本用意してくれた。
それを目にし「心強い!」と本気で喜ぶヨノカを見て、男は更にしょんぼりとした表情になり帰って行った。
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