8/29 10:37
≫≫仮名昏町、喫茶リピディア、
最近、妹の様子がおかしい。
「姉さん。私ちょっと出かけて来る。」
「ん、今日も?どこ行くの?」
「んー、学校。」
「夏休みなのに何言ってんの。これから昼時だし、お店手伝って欲しいんだけど……。」
「ごめん。夕方には手伝うから。」
「はいはい。行ってらっしゃい。」
父さんと母さんが居なくなってそろそろ2か月が経つ。もともとそんなに両親に干渉されてこなかった私と妹の生活は、何ら変わりなく過ぎていっていた。けれど最近、あまり外に出たがりでないはずの妹が毎日どこかに遊びに行っていた。
これは変化なのか、はたまた異変なのか。
「いってきまぁす。」
からんからん
店の入口扉から、少し楽しそうな声と鈴の音と共に外へと出る妹。私は複雑な気持ちで手を振って、扉が閉まるのを見送る。1人になった店内には、ジャズのBGMと私の心臓の音だけが聞こえているみたいで居心地が悪い。
「……はぁ。」
妹は――
私、扇崎舞はそろそろ19になる。大学を中退して、両親が営んでいたこの喫茶店を代わりに営業しなくてはならなくなった。
2か月前、6月の梅雨時の事だ。――突然、妹から電話があった。
――『姉さん元気?そっちも雨降ってる?』
普段あまり口数が多い方でもなく、電話をかけて来るなんてこと滅多に無かったのだが。妹はその日、公衆電話から私の携帯に電話を掛けてきた。
「元気……だよ、え、謡?」
唐突で、名乗ることもせず私のことを気遣ってきた電話の主を、初めは誰だか分からずにそう聞いてしまった。
――『あぁそうだよ、うん。久しぶりだよね、ごめんね突然。』
中学を卒業してすぐ、私は高校進学のためにこの町を離れた。だからもう3年ぐらい妹には会っていないし、妹もずっと両親との3人暮らしをしていた。電話越しに、土砂降りの雨の音が聞こえる。外の公衆電話から掛けているらしい。――わざわざ親の携帯ではなく。
「いや、電話くれて嬉しい……けど。なにかあったの?」
妹の声からは何も読み取ることが出来なかった。いつも通り、無感情というか無関心というか。それでいてちゃんと感情がある様に見えるその声が、私はどうにも苦手だった。
――『あー、うん。ちょっと厄介なことが起きててさ。』
雨の音に加えて、パトカーのサイレンの音が聞こえてきた。私はどうしようもない嫌な予感に苛まれる。妹は少し黙って、私の反応を待っている様だったが言葉をつづけた。
――『父さんと、母さんが帰って来なくってさ。』
そう告げた妹の声は、珍しく感情が滲んでいた。――何だか嬉しそうに聞こえたのを、私は今も覚えている。
久しぶりの帰省がこんな形になってしまったことを、私は心の底から悔いていた。もっと沢山帰ればよかった、親孝行していればよかった、とか。妹は私とは反対に、気にしていないどころか少し嬉しそうだったが。
こうして私の両親は行方不明になってしまったらしい。それから私はこうして、大学を中退までして喫茶店を営み、妹の面倒を見ている。
祖父母が居れば、大学を辞めるほどの話にはならなかっただろうが、末っ子に甘い両親のおかげで全く生活能力がない私の妹の面倒を見れる親戚がこの町はおろか、何処にもいないのだから仕方がなかった。妹は両親が2日家に帰って来ないのを旅行か何かだと思ったと言い、2日水も飲まずに生活していたそうだ。土日だったこともあって給食も学校も無く、事態の露見が遅くなったと、警察の人は言っていた。
正直言って私は妹が苦手だ。いやもはや嫌いかもしれない。
あれだけあの2人の寵愛を受けておいて、どことなく感情という概念が存在していないのではないかと思うほどに表情が乏しい。と思っていたら、最近はそういう『フリ』が上手くなっていた。顔や声は嬉しそうだったり、楽しそうだったりするが、やはり目までは上手く誤魔化せないらしい。深淵の様に真っ暗な目に光がともったところを、私は今までちゃんと見た事がない。
あの子は変だ。変という以外の言葉で表すなら、異様だろうか。昔からその片鱗はちゃんとあったが、両親という壁に阻まれて上手く見えていなかった。
時々凄く、妹が禍々しいものに見えてしまいそうで怖くなる。それと同時に己の器の小ささに嫌になる。妹は私の想いとは裏腹に、それなりに私を慕ってくれているらしいのだ。
「……姉さん。」
暗くて抑揚の無い妹の声。見つめるほど呑まれそうな琥珀色の目の奥にある、黒い渦。
あの子は本当に私の妹なのだろうか。
「……っ!」
いけない、いつの間にか寝てた。時計に目をやると11時を過ぎたばかりだった。相変わらず客は来ない。いつの間にかレコードが止まっていた。BGMが鳴りやんで、店内は静まり返っている。私は自分用にコーヒーを1杯淹れて、一気に飲み干した。喉が焼ける様な感覚があったが、眠気覚ましにはちょうどいい。今のうちに昼ご飯を済ませてしまおうかと不意に思って、カウンターから立ち上がった。
トースターで焼いた2枚の食パンに、それぞれマスタードとマヨネーズを塗り付けていく。具材は簡素にハムとレタスとチーズ。いい加減慣れた手つきでサンドイッチを完成させて、綺麗に切りもせず口に運ぶ。咀嚼を繰り返して飲み込む。さっき淹れたコーヒーと一緒に、見てくれは良い昼食を済ませた。
「んっ……。」
喫茶店の長女に生まれ、現在店主という肩書であるにも関わらずだが、私は洋食が苦手だ。というか食事という動作がそもそも好きじゃ無かったりする。食べ方があんまり綺麗じゃないという自負があるから、食事の時間は落ち着かない。その点で言うと妹は、ものすごく美味しそうな顔をして物を食べるのだけど。そういうところが愛される要因なのだろうか、なんてまた負の思考に傾いたとき。
からんからん
扉が開いた合図がして、私は急いで口に入っていた最後のサンドイッチを飲み込んだ。それから入口に向いて、にこりと愛想のいい笑顔を浮かべる。
「いらっしゃいませ。」
そう言ってから、少し驚いた。この町の人ではないお客さんだったからだ。大体この店に来るのは、昼休みを迎えたこの町の労働者であり、たまに学生たちがたむろしに来たりするために珍しい客人だった。
「こんちゃー。」
そのお客はそんな間延びした声と共に――私の正面のカウンター席に腰を下ろした。
「んーと、ホットコーヒー1つと……、ナポリタンで。」
「かしこまりました、少々お待ちください。」
黒い、喪服の様なスーツを着て、明るい茶髪を肩のあたりで切り揃えた……高校生だろうか、可愛らしいあどけなさのある少女だった。何とも言えない、装いと顔の不釣り合いさが余計に不思議だ。なんて、横目でその客を見ながらぼんやり思う。……駄目だ、何だか今日私はいつもより疲れてるのかもしれない。早く寝よ。
「……ん?……うげっ。あの、すいません。」
「はい、何でしょう?」
「電話出ても良いですかね……?」
「あ、えぇどうぞ。」
今店内には2人しかいないということもあり、律儀にその客人は私にそう尋ねた。客人は少し笑ってから会釈し、テーブルの上で振動していた携帯の画面を操作して耳に当てた。
「あ、もしもーし、はぁい、あスザク室長?えぇ、はい、ツキヤマです。あー、カガミ先輩まだ見つからんのですよねぇ。はぁい。あれ、言われてたのって資料と、予備の弾だけっすよね。あぁー、はい、えぇえぇ――。」
そこから先は仕事か何かの事細かな話をしていたため内容の理解が上手く出来なかった。がまぁ、その『カガミ先輩』という人がそれなりにとんでもない人だという事は、聞いていてよく分かった。昨日からこの町に来ていて、対策室?に返ってきていないが、旅費も何も持たせずに行かせたからどこで野宿しているか見当が付かない。……らしい。本当によく分からない。そしてこの童顔少女、下手すると余裕で私よりも年上かもしれないという焦りがじわっと広がっていく。
「お待たせいたしました、ナポリタンです。」
「わ、ありがとうございます!すいません、追加でこのプリンも良いですか?」
「かしこまりました。」
電話中に先に出していたコーヒーをまず啜って、童顔少女はナポリタンを結構な勢いで食べ始めた。良い食べっぷりだなぁと一瞬目を奪われる。先ほどツキヤマと電話で名乗っていたな、下の名前は何て言うんだろうな、なんて思う。そうこうしているうちにナポリタンは半分にまで減っていた。お腹が空いているのかもしれない。私は急いで、なおかつそれがバレない様にプリンを準備した。食べ終わってほどなくして出せる様に準備しておく。
「んー、美味しいですねこのナポリタン。……お姉さん1人でお店されてるんですか?」
童顔少女――ツキヤマが私にそう話しかけてきた。0.5秒ほど反応が遅れて、私は答える。
「もともと両親が営業していたのですが、今は私が代理で営業してます。」
「へぇぇ、そうなんですね!見た所お若そうだし、立派ですねー。」
「あはは、ありがとうございます。……お客さんも、かなりお若く見えますが。」
「ん、僕はそうでもないですよ?やっぱ童顔だからかなー。これでももう23とかです。」
年上だったぁ……。何とも居た堪れない気持ちになる。髪色や肌の質感、表情の明るさや話し方が女子高校生のそれだと思ったんだけどなぁ……。
「そうなんですか、いやすみません、高校生かと。」
「あっはは、よく言われます。お姉さんはおいくつ?」
「19です。」
「えっ、若っ。……そして年下。」
ですよねやっぱり、見えないですよね。生まれて一度も染めたことの無い焦げ茶色の髪を低い1つの団子にまとめて、半袖の落ち着いたポロシャツを着ているのも相まって、外見年齢は20代後半だという自覚がある。それが好きだからどうしようもないが。
「そうなんですねぇ、良いなぁ19歳。あでもまだ酒が飲めないのか。」
「そうですね。まぁでもあと3か月で誕生日なので。」
「お、それはおめでとうございます。」
「はは、ありがとうございます。」
そこまで喋ってから、私はカウンター向こうのツキヤマの前にプリンの皿をそっと置いた。それからナポリタンの空いた皿を持ち上げる。
「うわぁっ、美味しそう!頂きます!」
「召し上がれ。」
さっきのナポリタンとは少し違って、慎重に壊さない様にプリンを頬張っているように見えた。どちらにせよ可愛らしいなと思ってしまい、思わず目が離せなかった。そのせいで顔をふっと上げたツキヤマと目が合ってしまった。
「ん、どうかしました?」
「あぁいえ、すみません。……美味しそうに召し上がられるなと思いまして。」
「はは、ほんとですか?何か嬉しいなぁ。」
「いえこちらこそ、そんな風に召し上がっていただけるの光栄です。」
そう言って、私は笑ってしまった。愛想笑いではなく、久しぶりに普通に笑った気がした。それを見たツキヤマは、プリンのスプーンを皿の上に置いてから私を見つめた。
「ねぇお姉さん、良かったら――お名前教えてくれませんか?」
「へ、私のですか。」
「えぇ。あ、ちなみに僕はツキヤマ—―
「がく……さん。……えっと、私は――扇崎です。扇崎舞と言います。」
「舞さん!いいですね、良く似合ってます、そのお名前!」
初めて、そんな風に言われたなと思ったらかなり嬉しかった。思わずにこりと笑ってみる。気づいたらガクさんはもうプリンを食べ終わっていた。席を立って会計の時、1000円札と一緒に名刺を差し出してきた。
「また来ますね舞さん、ごちそうさまでした。」
私は戸惑いつつも、その名刺を受け取った。じんわりと嬉しさに包まれていくのに気づくのが遅かった。
からんからん
ひらひら手を振りながら雅空さんは行ってしまった。また店内は静かになった、が。
「……ふふっ。」
私の心臓はさっきよりうるさく鳴っていた。
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