好きだあああっ!――という一言がポンコツ過ぎて言えないとある父親の苦悩

和泉ユウキ

プロローグ


「うるさい! 俺達に……俺に! 構うなよ!」


 ただ、一言だけ。たった一言だけ。

 本当に一言だけでも伝えたかった。


 何度も何度も夢で見た、あの言葉を。ただ言いたかった。


 けれど、子供達には怒鳴られ、手を振り払われ、全身で拒絶された。

 分かっている。もう今更だということは。

 それでも言おうと思ったのは、きっと『あの夢』のせいだ。


「何なのよ、いきなり! ……ほんっとうに……っ、何なのよ……!」

「ふざけんなよっ。……あんたが今までオレ達に興味を持ったことなんてあったか⁉ 無かっただろうが!」


 ――違う。


「いつだってそう! 話をしようと思えば忙しいの一言! おはようって言ったってなんにも返してくれない! 私達が何かを訴えようとしても、ぜんっぜん! こっちを向こうとさえしてくれなかった!」


 違うんだ。


「それが何だ⁉ 今更話をしようってっ! 親子だからって! ……今更父親面しようとして! ……都合の良い時だけ『父親』振りかざすなよ!」


 そうじゃない。

 そうじゃないんだ。

 ただ、今は。


「どうせ、ずっと思ってたんでしょ! 私達のこと、……私達のこと!」


 ――違……。



「『―――』だって!」



 ――違う!



 力の限り叫びたかった。

 叫んで叫んで、喉が枯れても潰れても、そう叫びたかった。

 それなのに。



「――――――――」



 俺は、咄嗟とっさに動いていた。子供達を思い切り突き飛ばす。

 直後、背後から焼ける様な衝撃に声が出なくなる。

 目の前で、何故か子供達が呆然としている。

 今まで怒っていたのに、次には呆然として――何故か、今は泣きそうになっていた。

 俺と違って、本当にくるくる表情が変わる。俺の子供とは思えないくらいに。

 ああ、そうだ。馬鹿だった。

 今更父親面なんて、して欲しくはないだろう。

 俺は、どこで間違った。

 最初からだろうか。――最初からなんだろうな。


 俺はただ、あの子達を――。


 ただ、ただ。



〝おねがい、ね〟



 ――ただ。











「――ディアン! カーラ!」



 大声で叫んで手を伸ばす。

 だが、こんなに思い切り伸ばしたのに、俺の手は何もつかめなかった。ただ空しく空を切る。


「……、……何で……っ」


 胸が痛くて壊れそうだ。そんな思い、今までしたこと無かったのに。何故、こんなに胸が痛いのだろうか。



 ――ああ。



 頭が、がんがんする。



 珍しく二日酔いにでもなっただろうか。でも昨夜は別にサークルの飲み会なんて無かったはずだ。

 頭を押さえて起き上がり、きょろきょろと辺りを見渡す。

 すると、全く見慣れない部屋だということに気付く。明らかに高級感満載の部屋に恐れおののいた。

 ここは何処どこだ。

 いや、そもそも。



「……ディアン? カーラ?」



 って、誰だそれ。


 気付けば夢中で叫んでいたが、一体誰のことだ。

 というより、ここは本当に何処だ。


「うん? ……あー、俺、……こんなに豪華な部屋に来た記憶も無いんだけど?」


 ごくごく普通の家庭で育ち、大学に入ってからは一人暮らし。両親が「遠慮するな」と言って、不自由ないアパートに入れてくれた。大学にも行けて感謝している。

 だが、今俺がいるのは1Kの広さではない。広々とした格調高すぎる部屋だ。ベッドもふかふかで天蓋付きだし、床には豪奢な絨毯まで敷かれている。見るからに庶民には手が出せない品質だと分かって、踏むのも恐れ多すぎる。

 俺は一体どこに迷い込んだんだ。


「……って、着てるパジャマもめっちゃ高そうなんだけどっ」


 飾り気のないシンプルなものだが、肌ざわりも良く一目で高価なものだと分かる。どこぞの御曹司でも着そうな高級品に、いよいよ寒気が走ってきた。


「いやいやいやいや。俺、……いや、……? 俺? ……ディアン? カーラ?」


 何だか聞き覚えがある様な。

 枕の方を向いて完全に混乱した俺に、だが慈悲など微塵も無かった。



「――旦那様。お目覚めになりましたか?」

「――っぎゃあああああああああっ⁉」



 いきなり背後から声をかけられ、恥も外聞もなく飛び上がった。普通、いきなり後ろから声をかけられたら誰だって驚く。そうに違いない。

 だが、驚いたのは向こうも同じだった様だ。いかにも漫画や小説に出てきそうな執事服姿の黒髪青年が、ぱかっと目と口を丸くしていた。きちっと直立不動しているだけにギャップが面白すぎる。


「……ギルバルト。本当にどうしたんです? 変なものでも食べました?」


 かと思えば、思い切り呼び捨てにされた。執事にあるまじき言動である。

 しかし、ギルバルト? 誰だそれ。


「えー、と。ギルバルト?」

「ええ。ギルバルト」

「ギルバルト? いや、俺は、――」


 そこまで口にして、ばちん、と頭の中で何かが弾ける。痛い。思わず頭を押さえた。

 しかし、記憶というのは痛みが治まることなど待ってはくれない。ごおっと洪水の様な轟音を立てて、一気に記憶が縦横無尽に俺の中を駆け回った。


 ギルバルト。俺。

 ディアン。息子。

 カーラ。娘。

 二人は双子で今は二十歳。

 彼は、ブランシュ。幼馴染兼執事で、常に俺付きの執事になってくれている。



 いや、ちょっと待て。



「ぎ、ぎるばると?」



 そんな大層な西洋風の名前など知らない。

 俺は、陽人はるとっていう至って普通の日本人だ。


「――、……い、や」


 ああ、違う。

 ……日本人。……だった、だ。



「……ああ、俺」



 大学の帰り道。

 テスト前だからと夜遅くまで友人と一緒に図書館で勉強をしていた。

 じゃあな、と手を振って別れて、アパートまで帰ろうとしたら。



〝待ちなさい!〟



 鋭い怒号と共に近付いてくる足音。ばたばたとうるさく、異常事態だということは聞くだけで分かった。

 けれど、気付いた時にはもう遅くて。


〝止まりなさい! もう逃げられないぞ!〟

〝大人しく……!〟

〝うるせえ! ……っ、てめえ、……どけええええええええてめえええ!〟

〝は? ――っ!〟


 路地の角から突然現れた黒い男に、思い切りぶつかられた。

 いや。



 ぶつかると同時に、腹に物凄い痛みが走った。



 気付いた時にはもう男は走り去っていて、男を追いかけていたらしい警官達が何か叫んでいるのが聞こえた。

 だが、そこから記憶が曖昧だ。急速に意識が閉じていったのが最後の光景だったはず。

 つまり。



「……俺、死んだのか」

「いや、生きていますが」



 ご丁寧にツッコミを入れられた。自分が死んだ時のことを振り返っていたので、何ともちぐはぐな会話だ。

 いや、それよりも。


「……そう。俺、ギルバルト」

「旦那様。ナルシストだったのですか?」

「何でだよ!」

「いや、さっきからぶつぶつ自分の名前を何度も呟いたり、死んだって言ったり、本当におかしいですよ。思わず呼び捨てにしちゃったじゃないですか。執事なのに」


 理不尽だ。

 別に執事の顔を放り投げたのは俺のせいじゃない。断じて、俺のせいじゃない。……多分。恐らく。きっと。

 だって、混乱するだろ。さっきまで普通の大学生だったのに、いきなりギルバルト・デンツィーレとかいう貴族の人間になっていたって知ったら。しかも、さっきまで子供であるディアンとカーラの名前を必死に叫んでいた夢まで見ていたのに。

 そう。


 ギルバルト・デンツィーレ。


 それが、今の俺の名前。

 そして、大学生だった俺は、いつの間にか子持ちになっていたらしい。しかも絶賛反抗期真っ盛りの。

 その上、愛する妻は子供を産むと同時に逝去。何とシングルファザーである。


「あー、と。……その。……ああ、そうそう。ディアンとカーラは、どうしてる?」

「え」


 ごまかす様に尋ねてみれば、思い切り目を丸くされた。何故だ。何故、そんなに驚かれるの? 反抗期真っ盛りでも、やっぱり子供のことは気になるじゃないか。

 しかし、現実は想像以上に複雑だった。


「……ギルバルトも、ようやく素直になろうと思ったんですか?」

「はあ? 素直?」

「だってそうでしょう。今の今まで、子供がどうしてるかって、気になり過ぎているくせに、あえて聞こうとしなかったじゃないですか」

「はあ?」


 何を言ってるんだこいつは。

 ぶん殴りたくなったが、次の一言で頭が凍り付く。



「ディアン様とカーラ様がお産まれになってこの方七年。私達が報告するまで、なーんにも聞こうとしなかったですからね。そりゃあ驚きもしますよ」

「――――――――」



 七年。産まれて七年。二十歳ではなかったのか。

 いや、それよりも。


 七年間、まともに子供達のことを知ろうとしなかった?


 大急ぎで記憶を探ると、確かに事実だった。

 このギルバルト、子供達の前でろくに挨拶をしないどころか目も合わせてない。食事は別々だし、子供が今日は何をして過ごしているかということすら使用人が報告するまで全く聞こうとしない始末。



 挙句の果てに、こいつ、王国騎士団の副団長として仕事に没頭してやがる。



 朝は早くに出発し、夜はとっぷりと更けてからの帰宅。

 家庭を全く顧みない男。

 それが、この俺の第二の人生になってしまっていた様だ。


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