棺桶ポロネーズ

伊藤沃雪

 ♪ 三拍子が響き、想像上の鍵盤をピアニストの細指が何度も下っては駆け上がって行く。音階のハーモニーが勇壮に、くっきりと踏まれて足跡を刻む。


 アンティークな鍵盤楽器が好きになったのは、父の影響だ。

 コレクションだという音響機器からは、毎日さまざまな曲が流れていた。

 音楽を聴くことがすっかり習慣になり、今では何もしてなくても、勝手放題に演奏され続けている。

 


  

 ——父が養寿ようじゅ施設に入ったそうだ。これで父は生き続けて、永遠と歳を重ねていくことができる。

 僕らの街では、人間は死ぬことがない。

 

「死なないって本気で思ってるのか、おまえは?」

 友人のガルシアが呆れ顔で僕を振り返る。冷静で物知りな彼を象徴するような濡羽色の髪が、風のせいで頬へと撫でつけられている。

「? 本気で、って。正真正銘生きているって都市政府も発表しているし、実際、死んでるわけではないでしょ?」

「まあ、そうなんだけど……」

 何を言われているかよく判らないまま、僕が聞き返すと、ガルシアは苦々しげに口ごもった。

 僕らの暮らす世界は『都市』の中にしか無いが、そのかわり他では考えられないくらいの長い人生を過ごすことができる。都市の住人は二百歳を超えると、養寿施設へと入所するよう政府から命令される。住人には入所後にも果たすべき役割があって、高齢になったからと用済み、とはならない。ずっとずっと活躍できる場が用意されている。

 

「サンディ、お前、養寿施設が何で〝棺桶〟って呼ばれているか知らないだろ」

「えっ、形じゃないの? あの施設、船型だし」

「ちげーよ……」

 ガルシアはいよいよ溜め息をついて肩をすくめてみせた。僕は彼と違ってあまり物を知らないから、言うことなすこと指摘を受けてばかりだ。

 そうやって二人で歩いていると、今まさに話題にしていた〝棺桶〟の形をした養寿施設が視界へと入ってきた。あそこに父がいるのだと思った途端、胸の奥が躍って、勢いよく駆け出した。おい、と少し焦ったような声が後ろから投げかけられた。


 

 

 ♪ いっそう鋭く、重みを増したリズムが奏でられる。軍隊音楽じみた力強いフレーズの後では、きらきらと輝いて跳ねるようなメロディが戻ってくる。閉じた目蓋の向こうで、踊り子達がステップを踏み、幸福そうに舞っていた。

 

 父はベッドに横たわり、立派に勤めを果たしていた。

 僕らと入所者には厚い壁が立ちはだかり、ガラスを介して様子を見ることしかできない。しわしわの青白い顔で眠っている父の身体には、チューブや管が何本も通されている。眼を開いて動き出すことはないにしろ、その臓器はしっかりといるということが、ガラス上方に取り付けられている電子パネルの表示で示されていた。

「十一ワットアワーだって! 普通の人より発電量が多いみたいだ。さすが父さん、鍛えてただけあるね」

 誇らしい心境で僕はガラス越しの父へと語りかけた。ガラスと壁を跨いだ向こうで、ずらりと並ぶベッドの奥に父は横たわっていた。

 二百歳を迎えて養寿施設に入る人達は、肉体的な死を克服するために薬を用いて、いわゆる植物状態になる。手厚い医療措置を受けて延命されつつ、臓器に人工ペースメーカーや振動増幅装置を埋め、電気として再利用させてもらう。都市に点在する施設には既に何万人という収容者がおり、それで都市の電力を賄っているという仕組みだ。

「聞こえてないんだろ?」

「うん。仮想世界に潜ってるはずだからね」

 ガルシアに聞かれて、発電量を計測して表示しているパネルの横に、並んで取り付けられたモニタを指差す。そこでは収容されている人々が意識だけ飛ばされている最中の、仮想世界の映像が流されていた。

「あ、父さんだ。ホラあの、僕と同じ金髪の」

「ん? どれ」

 映像の右上辺りを短い金髪の男性が横切っていく。仮想世界の中では皆若い姿をしているけど、顔立ちはそのままだった。

「きっとそうだ。よかったあ、楽しく過ごせているみたいで」

 映像を見ているうちに父があちらに居るのだという実感が湧いてきて、頬が緩む。父さんは二百歳が近付くにつれて不安がり、養寿施設への入所を拒否するような一幕もあったが、かといって死なせるわけにもいかないので必死に説得したのだ。

 この都市は砂地の中にぽつんと存在していて、ドーム状に覆われている中で外環境に左右されず安定した自給自足を実現している。エネルギーが枯れ果てた地上において、都市に生きる僕らだけが裕福な暮らしを享受できている。都市政府はすごい。的確な国政運営の手腕をとても尊敬しているし、心強く思う。死すらも超越した都市に生きる僕らの未来は明るい。

 

 

 

 ♪ 突然、切り裂くような不協和音がダダーン! と鳴った。これを皮切りに曲調が一変する。無骨さを増した旋律が、以前の世界とは変わってしまったのだと淡々と伝えてくる。

 

 

 呑気だよなあ。養寿施設からの帰り道で、ガルシアは言った。


「〝棺桶〟に老人を突っ込む政策、もう長続きしないぜ」

「えっ、どういうこと?」

「いや、考えてみろよ。いつまで経っても死なない老人達が永遠に増え続けるんだぜ。場所、治療、薬、維持費、人手。とにかく手が掛かる。誰だって死にたくないから、『もう死を恐れずに済みます!』なんて政府の甘い文句を受け入れちまってるけど、無駄以外の何物でもねえよ」

 あんまりな言い方に、僕はむっとする。するとガルシアは眉を寄せてから、濡羽色の髪を煩わしそうに掻き上げる。

「別に、お前の父さんを無駄だって言ってるわけじゃねえの。発電はしてくれてるし。……このままいけば、都市は〝棺桶〟だらけになっちまう。オレらの世代はもう〝棺桶〟に入ることすらできなくて、年取ったら延命されずに、ただ死ぬだけだ」

 衝撃的すぎて、僕は息をひゅっと吸ったまま固まってしまう。

 考えた試しがなかった。ゆくゆくは養寿施設へ入るものだと信じきっていた。

 父さん達のように長生きするための処置が、僕らの代では受けることができなくなる、だって?

 嫌だ、嫌だ、いやだ。

 死ぬのは怖い。

 死にたくない!


「そんな、嫌だ! ガルシア、僕は死にたくないよ。死にたくない……どうしたら、死なずに済むのかな……」

「知るわけねえよ。オレだって怖いぜ! でも、どうしても死ぬなら仕方ねえじゃん」

 怯えて、ガルシアの両肩を掴んでぐんぐん揺する。けれど彼はもうお手上げといった様子で、困り顔をするだけだ。


「なあサンディ、お前の父さんはどうだ? 今だってほとんど死んでるようなもんだろ!」

「え、父さんが、死んでる……?」

 再び、僕にとっては思いも寄らない事実を突き付けられた。

 その一言がきっかけで、深く思案に沈む。

 落ち込んだのではなくて、気が付いたからだ。

 父さんは生きている、とすっかり思い込んでいたけど、見方によっては死んでいるとも言えるのか。

「……あ、その。言い過ぎたよ、悪い……」

 どうやら傷つけたと思ったらしく、ガルシアはばつが悪そうに謝ってきた。ゆっくりと首を横に振って、否定する。

「ううん。違うんだ、ありがとう」

「え?」

「死なないで済む方法が分かったんだ。そうか、そうだったんだ……」

 理解が及ぶにつれて、感慨深い気持ちが込み上げた。

 養寿施設では、肉体の死を避けられるような医療措置がされている。でも当人が生きていると認識しているのかは、わからない。彼らを管理している側が勝手にそう言っているだけ。

 生死を分ける境目はとても近く、それを決めているのは僕ら自身だ。

 つまり、生死の鍵を握っているのは……。



 


 ♪ 春先のぬくもりを思わせる華やかなメロディが、ゆっくりと高音域に向かって昇っていく。一方、低音域ではいそいそと大舞台の土台を調えている。フィナーレが近付いていた。


 長い年月が過ぎていった。

 ガルシアはずいぶん昔に居なくなってしまって、もうどんな顔をしていたのかも思い出せない。

 

「市長!」

「サンディ市長!」

 僕はようやく、彼らの仲間入りを果たして、暖かい歓迎を受けていた。

「やだなあ、市長をしていたのはずいぶん昔の話ですよ。ただの一老人として扱ってください」

「都市始まっての大変革を起こした名市長ですよ! 誰だってあなたを尊敬しています」

「見捨てられかけた我々がこうして死なずにいられるのも、あなたのお陰なんですから」

 持ち上げられるのに恥ずかしくなって、やんわり謙遜してみても、彼らはにこにこと声をかけてくれる。

 ありがたい。僕は僕のために仕事をしたのだけど、それが誰かの喜びになっているなら本望だ。

 

 人が死ぬ瞬間は、肉体の死か、意識の死。どちらかだ。だから肉体だけ、もしくは意識が存在できる状態であれば、死なない。

 

 養寿施設は肉体側を死なないようにして、ずっと保ち続けるための施設だった。

 僕がしたのは、意識の方。人としての意識は仮想世界で存在できる状態にして、養寿施設運営のコストを削減した。一部機能を継続し、別の名前を持った機関が人々の命を守っている。

 これからは僕も、この仮想世界で何にもとらわれず、永遠に生きるのだ。

 

 ♪……

 

 ♪……


 ……

 

 ……そうしてオーケストラは、いつしか演奏をしなくなった。

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棺桶ポロネーズ 伊藤沃雪 @yousetsu

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