キッチン玲奈

南砂 碧海

キッチン玲奈

 その店は、俊介の住まいからすぐ近くにあった。駅近にある洋風居酒屋で俊介が夕食代わりに通っている。そこには、お気に入りの女子マスターがいた。その子に会うために通っていたと言っても過言ではない。店の名前は『キッチン玲奈』で、彼女のネームプレートから彼女の店だと分かっていた。


 夕方六時半になるとキッチン玲奈に行き、いつものように店のカウンター奥から二番目の席に座った。カウンター内にいるお気に入りの『玲奈』という女性に、ハイボールとパエリアを注文する。彼女は、手際よくハイボールとパエリアを作って出してくれた。俊介は、ほぼ毎日通っているが、彼女への想いは、なかなか言い出だせない。


「いつも、ありがとうございます。今日は、ジャーマンポテトをサービスさせて頂きますね。ごゆっくり……」

「ありがとう。玲奈ちゃんのハイボールと食事で僕は生きてるからね。感謝してます」

「私も俊介さんが、夕方六時半に来てくださると元気が出るんです。私も、そこから『がんばろう』ってお仕事のスタートなんですよ。いつも、ありがとうございます」


 玲奈の言葉の響きは心地良いが……。いつも、俊介はそこで悩んでしまう。

(どう思ってるのかな?良く来る客への社交辞令かな。デートに誘っても、きっと無理だろうな……)


 そんな事を勝手に考えているのだが、要するにデートに誘う勇気がないのだ。いつもそのレベルで会話が止まってしまう。いつもカウンターなので、既にお互いの軽い身の上話はしていた。玲奈がカウンターの中で立つ凛々しい姿に憧れながら、俊介なりの晩餐の一時を過ごしていた。


 ある日、玲奈に思い切って聞いてみた。


「玲奈ちゃんは、ボーイフレンドいるの?」

「私なんかと、付き合ってくれる人なんていませんよ。私、それより自分のお店を出したいんです。今はお店を借りているので。俊介さんみたいな常連さんが出来たら良いなと思っています」

「新しい店が出来たら、絶対行くから教えてね」


そんな内容を話したが、本当に言いたかった言葉は違う。


『玲奈ちゃん。二人で、これからの未来を一緒に歩いてくれませんか』


なんて、洒落た言葉を言いたかったが、勇気がなく言い出せなかった。今日は、彼女にボーイフレンドが居ないという事が分かっただけでも大収穫だと思っていた。


 次回のキッチン玲奈の訪問は、珍しく一週間後になってしまった。俊介の仕事が、月末の残業続きで帰りが遅かったからだ。店に入りいつもの席に座ると、玲奈が微笑みながら言葉を掛ける。


「今回は、随分ご無沙汰でしたね。もし、私がお店を出しても本当に来て頂けるんですかね……」

「ごめんね。月末で仕事が忙しくてさ……。ハイボールとアヒージョをください。ハイボールには、ミントを入れてもらえませんか」

「お待ちください」


(玲奈ちゃんは怒ってないかな……)


「オレンジミントを添えてみましたが、お好みに合いましたかね」

「サラダは、頼んでないけど?」

「サービスです。どうぞ、お召し上がりくださいね」



 玲奈が、冗談半分に店に来ない事を茶化したのだが俊介は焦っていた。玲奈の心が、このまま自分から離れてしまうのではと思ったからだ。


 玲奈が作ってくれたハイボールは本当に美味しかった。喉も乾いていて一気に飲み干すと、一週間のブランクを埋めるように二杯目を注文する。俊介のテンションは、玲奈を見つめながら上がって行く一方だ。サービスのグリーンサラダを食べようとして手元に近付ける。俊介がサラダを掴むと、ミントの葉の裏側にアブラムシの卵のようなものが付いている。


「この黒い粒々なんだろう?サラダのミントの葉は、食べないから別に良いけどね」

「アブラムシの卵かしら……。良くミントの葉には付いてるんですよ。ごめんなさい。トッピングにこれをどうぞ……。」


 玲奈は、俊介のサラダのミントの葉に一匹のテントウムシを添えた。オレンジ色のテントウムシは、可愛らしく動いてアブラムシの卵に近付くと食べ始めた。流石にこのサプライズには驚いた。まさに玲奈ワールドだ。サラダが食べたい訳でもなく、その光景に見とれていた。今日は、既にハイボール三杯目を追加でほろ酔い気分。彼女の顔がとても優しく見えた。今日の俊介には、軽い酔いも手伝って勇気があった。


「これからは、玲奈ワールドで一緒に暮らしたいな。僕は、テントウムシと一緒に、君とミントの葉を守りたい。君がお店出すなら会社を辞めても良いよ。君と一緒に生きて行けたら幸せです」

「ありがとう。俊介さんが、本当にそう言ってくれるなら、同じ未来を考えたいと思います」


 俊介のセンスのないプロポーズだったが、玲奈は冷静に受け止めてくれた。俊介は半年後に会社を辞め、キッチン玲奈のギャルソンとして働くようになる。今でも、グリーンサラダの『てんとう虫トッピング』は、店の看板メニューとなり、疲れた客の気持ちを癒している。


<終>

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キッチン玲奈 南砂 碧海 @nansa_aoi

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