第22話 旧友の願い

 王都への帰路の途中、レオンたちは小さな宿場町〈ベルシェン〉に立ち寄っていた。


 長旅の疲れを癒すため、ひと晩の休息。陽が沈み、淡い夕闇が町を包み込む中、レオンは人気のない路地で、ひとり物思いにふけっていた。


 ──そんな彼の背後に、足音が近づいた。


「……お前、レオンか?」


 その声に、レオンは剣の柄へと手を伸ばしかけたが、次の瞬間、目を見開いた。


 声の主は、フードを深くかぶった男だった。やせ細った体躯に、どこか懐かしさを感じさせる立ち姿。だが、確かにそこに“昔”の匂いがあった。


「……お前、まさか……アベル……?」


 男はゆっくりフードを外し、穏やかに笑った。


「よく覚えていたな。“死んだはず”の男を」


 ◆ ◆ ◆


 アベル・グレイ。


 かつてレオンと同じ暗殺組織に所属し、ともに“地獄”を生き抜いた数少ない仲間だった。


 数年前の“粛清”で死亡が確認されていたはずの彼が、今こうして目の前にいる。


「驚いたか? 俺も、あのときは死ぬと思ってたさ。でも……運が良かった」


 レオンは深く息を吐いた。


「……お前が生きててよかったよ」


 アベルの目が一瞬、哀しげに揺れる。


「そう言ってくれて嬉しいが、今日は“再会の喜び”だけじゃ済まないんだ」


 彼は懐から一通の手紙を取り出し、レオンに差し出す。


 ──そこには、かつての仲間の名が記されていた。


『カレン・アルディス。消息不明。救援を求む』


「カレンが……生きてる?」


「ああ。少なくとも、つい最近までは。だが、今はある貴族の屋敷に囚われているらしい。表向きは“侍女”として雇われてるが、実態は……監禁と変わらん」


 レオンの表情が険しくなる。


「……どこだ」


「エルドリッヒ領、南の森にある別邸だ。正面からは入れない。警備が厳重だし、あの家……何かがおかしい」


 ◆ ◆ ◆


 夜。


 レオンとアベルは、こっそりとエルドリッヒ家の別邸へと潜入した。


 森に囲まれた古びた屋敷は、昼間とは打って変わって不気味な静寂を漂わせていた。窓から漏れる灯りもなく、まるで“生きている建物”のようだった。


「……ここが、あの屋敷か」


「警備兵の配置が不自然すぎる。動きが軍人みたいだ」


 アベルが地面にしゃがみ、足跡を調べながら低く囁く。


「カレンは中庭奥の離れにいる。だが……一つだけ、忠告しておく」


「なんだ?」


「……彼女の様子は“普通じゃない”。おそらく、何らかの魔術に囚われている可能性がある。自我を失ってるかもしれない」


 レオンはわずかに目を細めた。


「それでも構わない。連れ戻す。どんな形でも」


 ◆ ◆ ◆


 離れの建物は、厳重な封印魔術によって守られていた。


 しかし、レオンは迷わず魔法陣を剣で断ち切る。光の閃きとともに、扉が静かに開いた。


「……カレン」


 そこにいたのは、かつての仲間──カレン・アルディスだった。


 だが、その姿は変わり果てていた。


 白いドレスに身を包み、無表情で椅子に座る彼女の瞳は、どこにも焦点を結んでいなかった。


 アベルが歯噛みしながら言う。


「……やっぱり、精神操作系の魔術だ。記憶を封じられてる可能性がある」


 レオンはそっと近づき、彼女の手を取った。


「カレン。俺だ。レオンだ。思い出してくれ」


 彼女の手が微かに動いた。


「……レオン……?」


 かすれた声。


 だが、その瞬間、彼女の身体から禍々しい魔力があふれ出し、部屋の空気が震えた。


「……逃ゲテ……ワタシハ……」


 目を見開き、異形の魔法陣が床に展開された。


「罠だ!」


 アベルが叫んだ。屋敷中に警報が鳴り響く。


 レオンは咄嗟にカレンを抱きかかえ、アベルとともに飛び出した。


 火矢が飛び交い、剣士たちが追いすがる中、レオンたちは森へと逃げ込む。


 ◆ ◆ ◆


 森の中、小さな廃教会に身を隠した。


 カレンは、まだ自我を完全に取り戻していない。だが、レオンの顔を見るたび、微かに表情が戻ってきていた。


「……覚えてる……レオンの声……レオンの匂い……」


 その言葉に、レオンはそっと彼女の手を握り返した。


「もう大丈夫だ。お前は“自由”だ」


 アベルが苦笑した。


「……あのとき、俺たちはただ命令に従って、誰かを殺すだけだった。だけど今、お前は人を“救ってる”。レオン、お前は変わったよ」


 レオンはかぶりを振った。


「変わったわけじゃない。ただ……“戻れなくなっただけ”だよ」


 それでも──


 彼の瞳には、確かな光があった。


 罪と過去を背負ったまま、それでも誰かを救おうとする意志。


 その剣は、今、信じるもののために振るわれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る