第13話 白の盾と黒の爪

 帝都〈ルフェリア〉は、巨大な城壁と煌びやかな尖塔が連なる、美と権威の象徴だった。


 だが、レオンの目に映るそれは、かつての記憶とは違っていた。


 ──腐臭がする。


 人々は穏やかな笑顔を浮かべているが、その陰では目を合わせぬよう怯え、誰かに監視されているかのように暮らしている。絢爛たる街の外面の下に、影が這っていた。


「さすがは“組織の牙城”ってとこか……」


 レオンが呟くと、カイルは眉をしかめて周囲を見渡した。


「衛兵、妙に多くない? 普通の警備って感じじゃない」


「ここは今、“粛清”の空気に包まれてる。組織は内部の異分子を潰す動きを強めてるんだ」


 シルヴィアは冷静に言いながらも、腰の剣に自然と手が伸びていた。


「……じゃあ、その“白の盾”も?」


「ああ。奴らは今、帝都で最も危険な存在だ。……だから、俺たちはそこに近づく」


 ◆ ◆ ◆


 “第七警備隊詰所”──それがエリナ・ヴェステリアの拠点だった。


 帝都の南西、古い教会を改修したその建物には、厳めしい兵士たちが警戒を強めていた。


「通行証は?」


 門前で止められたレオンは、フードを深く被ったまま低く答えた。


「“旧知の者”として、隊長に私的面会を申し込みたい」


「名前は?」


「……レオン・クロウ。伝えれば、きっと通じる」


 衛兵は目を細めたが、詰所の奥へと伝令を走らせた。


 待つこと数分。


 扉が開かれ、緊迫した空気の中、現れたのは──


「……変わってないのね」


 長い金髪を後ろで束ね、銀の装甲に身を包んだ女将校。青の瞳はまっすぐで、ひとつの濁りもなかった。


 エリナ・ヴェステリア。かつての婚約者だった。


 レオンは帽子を取ると、微かに笑った。


「久しぶりだな、エリナ」


「……生きてたとは思わなかった。嬉しい、とは……言えないけど」


「そりゃそうだ。俺はあの頃、お前を裏切って姿を消した」


 冷たい風が吹いた。


 だが、エリナは静かに頷いた。


「……話を聞くわ。中に入りなさい」


 ◆ ◆ ◆


 詰所の奥、作戦室。


 レオンたちとエリナの間には、厚い机と五年の沈黙が横たわっていた。


「〈黒影〉に追われている。俺たちは、そいつらを根絶やしにしたい。……そのために、“お前の正義”を借りに来た」


「随分と虫のいい話ね。でも……」


 エリナは資料を閉じ、レオンを真っ直ぐに見た。


「私も同じことを考えてた。〈黒影〉は帝国の癌。正面から切除しなければ、帝国そのものが崩壊する」


「なら、話は早い」


「けれど……あなたが今の私に協力を頼んだのは、“信じている”から? それとも、“利用できるから”?」


 その問いに、レオンは言葉を詰まらせた。


 正直に言えば、両方だった。彼女の正義感は信じられる。だが、同時に、それがこの“闇の帝都”で唯一の希望でもあると、計算していた。


 だが──


「……信じてる。いや、信じたかったんだ。ずっと」


 沈黙。エリナの瞳がわずかに揺れる。


 「……あなたが戻ってきて、少しだけ嬉しいと思った。馬鹿ね、私」


 彼女は苦笑した。


「協力するわ。あなたがまだ、“あの頃の心”を持っているなら」


 レオンは黙って頷いた。


 背後で、シルヴィアがじっと彼らのやり取りを見つめていた。


 ◆ ◆ ◆


 その夜、帝都の裏路地で火災が起こった。


 “粛清”の名のもと、〈黒影〉は貧民街に潜む反乱分子を焼き払ったのだ。


 市民の悲鳴、燃え盛る火。レオンたちが現場に駆けつけたとき、そこに立っていたのは──


「よう、レオン。久しいな」


 黒い外套、仮面をつけた細身の男。その足元には、倒れた数人の反乱者と、燃え残る文書があった。


「……ノワール」


 レオンが低く名を呼ぶ。


 かつての“同僚”──否、“後継者”として組織が育て上げた冷血の暗殺者。


「君の“贖罪ごっこ”も、そろそろ終わりにしないか? 僕はね、君の失敗を処理するためにここへ来たんだ」


 ノワールは仮面の奥で笑ったような気配を漂わせる。


「次は“白の盾”だ。君の可愛い婚約者も、すぐに消すよ」


「──させるか」


 レオンは剣を抜いた。


 風が、火の粉と共に舞い上がる。


 燃える街の中、再び剣が交わる。


 それは、贖罪ではない。“決意”の戦いだった。

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