第11話 追われる者たち

 空は曇り、冷たい風が草原を吹き抜けていた。


 レオンたちは、北方の街「アルゼナ」を目指していた。かつて帝国の北部交易の中心地として栄えたその町は、今や人の出入りも少なく、隠れるには格好の場所とされていた。


 追手の目を逃れ、次なる手がかりを求めるため──三人の足取りは、確かにそこへと向かっていた。


 ◆ ◆ ◆


「……ねえ、まだ? そろそろ休憩ってどうだろうか……」


 ぐったりしたカイルが文句を言うたびに、レオンはわずかに足を緩めた。


「足を引っ張るなら、置いていくぞ」


「そんな、俺だって頑張ってんだ!」


 隣では、シルヴィアが無言のまま歩いていた。以前の彼女なら、一切の疲労も見せなかったはずだ。だが、今は表情にわずかな人間らしさが滲んでいる。


 旅の生活に少しずつ馴染んできた証かもしれない。


「アルゼナまであと一日。今日は丘の裏手で野営だな」


 レオンが地図を見ながら言うと、シルヴィアはふと空を見上げた。


「……追ってくるわ。奴ら、私が裏切ったと知ったら、次は“処刑部隊”を出す」


 「処刑部隊?」とカイルが眉をひそめる。


「あの組織の中でも、粛清専門の精鋭。……標的は、確実に殺す。そのためなら村一つ焼くこともある」


 レオンは思わず眉を寄せた。記憶の中でも、それは最も恐ろしい連中だった。


「つまり、追われるのはこれからが本番ってことか……」


「それでも進むしかない。奴らの計画を止めるには、“核”に辿り着くしかないからな」


 そう、〈黒影〉が動き出した本当の目的──それは単なる暗殺ではない。帝国の軍事中枢を掌握し、影からこの世界を“再編”するという狂った計画が進行していた。


 その一端を知った以上、レオンたちはもうただの旅人ではなかった。


 ◆ ◆ ◆


 夜が更け、焚き火が揺れる。


 カイルはすでに眠り、レオンとシルヴィアだけが火を見つめていた。


「……こうして並んで火を囲むなんて、昔じゃ考えられなかったわね」


「お前は火より、血の匂いが好きだったろ」


 その冗談に、シルヴィアは小さく笑った。


「ええ。あの頃は、感情を殺すことでしか、生きられなかった。でも今は……少し、違う気がする」


「“贖罪”って言葉を、信じてるのか?」


 レオンの問いに、シルヴィアは答えなかった。


 代わりに、手にした小さなナイフを見つめる。


「殺すためじゃなく、誰かを守るために刃を持ちたい──あなたの言葉、私にはまだ重すぎる。でも……」


 焚き火の明かりが、彼女の横顔を照らす。


「“試してみたい”とは、思ってるわ」


 レオンは火に小枝を投げ込み、火花が弾けるのを見つめた。


「それでいい。少しずつでいい。……俺たちは、もう“作られた命”じゃない」


 ◆ ◆ ◆


 翌朝。


 遠くの空に、黒い鳥が飛んでいた。


 それは伝令用の鴉──組織が使う索敵の使い魔だ。


 「来るぞ」とレオンが短く呟いた。


 数時間後、追跡の音が風に乗って聞こえてきた。


 ──そして現れたのは、三人の男と一人の少女。


 先頭に立つのは、重厚な鎧に身を包んだ処刑部隊の指揮官、ヴァルド。


「見つけたぞ。裏切り者、シルヴィア・ノア。および、脱走者レオン・クロウ。随伴者もろとも処刑対象とする」


 無機質な声。背後の部隊はまるで機械のように動く。


 レオンは剣を抜いた。


「カイル、下がってろ」


 「う、うん……!」


 シルヴィアも構える。目の奥に、かすかな覚悟の光が宿る。


 「今度こそ、“私の意思”で刃を振るう」


 激突の火蓋は、切って落とされた。


 ◆ ◆ ◆


 戦いは、過酷だった。


 ヴァルドの重剣は圧倒的な重量と破壊力を持ち、まともに受ければ一撃で地面に沈む。


 レオンはその剣圧をかわしながら、反撃の隙を狙う。


 一方、シルヴィアは高速の連撃で敵を翻弄し、一人ずつ確実に仕留めていく。


 「なんで……こんなに、強いんだよ……!」


 カイルの叫びに、レオンは血に濡れた手で汗を拭った。


「──生きるためだ。生きて、罪を償うためには、力が要る」


 やがて、残るはヴァルドただ一人。


 だが、彼は最後の魔術を発動させようとしていた。


「“影の契約式”……これで、貴様ら全員──!」


「させるかッ!」


 レオンの剣が閃き、詠唱の中心核を切り裂いた。


 ヴァルドの体が崩れ落ちる。


 長い戦いの終わり。草原の風が、再び静けさを取り戻した。


 ◆ ◆ ◆


 その夜。


 焚き火の前で、三人は肩を寄せて座っていた。


 「これからも、こんな戦いが続くのかね……?」


 カイルの呟きに、シルヴィアが答える。


「ええ。組織の“核”を叩くまで、追ってくるでしょうね」


 レオンは静かに頷いた。


「だが、次は俺たちの番だ。次は……“仕掛ける”」


 彼の視線は、北に向けられていた。


 その先には、〈黒影〉の本拠地がある。


 そこには、“すべて”の答えがある。


 罪と贖罪の果てに──希望はまだ遠く、それでも彼らは歩みを止めない。

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