終章
ちょうどおなじころ、蒼も山手線に乗っていた。けれど、それは円をぐるりと回った反対側で――新宿からは、ずいぶん離れた秋葉原のあたりだった。
どこで買い物しようか迷った蒼は、結局、上京組にありがちな秋葉原を選んだ。用事はとっくに終わっていた。
ポケットの中には、家電店のレシートが入っている。「生活費」は、いつか兄に返そう。だから収支をきちんとつけよう――、蒼はそのために、延長コードの他にファイルも買った。
それから、山手線を外回りで二周して、秋葉原まで戻ってきたところだ。
隣の席で、母親に抱かれた幼い少女が眠っている。その肩が、蒼の腕に少しだけ触れた。
目が合った母親が「すみません」と口の形だけで謝る。蒼は、小さく首を振った。少女の首や腕が白いままであることに、蒼は安心した。
次に新宿についたら、もう降りよう。そして、乗り換えて中野へ戻ろう。そう思っていたのに、腕に触れている高い体温が心地よくて、蒼は少しの間、眠ってしまった。
――変な夢を見た。
蒼は、今よりもっと幼くて、兄の腰までしか背丈がない。まるで水の中にいるように、手足が重くて、音も遠い。兄の脚にしがみついて、なにか懸命に訴えている。その自分の声すら、遠くに聞こえる。
「僕、おこづかいは、手で渡してほしい。てのひらにちょうだい」
蒼が小さな両手を差し出すと、兄はプラスチック製のカラフルな玩具のお金を、ざらざらと乗せた。「落とすなよ」と、からかうように言いながら。
百円玉は赤、十円玉は白、一円玉は青。どれも、ぎざぎざが大きくて歯車のようだった。
「ちゃんと持てるよ。落としてないよ」
蒼がそう言って顔を上げると、兄はもうどこにもいない――。
そこで、蒼は目が醒めた。いつの間にか、車内は人でいっぱいになっていた。隣の母娘はいない。もう終電が近い。
中野の改札を通るとき、行きに見かけた女の子のことを、蒼は思い出した。紺色のリュックの子。あの腕の赤い痕――。辺りを見回しても、もちろんあの子はいなかった。
ただ、駅の外で、同じ歳くらいの子たちとすれ違った。蒼は襟元を押さえる。この中に、痕のある子はいるだろうか。
立ち止まって深呼吸をする。そして、夜空を見上げた。東京でも、意外と星が見えるんだな――と、蒼は、思った。
どこかで誰かも見ているのかもしれない。
同じ、星を。
了
試作品(修正前プロトタイプ) ミナト @minato430
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