鬼姫戦記「桜舞う空を見上げると」
あすと
第1話 解き放たれし封印
時は令和五年七月六日、夜十一時半。
「はあ、はあ、はあっ」
夜の静けさを切り裂くように刻まれる、荒々しい呼吸音と足音。
今から三十分ほど前、大学三年生の進助は居酒屋でのバイトが終わった。徒歩で片道十分程度の道のりを歩いていたのだが……。突然背後から獣のような唸り声が聞こえ、振り返るとそこにはバケモノがいた。
一見クマのような容姿をしているが、大きさは普通のクマの三倍は大きく、目は赤黒く光り、吐く息には炎が宿っている。……これが、じいちゃんから聞いていた、妖怪というやつか!?と内心わくわくしたのも束の間、その妖怪は火を吹きながら進助を襲い始めたのだった。
夜の森を走り進めていくと、小さな小屋を見つけた。誰かが住んでいる気配はなく、深い森の中にポツンと建っているその小屋は、不気味な雰囲気が漂っていたが、体力が厳しくなってきた進助はそこに隠れようと、ドアに手をかける。幸い鍵はかかっておらず、すぐに中に入ってドアを閉めた。
息を整えながら、目が慣れてだんだんと見えるようになってきた小屋の中。四つん這いになって奥へと進んでみると、そこには立派な祠があった。
気になってスマホのライト機能で照らしてみると、見事な石造が現れた。四人の石造だが、一人は女性で残りの三人は男性である。昔、侍の時代に活躍したのだろうか、袴を着た姿の石造だった。
ただ一人の女性、それがなんとも美しい容姿をしており、進助は己が危機に直面しているのも忘れて見入ってしまう。美しく凛々しい顔、栄養豊富な胸元、キュッと引き締まったくびれ、丸みを帯びたお尻、すらっと細く長い脚……下を見ると、どうやらその人物の名前らしいものが彫られた石が建てられていた。
「鬼姫・桜子……?」
そのとき、ぐぁぁぁんという雄たけびとともに、大きく小屋が揺れた。
体勢を崩して持っていたスマホを落とす進助。上を見ると炎が立ち昇っていた。
ああもう終わりだ、そう思ったとき、今度は頭の中で直接男性の声が響く。
「女の石造の後ろにある刀、それを抜きながらこう叫べ。封印よ、解き放て!桜子よ、眠りから覚めよ!、と」
なんだ?と思い、辺りを見渡すが人がいる気配はない。
がしゃーん!小屋が半壊し、目の前が開けた。そこにいるのは火を吹くバケモノ。暗い闇の中で光る赤い目は、進助のからだを恐縮させた。
と、再び、あの声が脳内に響き渡る。
「助かりたいなら、女の石造の後ろにある刀を抜きながら、封印よ、解き放て!桜子よ、眠りから覚めよ!と叫べ!」
進助の体が動いた。すっと桜子という名前らしい女性の石造の後ろに体を入れると、あの声の言った通り刀があった。
バケモノは雄たけびを上げ、迫ってくる。
進助は、
「封印よ、解き放て!桜子よ、眠りから覚めよ!!」
バケモノの雄たけびにも劣らない大声で謎の声の指示通りに刀を抜いた。
ぱあっと視界が明るくなる。その眩しさのあまり進助は目を瞑った。
再び目を開けると、目の前にはあの石造の女性が立っていた。驚きのあまりその場に座り込むと、その女性・
「もう大丈夫だよ、今までよく頑張ったね。後は任せて」
甘くて柔らかい、まるで春の温かさに包まれるような、美しい声。
桜子はそう言うと、背中に差してある刀を脇差へと変える。息を吸って、吐く。その一瞬で、桜子の周りの空気が張り詰めたような、ピリピリとした空気に変わる。
桜子が刀を抜いた。刀を正眼に構えると、バケモノはその覇気に後ずさりする。だが、後には引けない。バケモノはありったけの力で炎を吹いた。
進助は炎の量に驚き、再び死の予感を察知したが、それは桜子によって打ち消された。
桜子は刀を回す。すると、炎は刀に巻き取られた。それを再び正眼に構え、一歩踏み出す。
進助が気づいた時にはバケモノは真っ二つに引き裂かれ、刀の炎は消えていた。
あの大きなバケモノを今の一瞬で真っ二つに……と、呆然としている進助に、
「水、持ってる?」
と桜子が聞く。
「あ、水、持ってる」
進助が肩掛けのカバンの中を探ると、桜子が近づいてきた。
「あった!」
進助は桜子に水が入ったペットボトルを渡す。桜子はそれを不思議そうに眺めた。
「これどうやって開けるの?」
進助がキャップを開けると、
「すごい!こんなふうに開くんだ」
ありがとう、と笑った桜子に、進助は思わずドキッとしてしまう。
「これどうするの?」
進助が聞くと、桜子はにっこりと笑いながら、ペットボトルを逆さまにし、水を外に出す。こぼれる、そう思ったが、水は宙を舞った。
「危ないから小屋から出よう」
桜子に手を引かれて小屋から出ると、辺り一面、炎で囲まれていることを知った。このままでは大きな山火事になってしまう。
桜子が宙に舞う水に息を吹きかけると……。
「水が!」
進助は目を輝かせながら、その水の行方を目で追う。
水は四方八方に広がり、炎を消していった。桜子はその様子を笑顔で見届けながら、
「私は桜子。簡単に説明すると、私は鬼族の妖怪で、わけあって封印されてたんだけど、それを君が解いたの」
「封印……」
もしかしてやっちゃいけないことをした?と焦る進助。
「さっきの妖怪は
「俺は笹川進助。助けてくれてありがとう。んで、俺、いろんなこと聞きたいんだけど、えっと、とりあえず……」
その焦りと鬼というキーワードに恐怖を覚えた進助の心の内を読み取ったかのように、
「安心して、私は人間とともに妖怪を封印したり狩ったりしてたから、人間に危害を加えるつもりはないし、進助くん、君は……」
進助の顔を覗く。
「妖怪に初めて会った、って顔してるね」
「あ、え、うん、そうだけど」
「いろいろ聞きたいことあると思うんだけど、とりあえずこの近くにお寺ない?神社とか」
「あるよ、俺ん家お寺なんだ」
「よし、じゃあ連れて行ってくれる?」
「わ、わかった」
進助は戸惑いながらも、小屋で落としたスマホを手に取り、二人は歩いてそのお寺に向かった。
お寺に着いた頃には日付が変わり、深夜二時をむかえようとしていた。
「ここが俺のじいちゃん家、
長い階段を上った先にある、桜願寺。階段上って左側には樹齢千年と言われている桜の木があり、その桜の木に願をかけるとその願いが叶うと言い伝えられていることから、桜願寺と名付けられたようだ。
「懐かしいな、桜願寺」
と桜の木を見上げながら呟いた桜子。進助は疑問に思った。
「ここに来たこと……」
あるのかを聞こうとすると、ドタバタと足音を立てながら、
「無事じゃったかー!進助ー!!」
と叫ぶのは、この寺の住職である
「なんとか生きてるよ、じいちゃん」
「よかった!って、隣におられるその女性は……」
桜子を見るなり、目を見開いた幸之助は、
「この人は……」
と説明しようとする進助を遮って、
「あの鬼姫・桜子様でございますか!?」
声を荒げた。
「そうですね、私は桜子です。私って言い伝えられているんですね」
笑いながら幸之助を見る。
「もちろん!でもなぜここに……桜子様は封印されているはずじゃ……」
ここで進助を見る幸之助。
「進助が封印を解いたのか!?」
「あーもううっさいな!これまでの話するからいったん中に入らせてよ」
「そうだな!ささ、こちらにどうぞ」
三人は寺の中へと入って行った。
進助がお風呂に入っている間、桜子が事の発端を話していた。
「そんなことがあったのか……」
「封印中は眠っている状態に等しいので、私は意識がなく、目覚めたときに目の前に炎熊がいたから退治しただけで、封印を解かせたのはこの刀です」
幸之助に刀を見せ、
「この刀にはある妖怪が封印されているのです。私が生まれた直後、この刀と私は私の両親によって誓いを交わし、私の命とこの刀の中の妖怪の命を繋げています。封印されている妖怪の名は
ここで進助がお風呂から上がったようだ。
「何の話してた感じ?」
「事の発端とここに来るまでに話したことだよ」
「大変じゃったな、怪我はしておらんのか、進助」
「してないよ。めっちゃぴんぴんしてる、けど眠い」
幸之助が時計を見るとすでに夜中の三時を過ぎていた。
「あの、針みたいなのが回ってるのって何ですか?」
「ん?時計っていうんだよ」
進助が答える。
「と、け、い?」
「そうかそうか、桜子様の生きていた時代には時計はなかったのか」
「そうですね。私が確か封印された年が……明治維新の何年か後くらいですから」
「明治維新!?一八六八年くらいってことかよ」
「まあそれはさておき、もう一つ聞きたいことが」
と桜子が前置きすると、
「今の時代に退治屋とか妖狩りとか、そういう家業を受け継ぐ家、ありますか?」
「退治屋?」
「妖怪を退治したり封印したりすることを仕事としている人間のこと。退治屋はだいたい家系で受け継がれていくものだからこの時代にもあるのかなって思ったのと、でも妖怪を一匹残らず始末する、それが明治維新の裏で約定されたことだったからなくなっちゃったのかなって思って」
「退治屋か……少し心当たりがあるが……明日そこの家に行ってみるとするかのう。今日はもう遅いし寝るとするか」
「そうだな」
「そうしましょう」
「桜子様のお布団、ご用意いたしますので少々お待ちください」
「ありがとうございます」
幸之助が部屋から出ると、進助も、
「改めて、今日は助けてくれて本当にありがとうございます、桜子さん」
「そんな、改めなくても……人助けは私の仕事だから」
お互いニコッと笑って、
「おやすみなさい」
進助は部屋を後にした。
幸之助が用意した布団に入った桜子はすぐに眠りについた。
夢を見た。懐かしいあの頃の夢。
会いたい、そう願っても会うことは叶わない、あの人。
桜子は夢を見ながら、涙が一筋、流れていた。
鬼姫戦記「桜舞う空を見上げると」 あすと @astoryforyou
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