第4章
作戦会議
「作戦を説明する」
結弦はアンリの部屋に入るなり言い放った。
アンリは突然開けられたドアの音に驚き、読んでいた文庫本を勢いよく閉じる。
「何がというわけですか! 乙女の部屋にノックもせずに入ってきて!」
「ああ。失敬。君と掛谷との距離を縮める作戦のことだ」
「私と先輩の……」
アンリの頬を朱に染まる。首から上だけをみればいじらしい乙女の姿そのものだが刃物を持っているせいで全体の絵面は猟奇的である。
「ど、どんな作戦ですか!」
「刃物を持ちながら勢いよく近づくのはやめようか。恋が成就する前に前科がつく」
自身を俯瞰してみることが出来ていないアンリを嗜め着席させた。
「まず、現状の課題を整理するとね、君と掛谷には接点がない。ここをどうにかしないと」
「なるほど、その作戦を考えてきたのですね! 先生!」
「先生? 僕のことを指しているのか?」
慣れない呼び方に結弦は眉をひそめる。
「ええ。一応家庭教師をしていただいてますし……それに、お名前を伺ってませんでしたので」
「僕は名乗ったつもりなんだがな」
と言いつつ、初対面の瞬間を思い出してみると名乗った瞬間に吐瀉物を浴びた気もする。それに、アンリの事情を考えればあの時は自分の名前を頭に入れる余裕などなかったのかもしれない。
「では改めて名乗ろう。僕はーー」
「で、どのような作戦ですの!? 先生!」
「ああ……僕の名前には興味ないんだ……まあいいや」
気持ちが焦るアンリに結弦の自己紹介は再度遮られた。結弦は呼び方など些細な問題だと思い至った。たとえ自分の戸籍上の名前でなくても、自分を区別できる呼称があるなら不便はしない、と踏ん切りをつけることにした。
「作戦立案のため僕はラブコメを漁っていてね」
「ラブコメ?」
「ラブコメディのことだ」
「いえ、“ラブコメ“が何かわからなかったわけではないのですけど」
既視感のあるやりとりだが結弦は気にせずに続けた。
「接点のない男女が出会うイベントとして、クラス替えや席替えが考えられるが、夏目さんと掛谷は学年が違うのでこれは使えない。体育祭や文化祭の実行委員と言った学校行事に便乗する術も時期が悪い。おまけに掛谷は部活も入っていないからコミュニティを利用して受動的に接点を作ることは困難だ。少なくとも今すぐにはね」
改めて現状を整理すると、アンリはその絶望的な状況に無言で表情を曇らせる。アンリは人間恐怖症を抱えているがゆえに(刃物なしで)積極的に他人に話しかけることはできない。だからこそ、コミュニティに所属して自然と掛谷との関係が自然に形成できるのが好ましい。しかし、その前提条件は成立しそうにないというのが現実だ。
「故に、偶発的な事象による自然な出会いを演出するために参考文献を漁っていた」
「この人フィクションを参考文献って呼んでます?」
「その作戦だが、まず僕が夏目さんの家に下宿する」
「なぜ……と聞きたいところですが、続きをどうぞ」
「そして、掛谷に夏目さんの家を下宿先として紹介する、という作戦だ」
「本当に大丈夫ですか? 不穏な心当たりがあるのですが」
「そういや掛谷のイニシャルも“K“だな」
「その“K“は自害する側ですが! お嬢さんとは結ばれませんが! あとその参考文献に“ラブ“はあっても“コメディ“はありません!」
「出会い方を真似るだけでいい。結末まで真似る必要はないから気にするな」
「それはその通りなのですが、あの作品を参考にしたとなると、結末がちらつきますわね……」
「ただ、この作戦は掛谷に下宿の動機がないと成立しない」
「もう少し早い段階で気づきましょうよ」
「ということで本命の作戦、相席作戦を説明しよう」
「相席……ですか?」
アンリは首を傾げて聞き返す。「相席」という言葉なぜ出てきたのかすら把握できていない様子だ。
「夏目さんは昼食はどうしてる?」
「えっと、それは、一人になれる場所で……お弁当を」
アンリはモジモジしながら抽象的な返答を返す。ナイフを握り、強気になっている今でさえも答えにくい質問だった。アンリは人間恐怖症のために食事中に誰かに話しかけられなさそうな場所を選び、使用人が用意した弁当を食べている。だから、毎日食べる場所は変わるし、最悪の場合お手洗いの個室を使う時もある。
「そうか」
結弦はアンリの答えを深掘りしなかった。配慮しているのではなく、把握すべきことを聞けたので、それ以上の事に興味がないだけである。
「夏目さんは"ウルフ"という言葉を知っているか」
「ウルフ……、英語でオオカミってことではないですわよね?」
「うちの食堂の一人利用に“ウルフ”という蔑称だ。まあ、そんな言葉が使われる程度にうちの食堂は大盛況でねこの状況を利用する」
「ウルフって……」
奇妙な蔑称にアンリは苦笑する。同時に、結弦が言わんとしていることがなんとなくわかってきた。
「つまり、『相席作戦』というのは、混雑した食堂で空席を探している体裁をとって接点を作る、ということですわね?」
「そういうこと」
「確かに自然なファーストコンタクトだとは思いますが」
作戦の内容を理解した上で、アンリには二つの懸念事項があった。
「先生はともかく、掛谷先輩と、蜂須賀さん……でしたっけ。お2人は快諾してくださるでしょうか」
「心配いらない。君と掛谷、二人きりの状況を作る。当然僕も席を外す」
「先生も?」
「別に僕からの紹介という形を取ってもいいが、あいにく僕は交友範囲が狭くてね。クラスメイトでもない人間を突然同席させたら不自然だ。できる限り自然なファーストコンタクトの方がいいだろう?」
「それは……」
事情を知っている人間のアシストは受けられないと知ってアンリは尻込みする。
「僕は掛谷が席を確保した状態で昼食を共にできなくなったりなんなりして意図的に掛谷が一人飯となる状態を作る。そこに相席の申し出をすれば断らないと思う」
「そういうものなのでしょうか……知らない人と相席って嫌がられませんか?」
「だからこそだ。知らない人間との相席に心理抵抗を覚える人が多いから、一人飯は結果的に四人がけのテーブルを一人で独占することになってしまう。ウルフが嫌われる理由もそこだ」
日本人は知らない人間が使うテーブルを忌避したがる習性がある。仮に物理的には同じか、より近い距離になったとしても別のテーブルの椅子に座りたがる人間が多い。本人にそのつもりはなくても一人飯はテーブルを独占する行為となり、回転効率を落とし、限られた昼休みの間に食事を取れなくなる可能性が浮上する。だから、一人飯は白い目で見られる。
積極的に相席を申し込めば解決する話だが、多くの人間は結弦たちのようにグループで利用するか、そもそも食堂を利用しないという選択をする。したがって、桃園学院の食堂を一人で利用する人間はほとんどいない。
「掛谷は予定外のウルフ行為で反感を買うことは望んでいないはずだ。この風潮で一人で食堂を利用して、なおかつ相席を申し込んでくれる変わった人間は願ったり叶ったりだと思う」
「なるほど……」
納得しながら、アンリは作戦決行の状況を思い浮かべる。人の波でごった返す食堂に一人で飛び込むことを想像して、少し憂鬱になった。でも、その程度で抱えている思いは止められない。アンリは相席作戦に乗る旨を伝えた。
「じゃあ、作戦は明後日決行しよう」
「明後日!?」
アンリは急すぎる作戦予定に思わずを耳を疑った。最も致命的な懸念事項には解決の兆しすら見えていないからだ。
「 で、ですがわたくしまだ刃物を向けずにお話が……」
掛谷と距離を縮める作戦ができたところで、人との会話を試みたアンリが反射的に嘔吐してしまう問題は解決していない。公衆の面前で刃物を取り出して会話をするわけにもいかない。この問題を解決しなければ作戦の遂行はできないのだ。
当然ながら結弦もその点は理解している。結弦は「その対策も考えてある」と言って眼鏡のブリッジを右手の中指で押し上げた。
「まずは実験を始めよう」
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