一人っ子の姉
萩原英美の一言に生徒会室の空気が凍り付いた。
冗談めいた様子もなければ悪意も感じられない。彼女本当に目の前の萩原恭次郎を自分の弟だと認識できていないのだ。
「会長」
言葉を失う生徒会メンバーにも、自分の弟のことも気に留めず、英美がのんきな声で言った。
「呼び出したのってもしかしてこの子のことですか?」
「あ、ああ。そうだ。お姉さんに会いに来たっていうから君を呼び出したんだが、違ったかね?」
「やだなぁ、会長」
うふふ、と手を口に当てて上品に笑うと英美は立ち上がって会長の方を見た。
「私、一人っ子ですよ?」
何を冗談言っているんですか、と言わんばかりの軽い口調だ。
「……そうか」
横目で恭次郎の様子を伺う。口を開けたまま静かに涙を流して姉の顔を見上げる彼は、とてもこれ以上話せそうになかった。
「すまなかったね。もう戻ってもらって大丈夫だよ」
そう言うしかない。会長は無理矢理作りあげた笑顔を浮かべた。
「ごめんね、坊や。お姉ちゃんじゃなくて」
英美は再び恭次郎ににっこりと笑いかけると背中を向ける。生徒会室を開けて立ち去ろうとする英美を、恭次郎は追いかけることも呼び止めることもせず、呆然と立ち尽くしてその背中を見送っていた。
生徒会室のドアが静かに閉じて姉の姿が見えなくなったとき、恭次郎は全身の力が抜けたみたいにぺたんとその場に座り込んだ。
「違う人みたいだった」
恭次郎は言った。
「姉ちゃんの顔をしているのに、違う人が中に入ってるみたいだった」
「具体的に教えてもらってもいいかな。もちろん、辛かったら無理にとは言わないよ」
「笑い方……」
恭次郎は絞り出すような声で言った。
「俺に向かって笑うとき、姉ちゃんだったらあんな静かな笑い方じゃなくて、もっと安心させてくれるように笑うはずなんだ。顔も声も手の感触も絶対に姉ちゃんなのに、せっかく会えたのに、俺、怖くてなんも言えなかった」
恭次郎の顔が徐々にくしゃくしゃに歪んでいき、声を上げて泣き出す。
「姉ちゃんもう戻ってこないのかなぁ……」
幼い少年の疑問に生徒会の3人は誰も、何も答えてやることはできなかった。
恭次郎はそれからしばらく泣き続けて、やがて疲れて眠ってしまった。会長はソファに彼を寝かせ、自分の上着をかけてやる。
「ほつれてたね」
恭次郎の寝顔を見ながら会長が言った。
「何がですか?」
結弦が聞き返した。
「彼女の制服。上着の裾がほつれてた」
「萩原さんは外部入学組ですよね。古着を譲り受けたんじゃないですか
「と思うんだけどさ、ほら」
同会長は自分の携帯電話で一枚の写真を見せてきた。ボケてしまっているが、生徒会室に入った瞬間の萩原英美の写真だった確かに右脇腹の部分がほつれている。
「……これ、盗撮と言うのでは?」
円香が怪訝な目で会長を見る。
「そこは一旦置いといてくれたまえ。それよりもこのほつれ方、変じゃないか?」
再度、結弦は携帯電話に移る写真をのぞき込む。言われてみれば確かに、ほつれ方が綺麗すぎるような気がした。
「使い古してできたものではなさそうね。切られたみたい」
結弦に続いて会長の携帯を覗き込んだ円香が言った。
2人の意見を聞いた会長は携帯をポケットにしまって、結弦と円香の顔を交互に見てから言った。
「このほつれの真相はどうあれ、本件につけるタグの色は黒だ」
意味は分かるね、と会長が結弦を一瞥する。もちろんわかっている。それは世界樹の影響が疑われる案件であることを意味するものだ。想定より早くやってきた事態に結弦は気を引き締める。
「同様の例の有無については私が調査しておこう。高木君と関さんは、現在生徒会に届いている相談のうち、高等部一年生から寄せられた相談を中心に対応しつつ、萩原さんに関する情報収集に努めてほしい」
会長の指示に対し、結弦と円香が別々に「了解です」と返事をした。
「……といいつつ、今回は精神に干渉するルールものだから、最終的には関さん頼みかな」
「どういうことですか?」
結弦が尋ねると会長は「そうだった」と、言い忘れたことを思い出した様子で人差し指を立てた。
「君には言ってなかったね。一種の安全装置なのだろうけど、世界樹の呪いを背負っている人間は世界樹の力による精神干渉を受けないんだよ。だから、関さんは精神干渉系のルールが相手なら強引に栞を取り上げることができるってわけさ。……というわけで」
会長は机の上に置いてあった封筒を手にとった。恭次郎を連れてきたときに踏んだ、靴跡がべったりついたあの封筒だ。
「これにも目を通さないとね。わざわざ生徒会室まで持ってきたということは急ぎの要件である可能性もあるし……踏んでしまったけど」
会長は封筒を開けて中身に入っていた一枚の便箋を取り出す。すると、円香がスンスンと鼻を鳴らした。
「何か、酸っぱい匂いしないかしら」
「確かに」
会長が便箋の匂いを嗅ぎながら言った。
「それと、女の子の匂いもする……って冗談だよ関さん。汚物を見るような目はやめたまえ」
「ような、ではなく私は汚物を見ていますよ」
気を取り直して三人で便箋に目を通す。便箋には少々クセのある字で次の用に書かれていた。
生徒会の皆様。
私は高等部一年の生徒です。
早速ですが私はこの先、授業についていけるか不安を抱えています。不躾な願いですが、期末テストまでの間、週に一回で構いませんので私の家で勉強を見ていただけないでしょうか。
できれば、副会長にご指導いただけるとありがたく存じます。
引き受けていただけるようでしたら、明日の放課後、ロータリーでお待ちしております。
「ふむ……高等部一年生から勉強の面倒を見てほしいという依頼、か。この時期は不安になるものだし、仕方ないね」
手紙を一番に読み終えた会長が言った。少し考え込んだ会長は円香を一瞥する。
「副会長というご指名もあるが……関さんには難しいな。確実に日没を過ぎてしまう」
会長は結弦を見た。
「高木君。頼めるかい? 奇しくも萩原さんと同じ一年生からの依頼だ。彼女に関する情報を掴めるかもしれない」
「了解です。明日、指定された待ち合わせ場所に向かいます」
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