お悩み相談

 結弦が生徒会に入って二日目の朝。目を覚まして一番初めに目にした光景は、昨日と同様に円香の寝顔だった。

「……」

 無言で天井を見る。

 年頃の男女が同じ布団で、しかも女性の方が全裸で入っている状況は世間一般的に見て良くないことだという認識と良識と常識が結弦にはある。昨日の一件で学習した結弦は父親がかつて使っていた布団を引っ張り出してきて、床で寝ることにし、ベッドは円香に使わせた。

 その結果がこれである。結弦の配慮も虚しく円香はわざわざ床に敷かれた結弦の布団に潜り込んでいた。

(いつまで姉さんをごまかせるかな)

 円香を起こさないように、掛け布団が円香の体からはがれてしまわないように注意を払いながら布団を抜け出し、朝の準備を始めた。 なお、後で布団に潜り込んだ理由を円香に尋ねると「猫の体で寝心地の良い場所を探していたら、つい」とのことだった。



「そう言えば、レンタサイクル契約したのよ」

 口に運んでいた卵焼きを胸の前で止めて、円香は言った。

「レンタサイクル?」

「そ。高木君の家から歩いて登校したら確実に遅刻するでしょ? かといって自分用の自転車を置かせてもらおうにも帰りは自転車に乗れないじゃない?」

「そうだな。僕もその問題はどうにかしようと思っていたところだ」

 家を出る時間を早められたら簡単に解決するのだが、姉が仕事に行くのを待つ必要がある都合限度がある。朝支度の時間を切り詰める等、他の案を考えてみたがやはり早く移動できる手段が必要だというのが今日実践してみたところの結論だった。

「で、思いついたの。自転車を数時間貸してくれるサービスを使えばいいんだって」

「この街にそんなのあったんだ」

「ええ。調べたら少し離れたコンビニにあったわ。ちょっと遠回りになるけど学校の近くに返せる場所もある。うってつけね」

 連絡事項を告げた円香は卵焼きを口に入れた。

「美味しい……」

 ボソリと、円香の口から好評の言葉が漏れる。

「リクエストをくれればいつでも作るよ」

 そう言って結弦は味噌汁を啜った。



 レンタサイクルの返却場所は学校近くのコンビニだった。自転車の返却手続きを済ませた後、結弦も自転車を押して歩いて学校まで向かう。

 2人で肩を並べ高等部の校舎まで歩く途中、円香は高等部校舎より少し南側にある建物の前で立ち止まった。

「高木くん」

 結弦を呼び止め、その建物を指差す。中等部の校舎だった。

「今日は生徒会室にくる前にここに寄って、お悩み相談ボックスの中身を回収してきて頂戴」

「前に会長から聞いたやつか。了解」

 お悩み相談ボックスとは生徒会への相談内容が書かれた文書を投函するためのポストのことだ。これは初等部から高等部までの各校舎に設置されている。多くの生徒は悩みを知られたくないからかメールで送ってくるが、自分の携帯電話やパソコンを持たない初等部生や中等部生に配慮して現生徒会長が設置した。

 従来は直接訪問する以外の手段が用意されていなかったらしい。生徒会棟はあらゆる校舎にとって寄り道しづらい位置にあり、これでは気軽に相談できないと考えた現会長が設置したのだと円香は語った。

 生徒会役員になって2日目の学校生活はすれ違ったときにこちらを振り向いてくる生徒は何人かいた程度で、皆既に興味を失ったのか引き留めたり、あれこれ聞いたりされるようなこともなく、1日目ほどの慌ただしさもなくいつも通りの日常を過ごした。

 放課後。結弦は中等部の校舎へと向かった。中等部の生徒たちの多くは結弦を初めて見ることになるから、昨日みたいに足止めをされるのではないかと危惧していたが、高等部の授業が終わる頃には中等部の生徒たちは皆、部活動に行っていた。したがって、スムーズにお悩み相談ボックスの設置場所へとたどり着けた。

 お悩み相談ボックスはプライバシー保護のため、箱自体も持ちだせないように壁に打ち付けられており、当然取り出し口には鍵が取り付けられている。

 昨日のうちに預かっていた鍵で取り出し口の施錠を解除し、中身を見ると

「……」

 中身は空っぽだった。 



 物寂しい手元で結弦が生徒会室に着く頃、会長だけでなく円香も先に生徒会室に来ていた。いつものタブレットではなく紙の教科書とノートをテーブルの上に広げ、ボールペンを使って黙々と勉強をしている。

「やあ、高木君。ミソックスはどうだったかな」

「どんな略し方してんですか。空っぽでしたよ」

「いつも通りだね。今どきの中学生は携帯の2つや3つ持ってても珍しくないか」

「なんで2台持ち前提なんですか」

「時代はペーパーレス。今日は高木君にメールで届く依頼の仕分けは頼みたい。そこの戸棚にノートパソコンが入ってるから持ってきてくれ」

 戸棚を開けると「生徒会備品」というテープが貼られた銀色のノートパソコンが置かれていた。それをもって会長の方を見ると、会長は生徒会長のデスクから円香の向かいのソファに座っていた。

 結弦がソファまで移動すると会長は自分が座っているソファをトントンと手で叩く。

「おいで。パソコンの使い方を教えよう」

 先日の結弦の機械音痴ぶりを見て思う事があったのか、会長はレクチャーを申し出た。

「膝の上でも構わないよ」

 結弦は無言で会長の隣に座った。

「……では、パソコンを起動してくれたまえ」

 電源ボタンを見つけるのに少し手こずりながらも電源を入れる。冷却ファンの回るとともに画面にメーカーのロゴが表示され、ログイン画面へと遷移した。

「えっと、パスワードって」

「君の指紋で開くようになってるよ」

 会長が指さしたスペースキーの下部にあるセンサーに半信半疑で触れると本当にロックが解除された。

(いつ登録したんだ……)

「で、便箋のアイコンのソフトを起動して」

 タスクバーにあるメーラーアプリのアイコンをクリックする。

「マウスの使い方は知ってるんだ」

「さすがに授業で触ったことぐらいありますよ」

 少し間を置いてメーラーが起動した。新着メールの数を表す赤い円に囲まれた数字に結弦はぎょっとする。

「500件以上きてるじゃないですか。これが一日で……ん?」

 メールと手紙でここまで相談数の違いが出るのかと受け入れかけて思いとどまる。高等部の生徒数はおよそ1学年300人が3学年で900人程度。中等部はその半分ぐらい。初等部は600人程度だ。

 500件となると小中高の生徒の4人に1人が相談を持ち掛けている計算になる。さすがに多すぎるような気がした。

「あれ?」

 などと考えているとメーラの左側に表示されている受信トレイ内の未読メッセージ数を表す数字が40件ほどに変化した。そして、その少し下におかしな名前のフォルダがあることにも気づく。

 フォルダ名は"殺害予告(8542)"。

「あの、これって」

「高木君」

 会長は穏やかな声で言った。

「多くの人に好かれるということは、一部の人に嫌われることと表裏一体なんだよ」

「……」

 無理やり顔に貼り付けたような笑みを浮かべる会長に結弦は何も言えなかった。

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