「2年3組。高木結弦君だね」

　その日の放課後、高等部校舎を出ようとした時、男の声が結弦を引き留められた。

　声の方を見ると、ひとりの男子生徒が腕組みをして下駄箱によりかかっている。切れ長の目、中性的だが整った顔立ち。耳が隠れる程度に伸びた黒髪。　面と向かって会話するのは初めてだが、結弦はその顔を知っている。

「生徒会長、ですよね」

「いかにも」と会長が頷く。

「僕に何か用ですか。自分で言うのもなんですけど、僕は品行方正な生徒のつもりなので、生徒会に目を付けられるようないわれはないと思うんですが」。

「はっはっは。その感じいいね。気に入ったよ。では、単刀直入に聞こう。生徒会に興味はないかね」

「ないです。では」

　桃園学院は伝統ある名門校である。そこに通う生徒の中には一流企業の社長令嬢や政治家の息子といった特別な肩書きを持った者も少なくない。「適当に石を投げれば将来の日本を担う人物に当たる」とはよく言われる話である。

　そんな特別な生徒たちから生徒会長に選ばれるということは並大抵なことではない。　成績は学年上位で当たり前。学外活動の優れた業績があって当たり前。家柄が良くて当たり前。それらに加えて人を惹きつけるカリスマとでも呼ぶべき「何か」がないと生徒会選挙で勝つことはできない、と言われている。

　一方で結弦は至極平凡な家庭の出身である。そもそも、特別な生まれの生徒は皆、幼稚園からの在籍組だ。結弦のような編入組は殆ど一般庶民である。7つ上の姉は幼稚園から通っていたが、それは当時父親の事業が好調だったおかげで背伸びできただけであり、家の格という意味では幼稚園からの在籍組には及ばない。

　特別な存在の中から選ばれし生徒会長と結弦には天と地ほどの差があると言っていい。

　そんな結弦にとって雲の上の存在である第70期桃園学院生徒会長は今、

「お願いだから話だけでも聞いてください」

　一般庶民の結弦に土下座していた。それも、昇降口の真ん中で。

「何しているんですか。会長」

「それはこっちのセリフだよ！ 普通あの流れで帰るかい！？ なんか生徒会っていう特別な存在に選ばれた雰囲気醸し出してたじゃん。“えっ、なんで自分が生徒会に！？“ってなるところだろう！？」

「……？」

「ピンときて！」

「本当に興味がないので」

「いやいや、桃園生徒会役員になれるって結構な名誉だと思うよ？ 自分で言うのもなんだけどさぁ！」

「すみません、タイムセール近いのでそちらを優先します」

「タイムセール！？ 桃園学院生徒会役員に勧誘されそうな雰囲気醸し出しているのにタイムセール！？ 生徒会役員になれたら特典もあるのに！？」

「洗剤とかですか？ でしたら間に合ってるので大丈夫です」

「粗品とかじゃないよ！ 大学への推薦とかだよ！」

「へー。じゃ、失礼します」

「ああ！ 本当に興味なさそうだけど待ってくれ！ 隙あらば帰ろうとしないでくれっ！ 頼むよっ！」

　会長は帰ろうとする結弦の足に縋りついてきた。その必死さのあまり、話を聞いた方がいいような気にさえなった結弦は会長を見下ろした。

「なんで僕なんですか」

「……ここでは言えない。だが、生徒会室に来てくれたら話そう」

　結弦は眉をひそめた。

　理由は話さないが自分のテリトリーまで来いという態度に警戒心を抱くのは当然だ。それにどうしてこんな必死に、こんな時期に、自分のような人間を勧誘したいのかが分からない。

　成績はいい方かもしれないが特筆するほどでもない。家柄も大したことはない。

「他にもっと優秀な人がいると思いますよ」

「君じゃなきゃダメなんだ」

「どうしてですか」

「それは言えない」

　会長は頑として譲らない。話にならないので会長の手を払おうとした時。

「なら、これで分かってくれるかしら」

　正面から消えた声が結弦の足の動きを止めた。喧騒の中でもすり抜けて耳に届きそうな透明感ある声だった。

「こんにちは、高木くん。昨日ぶりね」

　顔を上げると世界樹跡地で出会った黒髪の女子生徒がいた。艶やかな黒髪をかきあげ、同い年とは思えないほど色気のある微笑を見て結弦ははっとした。

　見覚えがあって当然だ。　生徒会に呼ばれる心当たりなどなかったが納得した。

　彼女は。猫に化けたあの少女はたった2人しかいない桃園学院生徒会のメンバー、生徒会女子副会長、関円香だ。