食堂座席争奪戦

 桃園学院の学食は連日多くの生徒で賑わう。

 その盛況ぶりたるや、生徒たちがランチタイムを快適に過ごせるかどうかは4限目の担当教員にかかっているといっても過言ではない。少しでも早く終わってくれれば学食にしてはレベルの高い昼食を満喫できるが、反対に少しでも授業が遅く終われば気の抜けない座席争奪戦に参加させられることになる。

 そんな生徒の切実な昼飯事情を憂い早めに授業を切り上げてくれる教員もいれば、お構いなしに何分も延長する教員がいる。今日の結弦のクラスの教員は後者だった。

 結果、結弦とそのクラスメイトである掛谷正法は学食の大人気メニュー・ハンバーグ定食が乗ったお盆を手に、食堂の真ん中で立ち尽くしている。

「須藤先生の授業は長引くって聞いてたけど、10分オーバーはやりすぎだろ」

 掛谷が大あくびをしながらぼやき、食堂内を見渡す。その目の周りには濃い隈ができていた。

 幸いにして、彼らには協力者がいた。先に席を確保しているはずなのだが、人込みのせいでなかなか見つけられない。もともと鋭い掛谷の目つきは寝不足も相まって徐々に悪くなっていき、ふと目の合った女子生徒が「ひっ」と小さな悲鳴を上げて早足で離れていった。

「……」

 その行動に少なからずショックを受けた掛谷は目をぎゅっと瞑り、少しでも目つきを和らげようとした。

「なあ、千鶴見つかった?」

「……ああ。ごめん。まだ」

 結弦は生返事を返した。

「寝不足か?」

「いいや、掛谷じゃないんだから。少し考え事をしていただけだよ」

「言ってくれるねえ」

 実を言えば、結弦の頭は昨日からあの少女のことでいっぱいだった。

 猫に化ける奇怪な現象。それも気になるが、よくよく思い出してみると彼女の顔に見覚えがあったのである。もちろん、同じ学校の制服を着ているのだからおかしなことではない。ただ、どうも廊下で一目みた程度の関係ではない気がしているのだ。

 もし万が一、相手が自分のことを知っていて、こちらだけ覚えていなかったら傷つくだろう。それは良くないことだと考えた結弦は昨日から必死に思い出そうとしているのである。

 再び記憶の発掘作業にのめり込んでいると掛谷に脇腹を2回こづかれた。

「いたぜ。あっちだ」

 顎で指す方向にはふわふわとした茶髪の女子生徒が手を振っていた。その動きに合わせて肩まで伸びた髪が揺れている。



「もー遅いですよ~! 牛丼が冷めちゃうじゃないですか~」

「すまんすまん。だが文句は須藤先生に言ってくれ」

 頬を膨らまして怒る千鶴に掛谷が軽口を返す。

「ごめん」

 結弦も謝罪をして彼女が確保してくれていた席に座った。3人は同時に手を合わせいただきます、と言ってから食事に手を付ける。

「で、考えてたことってなんだ?」

「別に。大したことじゃないよ」

「大したことないって言ってもよ、今日はずっと心ここに在らずって感じだったぞ。家族を人質にでも取られたか? だったら力になるぜ。経験はある」

「そんな事態になったら学校なんて来てないよ」

「経験があることについては突っ込まなくていいんですか?」

 牛丼を口いっぱいに頬張った千鶴が静かにツッコミを入れた。

「じゃあ、女絡みか」

 その指摘に結弦の箸が止まった。

「図星か」

 掛谷正法という人物は優れた観察力の持ち主だ。特に人が困っていることを見抜く能力はずば抜けている。入学以降、一年とちょっとの付き合いの中で掛谷がその観察力を発揮するところを結弦は幾度となく見てきたが、いざその視線が自分に向けられるとなると、その目は自分を助けようとしてくれているはずなのに、目つきが悪いせいで獲物として狙われているような気分だ。

「なるほどなるほど……」

 掛谷は意味深に何度も頷く。そして。

「実は我が校の生徒会はお悩み相談という活動を行っていてな」

 といって、調味料置き場にあったアクリルのカード立てを結弦に差し出した。そこには生徒会のお悩み相談の広告が挟まれている。

「いや、聞くだけ聞いて人任せなんかい」

「恋の悩みって難しいじゃん」

「人質助けたことあるのに?」

「それは力で勝てばどうにかなるだろ?」

「力でどうにかしていい問題なの?」

「恋愛ってさ、双方の気持ちを取り持たなきゃならんわけよ。俺に言わせりゃ世界平和の方が簡単だね」

「世界平和も双方の気持ちが大事だと思うよ?」

 結弦をよそに2人がやいのやいのと軽口をかわす。仲がいいのは結構なことだ思う結弦だったが、誤解されたままなのもよくない。

「そもそも別に恋の悩みってわけじゃないよ」

「じゃあ何をそんなに考えていたんだ」

「昨日、世界樹跡地でうちの生徒にあったんだ」

「願いが叶うってやつな。意外だ。高木ってそういうの興味ないと思ってた」

「実際興味はなかったんだけどね。ただ、恥ずかしいことに昨日帰る途中で道に迷ったんだ。その時、たまたま存在を知った」

「先輩、道に迷ったことは気にしなくていいですよ。10年以上通っていながら未だに校内で迷う人もいますので」

 千鶴の声からは気苦労を感じる。2人は家が隣同士で10年来の幼馴染だという。年齢は掛谷の方が1つ上だが、その付き合いもあってか千鶴は掛谷に敬語を使っていない。

「まあ正法が迷うのは校内だけじゃないんですけどねぇ、ほんっとに」

「お、俺のことはいいじゃないか。で、その女子生徒がどうしたんだ?」

「どこかで会った気がするのに思い出せなくて。それが引っかかってた」

「なんだ。要はその子に一目惚れしたってことか」

「違うよ」

「ワリイな、俺は力になれそうにない。特徴を言えば名前ぐらいはわかるかもしれないが、その後の話は女子に……」

 と言ってこの場の紅一点である千鶴に話を振ろうとして、言葉を止めた。 千鶴の目は新しいおもちゃを見つけた子供の目のよう爛々と輝いていたからだ。

「いや、千鶴はダメだった。そういえばこいつは恋愛脳だった」

「任せてください! デートプランから結婚式場までなんでも相談に乗っちゃいますよ!」

「別にいいって」

「なんでですか! そんなことおっしゃらずに! 私、先輩のためを思ってちゃん~と相談に乗りますよ! なのでもうちょっとください!」

「人のためを思っている人間は『もうちょっとください』とかいわないよ。そもそも別に恋愛的な意味で気になっているわけじゃないって」

「じゃあ、なんで思い出そうとしてるんですか?」

「もし面識があったのに忘れていたら、次あったときに相手が傷つくだろう。それはよくないよ」

「次って……やっぱり、気になっちゃったからお近づきになろうとしてるんじゃないですか?」

「いや、あの子が置いていった制服を渡さなきゃいけないし」

「「どういう状況!!?」」

 結弦の爆弾発言に2人の声が重なった。

「え、その女の子の制服が今手元にあるってことですか!?」

「あるよ」

「「なんで!?」」

 再び二人の声が重なった。

「なんでって、それは」

「いや、言わんでいい! そうなる状況なんて決まってるよな!」

「先輩! そういうのは良くないと思います!



「突然消えた?」

「え、怖い話してました?」

 落ち着くのを待った後、結弦は昨日見たことを話した。ただし、「猫に化けた」というのはただの推測なので伏せて。

「見間違いかもしれないけどね。ただ世界樹跡地に制服が落ちていたことも、そこで見た女子生徒に見覚えがあることも事実だ」

「ふーむ……もしかして、生徒会のアレってそういうことか」

 掛谷は小声でそう言うと先ほど差し出したアクリルのカード立てのとある部分を指さした。そこには「悩みは一人で抱えずに生徒会室へ!」と書かれている。

「『不思議な現象にお悩みの方もどうぞ』……? こんな文言、あったっけ」

「俺も気づいたのは最近だけどな。でもこの広告は今期の生徒会発足時に置かれたからずっと書かれてたんじゃないか?」

「この広告って前の生徒会の時にはなかったんだっけ」

「ああ。お悩み相談という活動自体は伝統だからどの代もやってるんだが、今期はなぜか力を入れている印象がある」

「今期は2人だけなのに頑張るよねー。例年ならおまけ扱いなのに」

「2人? 今の生徒会って2人しかいないのか」

「大騒ぎになってましたけど、知りませんでした?」

 結弦は首を横に振った。

「うちの生徒会って会長だけ選挙で選んで他は任命制だろ? 全員に断られたデモしない限りそんなことってあるのか?」

「会長が副会長以外の任命を放棄したんです。規則の解釈について一悶着ありましたけどね。最終的には“生徒会長は役員を任命できるとしか書いてない。よって、任命は義務ではない“という会長の言い分が通ったらしいです」

「確かにそう解釈もできるけど……人手が減るだけでメリットはないし規則を書いた人はそんなこと想定しなかったんだろう」

「ただですねー、男子の生徒会長が女子副会長だけを任命したので、また別の議論が巻き起こったんですよね。職権濫用だとか、最初から愛の巣を作るために生徒会長に立候補したんじゃないか、とか発足当初は叩かれてました」

「まあ、想像に難くないな」

「とはいっても、部活動加入義務の廃止とか、例年の生徒会よりも着実に実績を上げているので半年間でそんな声も聞かなくなりましたけどね。むしろ、ファンも結構いるらしいですよ」

「と、いうことでだ」

 話が一度落ち着いたところで掛谷はハンバーグの刺さったフォークを結弦に向けた。

「生徒会に相談してみたらどうだ。どちらにせよ、落とし物管理も生徒会の仕事らしいしな

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