闇の奥から来た女

狭い視野と過剰な自意識のもたらす悲喜劇について

「ねえねえ、君?」

 

 ──俺? いや違うだろ。

 

「ねーえって、君ぃ」

 

 声の方へ振り向く。

 

 ──きれい。俺に話しかけるのは間違いだってくらいの、健康的で明るいお姉さんだ。声も声優のよう。

 

「ちょっとさ、話良い?」

 

 ──奇跡。千載一遇の好機。

 

 色気の無い、人生苦節十七年、やっと俺にも春が来た……否、明日から二学期だ。

 

「イラストレーターって興味ない?」

 

 ──あります。ありますとも。

 

 激しく首を上下させる俺──中川昭 なかがわ あきらに、引く程の美人ははしゃぐ。

 

「うわっ!! 良かった~!! あたし門倉南かどくら みなみ。そこのカフェで話さない?」


 ──Sir,yes sir.


 お姉さん……否、門倉さんは、誰かへ電話をかけ始めた。


「ケイくん? ねえねえ、見つかったよ~!?」


 ◆◆◆◆


 二時間後


「……で、これからは水の時代なのね?」


 みなみさんの、甘い声が耳をくすぐる。


 俺は、夢見心地で彼女の話を聞く。


「この話、まだ界隈でも非公開の情報でさ」


 美人が呼び出した、爽やかなお兄さんも何かわからない魅力的な話を続ける。


 もう、イラストレーターの学校案内なんてどうでも良くなっていた。俺は水で天下を獲るのだ。


「でね、この人材養成講座が、少しだけお金かかるのね?」


 ──夏休みの間に貯めといたバイト代……いいや、将来の投資だ。


「四十万なんだけど……ご両親、説得できるかな? しんぱーい」


「出せます」


 ガタン。


 二人は腰を抜かす。


「「マジ!? すげえ!!」」


「ここで決める? 家に資料これ持って帰っても全然」


「払います」


 俺はスマホを取り出す。


「判断が早い!! えらい!!」


 彼女のスマホに、四十万が引っ越す。


「じゃ、また連絡するね!! コンラッド・クルツ会にようこそ!!」


 熱烈な握手を交わす。


 柔らかくて、すべすべで温かい。


 ──幸せ。


 ◆◆◆◆


 翌日


 俺は高校でその話を披露して……嘲笑の的になった。


「お前、『コンラッド・クルツ』って注意喚起されてる有名どころだぞ!?」


 遠巻きに、援護射撃が来る。


「情弱」


「中川って陰キャだから、その辺詳しいと思ってたけど」


「年上美女がさぁ……話しかけてきたらもう……ねぇ」


 俺は、泡を吹いて卒倒した。


 "コンラッド"、そして"クルツ"というワードが『闇の奥』という小説に関連していると知ったのは、それから二ヶ月経ってからだ。


 南さんとは、二度と再会することはなかった。


〈了〉

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