第2話
初めは見間違えかと思った。
しかし、目をこすっても自己紹介をした天使さんの背中には翼が見えていたし、なんならそれがぱたぱたと揺れる姿もちゃんと見えていた。
―――たぶん、あの子マジの天使だ。
そう気づいたのは早かった。なにせ、名字が『天使』だし。
名は体を表すと言っても表しすぎている。
というか隠す気が無さすぎる。
いや翼は俺以外のクラスメイトには見えていないようだったから、別に問題ないのはわかる。
でもそれにしたってもうちょい隠すとかさあ……。
「ずっと疑ってたけど今確信に変わりました! キミ、初対面の時から僕の翼見えてたでしょ!」
「見えてないですね。何のことですかね」
「むりむりむりだから!」
「気のせいですね」
「いやもうむりむり! おらーこの僕の綺麗な翼が見えてるんだろー! 言えー! 見えてるって言えー! ネタは割れてんだー!」
天使さんが俺の襟元をわしわしと掴んで揺さぶってくる。
俺より頭一つ分くらい小さい天使さんはそれだけで半ば俺にぶら下がるみたいになるせいで、首元が苦しい。
「と、とと、というか! 僕の翼を勝手に触ったなぁー! えっち! へんたい! 断固慰謝料を要求するよう!」
「ええ……」
「ええ……? じゃない! 当たり前! 地上に降臨したての幼気な天使のファーストタッチを奪っておいてその『なにかやっちゃいました?』みたいな顔はなんだあ!」
「いやだって……」
だって、目の前にあったから思わず触っちゃっただけというか。
どうやら『天使』としては、自分の翼に触れられるというのはちょっとばかりよろしくないことらしい。
めんどくさいなぁ。
「あ、なにその『こいつめんどくさいな』みたいな顔! 僕がこんなに食ってかかってるのはだいたいキミのせいなんだから!」
「そもそもそんな触られて嫌なもんを四六時中見せびらかしてる方にも問題があるだろ……」
「ふぇ、そ、それは……」
天使さんが口をぱくぱくとさせて、その後目を泳がせて、最後にふんすと胸を張った。
「確かにキミの言い分が正しくてまったく何も言い返せないけど、それを指摘できたことでキミが勝ったわけじゃないからね?」
「何と戦ってるんだよ、天使さんは」
「地上に降り立った天使としてキミに舐められるわけにはいかないからね」
もうちょっと手遅れ感はあるけど。黙っとこ。
それにしても、なんか天使さん、実際話してみるとなんか思ったよりも親しみやすいな。
ころころ変わる表情と、やたら近い距離感とスキンシップ。
なんと言えばいいのかわからないけど、異性の距離の近い友達……みたいな。
かわいいとは思うけど、それが彼女から離れようと思う理由にならない。
天使さんと一緒にいることにストレスがないという感じだ。
「ん? どうしたの?」
「ああ、いや、なんというか、自然だな、と」
「イメージの天使と違った?」
「まあ……だな」
全ての天使は神に全ての人間が歩む道を守ることを命じられているという。
かと思えば、ラッパを吹いて世界を滅ぼすときもあれば、悪魔と戦うときもある。
軽く調べてみた限り、時代、宗教によってその存在も、在り方も細かに差異が存在する。
女性だったり、男性だったり、名前があったり、なかったり。階級が細々に決められているものもあれば、自分の名前をとことん明かさないものもいる。
不確かだが、神秘性を帯びた超存在。それが天使の大まかなイメージだ。
だが、その認識と照らし合わせると、天使さんは少し――――いや、ものすごく人間臭かった。
ちょっと人間臭すぎるほどに自然で、俺も彼女の背中に翼が見えていなければ、『天使』であると疑うこともできなかっただろう。
「まー、僕は我らが主が作った最新世代の天使だからね。そういうものだよ」
「へー」
「ふっふっふ、だからキミが僕のこのセクシーな身体に目が奪われてしまうのも仕方ないんだよ」
「……?」
「ちょ、ちょっとなんで本気で不思議そうな顔してるんだよう! 僕の主から賜ったこの体に文句でもあるのか?」
「いや、まだ地上に来たばかりだから日本語得意じゃないんだなって。難しいよな、日本語」
「ちーがーうー!」
がう!と俺に噛みついてくる天使さんをどうどうとなだめる。
「むー、僕の何が不満なの? 僕にむらむら?しないの?」
「よくわからないままそういうこと言わない方がいいと思うけど。まあ、天使さんはかわいい系だから、なんかセクシーとは違うというか……」
「か、かわいい? へ、へー、そ、そうなんだあ。も、も~、そう思ってるなら素直に言ってよね。えへ、えへへ」
天使さんが自分の頬を挟んでだらしなく頬を緩ませる。
ほんとにこの天使感情豊かだな……俗っぽいって言い換えてもいいけど……。
ありがたみがないなぁ。
「キミ、やっぱりいい人だねえ。ここ最近観察してたけど、僕の見立て通りの人です」
「観察? 俺を?」
「うん。僕が転校してから一週間くらい? キミのこと、色々調べさせてもらいました」
「えっ」
「ちょ、引かないでよ! 僕の趣味とかではないから! 僕のお役目のために仕方なかったんだよう!」
「お役目?」
俺が首をかしげると、天使さんが居住まいを正す。
今までころころ表情を変えていた顔からは色が消えて、静かに俺を見据えた。
「主の遣いとして告げます、篝幸太郎くん」
彼女は、そのまま静かに言葉を紡ぐ。
天から地上に降り立った天使としての役目を果たす、その言葉を。
「貴方は――――あと一ヶ月で死ぬ運命にあります」
――――死ぬ?
死ぬ、俺が。しかも、あと一ヶ月で。たった、一ヶ月で。
「……冗談とかじゃ、ないのか」
「
思わない。まだ彼女とは知り合ったばかりだが、人を惑わせて遊ぶような人……ではなく、天使ではないと感じていた。
なら、俺は本当に一ヶ月で死んでしまうのか。
心の中で言葉にしても実感がわかない。それくらい、今の俺には想像できない概念だった。
俺が自分の掌に目を落とした時、その掌をそっと天使さんに包まれた。
俺の武骨な手とは違う、きめ細かですらりとした綺麗な手だった。
天使さんの方に目を向けると、ふっと彼女は目を細めて「だいじょうぶ」と口にした。
俺に言い聞かせるように、子守唄を歌うような優しさで。
「諦めないで。僕はキミの敵じゃない。だから気を落とさないで」
「俺、いま自分に死刑宣告をした相手に励まされてる?」
「ひ、ひどいなあ。そりゃ、事実だけ言うとそうだけどそれは僕だってやりたかったわけじゃないというか……」
唇を尖らせていじけたようにそう言った天使さんは、もう一度咳払い。
「僕はね――キミの運命を変えるために、この地上に来たんだよ」
俺の、運命を?
「なんで、そんなこと?」
「キミがそれを望んでいるから。キミが、まだ生きていたいって思ってるから」
「そんなこと俺は言ってないぞ」
「言ってなくてもわかるよ。だって、僕はキミの守護天使だからね!」
「守護天使?」
「そ。キミを導き、キミが望むことを叶える手助けをする、キミの隣人」
天使さんはそう言うとたたっと俺から距離を取って、くるりと振り返る。
その動きに従うように白金のサイドテールと、真っ白の翼が弧を描く。
「よろしくね、僕の初めての迷える子羊くん?」
夕日に照らされる桜の木の前で、『天使』は俺へと笑いかけた。
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