新米天使の人助け

世嗣

一章 夕日の天使

第1話

 天使から手紙をもらうのは初めての経験だった。

 

『放課後 裏庭の桜の木の下で待っています』


 手紙に書かれた内容はシンプル。最低限の説明が、教科書のお手本にされているような丁寧な文字で綴られていた。

 では、それを誰が書いたのかだが、その答えは手紙を裏返せば一目瞭然だった。


 天使あまつかユウヒ。

 

 世にも珍しい『天使』という名字の、俺のクラスメイト。

 先週、俺のクラスにやってきた季節外れの転校生。

 彼女がやってきた日のことを、俺は今でも昨日のように思い出せる。


 それほどに鮮烈で、忘れがたい光景だった。


天使あまつかユウヒです。みんな、よろしくね」


 ゴールデンウィークが終わって、やや気だるげだった教室の空気を吹き飛ばすような爽やかさで彼女は微笑んだ。

 身長はそれほど高くない。どちらかというとやや小柄。実家の妹と同じくらいだからたぶん145というところ。

 サイドポニーにした色素の薄い髪は淡い白金。けれど、そこから伝わるのは雪のような冷たさや、金属の硬質さはなく、どこか温かさがあるのは、髪に日の光が溶けているからだろう。


「ええと、最近この辺に引っ越してきたんですけど、知り合いは誰もいないので仲良くしてね! あ、僕のことは気軽に『ユウヒ』って呼んでくれると嬉しいな」


 一目でおろしたてと分かる制服はややオーバーサイズなのか、少し袖がだぼついている。

 彼女はその袖から細く伸びる腕で、ふりふりとこちらに小さく手を振った。

 

 『目を張るような美少女』。

 その言葉が似合う、かわいらしくて、華奢な少女。

 現に彼女の声で、クラスメイトの男子たちの背筋は心なしか伸びて、女子ですらこそこそと「なんて話しかける?」と隣の友人と話し始めている。


 誰が見ても目を惹くその姿は、自然に生まれたとは思えない。

 その姿を、「硝子細工の造花みたいだ」と思ったりもした。


 天使ユウヒの起こしたざわめきは休み時間になって収まらず、彼女は当然のようにクラスメイトに囲まれていた。


「天使さんってどこから来たの?」

「んー、けっこう遠いところ……かも?」

「ちょっと、なんで天使さんが疑問形なの? 海外とか?」

「ある意味海外というか……あ、でも日本語はちゃんとわかるよ! なにせ、ちゃんと勉強したからね。ふふん」

「あはは、なんか威張っててかわい~」

「ちょ、急に撫でないでよ。も~、仕方ないなあ」


 女子からはわちゃわちゃとかわいがられ。


「あ、僕まだ教科書なくてさ。見せてもらったりって、できるかな?」

「あ、お、オス!」

「あはは、おすって気合入ってるね」

「お、オレバスケ部だから」

「わ、そうなんだ。バスケってあれでしょ、バウンドさせるやつ! 見たことあるよ! ね、ね、今度見学に行っていいかな? 僕部活って言うのにも興味あるんだ」

「も、もちろんいいですよ天使さん!」

「やたっ。じゃあよろしくね」

「う、うす。たぶん明日の放課後とかならマネージャーとかが案内してくれると思うんで、明日来てくれたら」

「わかった……じゃなくて、おす! が、いいかな?」

「――――」

「あれ、坂本くん……気を失ってる!?」


 女子耐性のない男子をノックアウトした。


「あ、ユウヒおはよー」

「天使さん、バスケ部また来ない?」

「馬鹿野郎天使さんは今日は俺たちロボットバトル部にだな……!」

「天ちゃん~、この前は落とし物探してくれてありがとう。助かっちゃった」

「そうだ天使、昨日話した生徒会の件だが教員の方でも……」


 そんな一週間を過ごし、彼女はクラスでの立ち位置と、信頼と好感を勝ち取った。


 『天使ユウヒは名前の通り天使のような美少女である』。

 これは概ねクラスの中で、もしくは学年中で――はたまた噂が届いていれば学校中で――共通の認識となったであろう。


 そして、いま俺は、そんな天使さんに呼び出されているのである。


「……一体どういう風の吹きまわしだ?」


 呟いて、目頭を揉んだ。


「あれこーた、こんな時間まで残ってるなんて珍しいね」


 裏庭に向かう途中、クラスメイトの一人とすれ違う。


「織姫こそ。なんでこんなところにいるんだ?」

「ちょっと牧原先生から頼まれちゃって。こーたの方は?」

「んー……、まあちょっと天使さんに呼び出されたから会ってくる」


 俺が手紙を見せると、織姫の目が丸くなる。


「えっ、天使ちゃん!? あの!? それって告白なんじゃ……」

「じゃあな。また明日な、織姫」

「ちょ、ちょっともう少し詳しく聞かせなさいよぉ~」


 織姫に軽く手を振って別れると、足を進める。

 階段を下りて、技術棟を通って、誰もいない静かな廊下を通り抜け、裏庭に向かう。

 森をすっぽりとくりぬいて建てられた校舎の裏庭は、半分くらいは森と言っていい場所で、この時間に裏庭に行くようなもの好きは、普段は教員も含めて誰もいない。


 しかし、今日は違った。


 裏庭の隅、人目を避けるようにひっそりとある桜の木。しかし、その幹に生気は既に無く、ところどころ乾燥でひびが入っている。

 本来なら青々とした葉を茂らせているであろう枝葉にも元気はない。ほとんどの枝に葉はなくむき出しで、かろうじていくつか残る葉も茶色がかっている。

 遠くないうちに枯れそうな、死にかけた桜の木。

 学校にあるにしては縁起が悪すぎるし、どこか暗い空気を纏っているようですらある。


 けれど彼女は、天使ユウヒはその木の傍にいても、その存在が木の暗さに呑まれていなかった。


「――――」


 彼女はただ静かに空を見て、何か物思いにふけっているようだった。

 天使さんがそうしているのは、どこか宗教画のような絵になっていた。


 作り物みたいに綺麗な子だ、と改めて思った。


「あ、来てくれたんだ」


 ふと、天使さんが俺に気づいたのか振り返ると、ぱっと笑みを向けて来た。

 クラスメイトの男子が「天使さんの笑顔はガンに効く」とかたわごとを言っていたのを思い出す。

 そう言いたくなるのもちょびっと分かるような気がした。


「まあ、呼び出されましたから」

「確かにそうだ。僕が呼び出したんだもんね。そっかそっか」


 俺が頬をかきつつ答えると、何が面白いのか天使さんは肩を揺らしてくすくすと笑った。


「というか、どうして敬語?」

「なんとなくというか……俺のような存在が恐れ多いというか……」

「そんな肩肘張らないでよ。ふつうに話してほしいな」


 天使さんが「ね?」と俺に言い聞かせるように、小さく首を傾けた。


「それならそうするけど、なんでここを待ち合わせ場所にしたんだ?」


 裏庭の枯れた桜の木なんて、こんな変な場所にしなくても屋上とか技術棟の適当な教室とか、選択肢はいろいろありそうなものだけど。

 俺がそう聞くと、天使さんはきょとんとした顔で小さく首を傾げた。


「キミ、ここよく来てるでしょ?」

「まあ、来てないってことはないが」

「好きなの、この木?」


 天使さんが頭上を見上げて、次にちらっとこちらに目を向けた。


「別にそう言うわけじゃ――」


 言いかけて、なんとなく言葉に詰まった。


 彼女の名前と同じ夕日の色の瞳が、俺のことをじっと見つめている。

 ただ見られているだけなのに心の奥まで見透かされされているような気がするような、そんな不思議な目だった。

 適当な答えも、嘘での取り繕いも、全て彼女にはバレてしまいそうだった。

 

「……なんとなく、ここにいると落ち着くだけだよ。ここにいると、世界に置いていかれても安心って感じがする」


 人と付き合うのは大変だ。

 何を考えているのかわからないし、俺が知らず知らず嫌な思いをさせているかもしれない。

 でもここにいるときだけは、そういう人付き合いのことを考えなくていいから。


「ふぅん……」


 天使さんがじーっと俺を見つめてから、「そっか」と呟いた。

 そして俺に一歩歩み寄ると、花がほころぶように薄く微笑んだ。


「キミ、怖がりなんだねえ」

「はあ?」

「ふふ、いいのいいの。皆まで言わなくて、僕にはわかるから」


 俺の言葉のどこに怖がり要素があったのだろうか。

 なんか天使さんといると調子が狂う。さっさと本題に入ってしまおう。


「それで、天使さんは俺に何の用なの? 呼び出したからには何か用があるんでしょ?」

「ん? ああ、それはね……」


 と、その時風が吹いた。

 この裏庭は校舎の構造上、時たまこういう風に強く風が抜けていくことがある。

 たまたま俺たちはその強い風に吹かれてしまったのだ。


「わわわっ」

「っと」


 が、強いと言ってもせいぜい一瞬目をつぶってしまうくらいのもの。

 だから問題は今の風で盛大に舞い散った木の葉やらなんやらを制服と頭に食らってしまったことの方だろう。


「あちゃちゃ、吹かれちゃったねえ。おろしたての制服だったのになぁ」


 そう言いながら天使さんが自分の服についた落ち葉をつまんで取りながら苦い顔をする。

 でも、自分の目につくところばかり気が行っていて背中についたままなのに気づいていない。


「天使さん、背中にまだいろいろついてるよ」

「ほんと? じゃあ僕からは手が届きそうにないから取ってくれない?」

「俺が?」

「だめ?」

「駄目……ではないけど、いちおう男子だぞ、俺」

「? それが何か問題なの?」


 こてん、と首をかしげる天使さん。


 いや、こう、男子が女子に触れるって言うのはさ色々問題がある気がする。

 でも、天使さん全然そう言うの気にしてなさそうだな。

 そういう人なのかもしれない。


「わかったよ。あとで変なところ触られたとか文句言わないでくれよ」

「えへ、ありがと」


 俺は天使さんに歩み寄ると、肩やら背中やらについていた落ち葉を無心でつまんで捨てる。

 

「よし、これでこっちはあらかた取れたかな」

「ありがと~。これで制服は綺麗かな?」

「たぶん……あ、いやまだついてた。取るからちょっと動かないでくれ」


 俺はそう言って天使さんのついていた落ち葉をつまんで捨てた。


「え?」

「あ、やっべ」


 天使さんが目を丸くして、俺の頬がひきつる。


「いま、キミ、僕の……触った、よね……?」


 俺が落ち葉をつまんだまま固まり、天使さんがじっと俺を見つめた。


「……」

「――――」


 一秒。二秒。三秒。


 俺がさっと視線を外すが、天使さんはその背に生えた一対の翼をぱたぱた揺らして俺に詰め寄ってきた。


「や、やっぱり僕が使って気づいてるでしょキミー!」


 ―――天使あまつかユウヒ。

 俺のクラスにやってきた、季節外れの転校生。

 クラスメイト達に『天使のような美少女』と言われる少女。


 そして、俺に手紙を送ってきた『天使』。


 俺は、彼女の背に生えた真っ白の翼が、転校初日から見えてしまっていた。

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