陽花と華日とこれからの望
……よく聞こえなかった。
僕は一体何をしていたんだっけ。
そうだ、陽花のことについて考えていたんだった。
確かに言えることは何だ?
『あ、ようやく起きた』
目を開けると、すぐ前に陽花の顔があった。
『華日か…?』
僕は目をこする。また華日と陽花を見間違えては流石に情けない。今この世にいるはずなのは華日だけなのだから———
『水浦陽花。全く一年来の仲なのに妹と見間違えるなんて』
僕はもう一度目をこする。
不思議で底の見えない、少し虚ろな目。焦げ茶色の髪が肩までかかっている。ふわっとしていて、癖のある感じ。
ぼーっとした頭が晴れてきて、目の前の人間が何者であるかを正確にとらえられてきた。
『陽花…?』
僕ははっとして、あたりを見渡す。
落ち着いた色調の部屋に、蓋が開けっ放しのグランドピアノ。
あの居心地の悪いテーブルに、僕たちは向かい合っていた。
僕は確か、水族館にいたはず……。
『夢?』
僕がそう呟くと、陽花のふりをした何かは肩をすくめた。
『さぁ?』
僕は嘯く彼女を見て、焦って損したと肩を緩めた。
夢ならば、もう何もすることはない。
『単なる独り芝居だから。酷くつまらなくて、見るに堪えない』
僕がそう言うと、彼女はは陽花のように顔を緩めて笑った。
『そうかな? もしかしたらわたしは、天国から来た本物かも。華日との思い出巡りだって、確かめないのは損だ、から始まったんでしょ?』
僕はふっと笑う。
『あれは失策だったよ。居留守でもしておいた方が、百倍良かった』
『そうなんだ。君は相変わらずみたい』
『そりゃどうも』
僕は紅茶を一口飲む。
全く、妙に現実感のある夢だ。どうせ何をせずとも終わるんだから、何をする必要もないんだけど。
僕が会話する気がないのを見て、彼女は困ったように笑った。
『君は本当に人を信じ切ろうとしない。気は許す癖に、肝心なところで疑い始める』
『人を信じて良いことがなかったからだよ』
『信じたこともないのに?』
『程度の問題だ。僕だって、いきなり目の前の人がぶん殴ってくることはないだろう、ってことくらいは信じてるさ』
『心の底から信じぬいたことはないんだ』
『大抵の人が、親から「ありがとうは?」と言われて初めてありがとうを知って、「いただきますを言いなさい」と言われてようやくいただきますを口ずさんできたんだ、まともに本音を言うわけがないだろ』
『じゃあ、日本人以外だったら信じられるの?』
『ものの例えだ』
僕は少しイラっとする。こいつは何を言いたいんだ?
まるで陽花みたいじゃないか。
『いや、君が世間話がしたそうじゃなかったから、たっぷりと。……君にネタばらしをしに来たんだよ』
『ネタばらし?』
『そう』
そう言って、彼女は不敵に微笑んだ。
『君が目を背けている事実を、突きつけるために来たんだよ』
目を背けている? 陽花の記憶については、ずっと向き合い続けてきたものだ。
かといって、他にネタばらしできるものなんてないだろう。
お前は何を言いたいんだ?
動揺をよそに、彼女が笑う。
『これがもし夢だとしても辻褄が合うね。だって君は覚えてるんだもの』
『わたしがあの家で話したことを』
もしそうだったとしたら、僕はすぐさま華日に言ってたさ。ずっと頭にもやがかかってて、思い出せない。思い出したくない理由なんてあるはずがない。
『君自身、違和感を感じてた。華日から真相を聞いても驚かなかったこと』
それは、確かにそうだ。でもその理由は、陽花の死から時間が経っていたからだ。
『君は頭の深くでは真相を覚えてた。だから驚かなかった』
僕は反論する。
『じゃあ、何で思い出せないんだよ』
『思いだせないんじゃなくて、思い出そうとしてないだけ。……「ところどころ忘れた」?「思い出せない」? 君は若年性アルツハイマーだっけ?』
彼女は皮肉っぽく笑いながら言う。
『それに真相くらい、よく考えればわかるのにね。推理の範疇を出なくても、君の記憶を刺激できるくらいには』
僕は、自分がバカだと言われているみたいで、目の前の陽花の形をした何かがひどく憎らしく思えていた。
けど、反論できる材料がない。わかるわけがないと言い張る自信がない。
『君は陽花の死をなにで聞いたの?』
彼女が小さく微笑みながら聞いてくる。
まるで刑事尋問だ。
『…ニュースで』
『いつ?』
『事故、……事件の翌日。十一月一日』
『階段から落ちたとは報道されていたけど、華日から聞くに真相はそうじゃなかったんだよね?』
『腹から血を出していた。しかも、陽花の部屋だけが立ち入り禁止になった、らしい』
いきなり脈絡のある話をしだした彼女に、僕は少し怯える。
『階段からの転落が死因じゃないから、お父さんの情報操作があった。つまり、もみ消さなきゃいけない、水浦家の名誉を傷つける事実があった。階段転落に書き換えられたってことは、事故は水浦家の名誉を傷つけないと判断していい』
『だから事故じゃない』
『君もここまではわかってた。でも、それ以上は考えなかった』
『偶発的な死じゃないってことは、他殺か自殺でしょ?』
…確かに。
『君もわたしの従妹が強盗殺人にあったときのニュースは見たことがあるよね?』
わたしの家、なんか恨みでも買ってるのかな?、なんて陽花は呟く。
僕は気が気でない。何を明かされるのかわからない。怖い。
僕は、段々考えたくなくなってきていた。
『それがきれいさっぱり電波に乗ったんだから、他殺も水浦家の名誉を傷つけるとは判断されなかった』
『だからあり得るのは、身内からの他殺、とか? それか自殺』
『思い出して。事故の日はいつ?』
僕はそこで、既に違和感に気付いていた。
だから僕はもう、自分の頭を回さないことに必死だった。
『十月三十一日。ハロウィンの日』
『家族はみんな商談かイベントかなにかで、社会的な縛りを持ちながら家から出払ってる。身内からの他殺なんてこと、そうそうあり得なかった』
僕は頭の中から出かかる記憶を必死に抑えていた。
確信的な言葉も思考も止めて、嫌な記憶があふれ出さないように。
『陽花の身内が計画して、他の身内がいない日に陽花を殺そうとした、とか』
僕は苦し紛れにそう言った。
彼女の顔も見れない。きっと笑っているのだろうとは思う。
『そう。そういう可能性は否定しきれないと思う。けど、さっきもわたし、推理の範疇を出ないって言った。 君と無駄話をしたかったから。これは本題じゃない』
『君が、何より覚えてるでしょ? この事件の真相を』
不気味に、にやっと笑って、陽花はこれほどに面白いことはないとばかりに言った。
「だってきみは、わたしを見殺しにしたんだから」
痛い。
ぼさぼさの黒い髪、真っ赤な、まっかな、静かでくらい、ぐったりとした、いない、いない、目が、声が、手ガ。
僕は無意識に自分の左腕をつかんだ。
陽花が最 後につかんだ腕。ばvvいぇd
強く強 く握って、熱 くて、冷た く くてg
『やっと終わりかな』
『大丈夫だから、心配しないで』
『縺ゥ縺?@縺ヲ豁「繧√※縺上l縺ェ縺九▲縺溘??』
包丁、ち、音が N あ mi ✗、か
ty顔 が、目が、声がd、手 が。
くちゃ。
図形『゛ああぁ゛あ゛ぁあああ゛ぁあ゛ぁああ゛ぁあ‼』
音が、音が、音が!音が!音が!音が!音が!音が!音が!音が!音が!音が!
怖 く ぅtて▮ e 逃 げて はシっ↓っtて→、fdsm
『い゛かぁないでよ゛ぉ‼‼』
sじょぢ○fじ▼ょ
dsjo!&%($#df)” djsk.aaa”#aaaaaaaa※あfdk
ついに腹の底が限界を迎sえた。
妙に熱いのが喉を上ってきて、痛くて、痛くて、痛くて痛くて、ひっくり返る。
『゛お゛ええ゛ぇっ‼』
びちゃびちゃっと生温かい音がした。
どうやら僕は吐いたらしい。
椅子から転げ落ちて、床に這いつくばる。
『わたしがあの日君に頼んだのは、自殺計画への協力だった』
僕の見ていなかった記憶が、頭の底から引っ張り出される。
————
『望君、協力してくれる?』
『わたしは、諦めたいの』
『だから、君が希望を見せて』
『わたしがそれを絶望に変えてあげる』
僕はまた突拍子のない話に顔をしかめる。
『どういう意味だ?』
すると、水浦は物悲し気な表情を作って言った。
『わたし、もうこりごり』
『勉強もピアノも絵も、何もできない。エリートの家に生まれて、落ちこぼれとしてこの先も過ごしていくなんて、まっぴらごめん』
僕は、その声色に少しだけ同情を覚えた。
けれど、水浦はすぐに表情を不敵に戻して言った。
『っていうのは建前』
『私、前に言ったでしょ? 物語性のある人は、それがどれだけの悲劇だろうと物語性のない人よりは幸せだって』
僕はうなずく。
『だから、物語を作ることにしたの』
僕はその少し飛躍のある発想にうなずきはしなかった。
ていうか、エリート家に生まれて落ちこぼれってだけで大分物語性があると思うんだけど…。
顔から何か読み取れてしまったようで、陽花は少し眉をひそめる。
『私、劇的な人生、って程じゃないでしょ? だから、もうちょっとスパイスが欲しいの』
『で、結局何をするんだよ』
『家族からも虐げられて、絶望しかけていた私…‼ それを救いに駆けつけてくれた望君に希望を見るけれど、やっぱり私は死ぬしかないの…‼』
『みたいな感じかな』
わざとらしく心にもない感情を込めながら、お約束のあらすじを話す陽花に僕は少し呆れた。僕は、お決まりの言葉を返す。
『面倒事はごめんだ』
関わる義理がない。それに人の死に関わるだなんて、僕には向いていない。
すると、陽花は僕がそう言うとわかってたみたいに笑った。
『なら、無理やりにでも連れ出すよ』
そう言って、最後に残った苺を一口で飲み込んでから笑った。
『君とわたしのために』
僕は首を傾げた。
————
それからことあるごとに陽花は僕に絡んで、引っ付いて、
『まず、君が私を救うんだよ』
と、自殺には関係のないいろんな場所に連れ出した。
僕は完全に狂った奴判定をして遠慮をなくして、それでも割と楽しくて。
結局最後は、————
記憶の底から引き戻された時、僕はまたさっきの椅子に座っていた。
『思い出した?』
陽花がまた、意地悪そうに笑う。
『それで結局、お前は何がしたいんだよ』
確かに人の死を見た記憶は、これ以上ないトラウマだ。
ただ、それ以上でもそれ以下でもない。陽花が死にたいと言った。僕がそれを見届けた。ただそれだけじゃないか。
『そう思っただけで考えないのが、君の一番悪いところ』
陽花は紅茶をことん、と置いてそう言った。
『気付いてるのに、見ようとしない。さっきの記憶だってそうだったよね?』
『私の気持ち、華日の気持ち、一度でも考えたことがある?』
『やっぱり、君は自分が傷つきたくないだけ。覚悟も決心も、何もしないだけ』
『逃げたのも、人に好きと言えなかったのも、それだけの理由』
目の底が見えない。考えの底が見えない。やっぱり目の前の彼女は、本当に陽花のように見える。どこか不思議で、何を言いたいのかがつかめない。
『つかめないんじゃなくて、つかまないだけ』
『君の見てる私は、都合のいい私だけ?』
その時の陽花は、笑っていなかった。
目を覚ますと、目の前でクラゲがふわふわと泳いでいた。
ちらちらと青く光りながら、水の中をゆっくりと回っている。
僕はぐったりと座りながら、それをじっと見つめていた。
陽花と華日の顔が頭をかすめる。色んな事実が、頭の中をゆらゆらと回る。
陽花の計画。陽花の不敵な笑み。陽花の最後。華日の目。華日の言葉。陽花の言葉。
……もう十分考えた。
陽花の計画は予定通り終わって、僕はそれを忘れて、思い出した。
それだけで十二分じゃないか。
動くクラゲを見ていると、繰り返しの中に入ってしまったようでどこか気持ち悪くなってきた。
僕はゆっくりと立ち上がって、水族館の外へ歩いた。
「あの、望さん。先ほどはすみませんでした」
自動ドアをくぐると、その隣の壁際に華日が申し訳なさそうな顔をして立っていた。
「いくら望さんを責めたって、もう、意味がないですよね…。それに姉が追い込まれたのを助けられなかった責任は、私の方が大きいわけですし」
僕は華日が何で謝っているかわからなかった。
というか、全て何を聞かれても、わからないとしか言えなかった。
「…思い出したんだ」
「え?」
僕はとりあえずすべて吐き出すように、思い出したことを話した。
「陽花があの家で僕に頼んだのは陽花自身の自殺計画への協力だった。僕は陽花が死ぬところを見たんだ。陽花は物語を作るために死んだ。それは————」
順番が変になったけれど、補うように話して全部を伝えた。
華日は僕が何を話しているのか困惑をしていたけれど、段々と話に聞き入った。
「というわけだった。夢の中の陽花が正しいかはわからないけど、それ以上に僕はこれまでの全ての状況がつながらなくて、わからない」
「あいつがただただ計画に沿って死んだだけだ。それに付き添って、何を考えて、何を考えさせたのか、全く見当がつかない」
華日はそれを聞き終えて、黙って何かを考えているようだった。
僕はその間も、まだゆらゆらと泳ぐクラゲたちが頭の中に浮かんでいた。
どれくらい経ったか、華日がばっと顔を上げて、こちらを見た。
「お姉ちゃんの気持ちに沿うのなら、私は何も言うべきではないのだと思います。それに、先に言ったように私にも大きな責任の一端はありますから」
何か考えがまとめられたようで、その顔は覚悟が決まったと言うに相応しい表情をしていた。全く羨ましい。
「ですが」
パンッ、とつんざくように音がして、頬に強い痛みが走った。
冷たい風が吹き付けて、とてもヒリヒリとした。
どうやら僕は華日にひっぱたかれたらしいと、うっすらと思った。
「私の言葉も、夢とは言えお姉ちゃんの言葉も真面目に人の言葉を聞かないような人には、これくらいの仕打ちが当然かと思います」
「ここまで話を聞けば誰にだってわかりますよ」
僕は呆然としていた。
「あなたは、お姉ちゃんが人でないとでも思ってるんですか?」
「人は一つの計画に専念することが出来ません。一つの感情を、信念を貫くことが出来ません。それは、お姉ちゃんもあなたも同じだったはずです」
「よく見て、考えてください!」
僕はもう見るも考えるも分からない。だから無理なんだよ。だから
「もういい加減、涙を無視しないでくださいと言ってるんですよ‼」
華日が僕の顔を上にぐいと引っ張った。
ぱっちりとした大きな目と、真っ直ぐに目が合う。
僕はその時、初めて華日の目に涙が浮かんでいることに気づいた。
———
『やっと終わりかな』
『大丈夫だから、心配しないで』
カーテンを締め切った、暗い部屋の中で陽花はそう言った。
僕は何も言えなくて、それでも陽花の自殺の準備は着々と進んだ。
準備が整って、陽花はベッドの上に、僕は部屋の隅でその陽花を見ていた。
『ねぇ』
包丁を手に取って、陽花はその鈍い輝きを見た。手が震えていた。
そしてそれ構えて、こちらを見た。
『どうして止めてくれなかったの?』
陽花の目に涙が浮かんだのを見たのは、それが最初じゃなかったらしい。
包丁が腹に刺さって、くちゅ、と音がする。
腹から血が出ているのを見た途端、僕は弾かれたように逃げ出した。
———
そういえば、そうか。
僕は逃げたんだった。
それに陽花は、泣いていたんだった。
妙な脱力感が全身に伝わる。
それと同時に、訳の分からない苛つきが腹から湧き上がってきた。
「じゃあ誰だよ、僕が話してた、あの水浦陽花は誰なんだよ!」
あいつは嘘をつく目をしていなかったはずだ。
僕が話していて楽しかったのは、あの冗談好きで、本心なんてなくて、ずっとこの世を弄ぶような顔をしていたあの水浦陽花だ。
そんな柔いものじゃなかった。
その発言に緒が切れたのか華日は今までで一番感情的な表情になった。
「あんたが勝手にお姉ちゃんにそれを望んでたんだろ!」
僕の目がやっと覚めたのは、その時だったと思う。
陽花は、辛かったのか。
あの自殺計画は辛くて辛くて、それでもそうは言えなくて作られた、折衷案だった。今すぐ死なず、助けを求められ、でも死にたいと主張できる、悪あがきみたいなもの。僕が冗談や仮面だと思っていた方が本心だった。ちっとも狂ってなんかいなかった。そんなの、見たくなかった。全部見なかったことにした。
だから、陽花が死んだのは、僕のせいだ。
華日の言葉がようやく腑に落ちて、真っ赤な怒りのイメージが、強く感じられた。
僕が陽花の出していたサインを考えられていれば、少しでも真面目に受けとっていられれば、陽花は死ぬことなんてなかったんだから。
それにそうだ、陽花は華日でなく僕に助けを求めたのに、それを無視したんだから。
クラゲが繋がる。気のない笑みが繋がる。他にもたくさんわかってしまう。
僕が見ていなかったあらゆることが、全て陽花の死という形で僕に重くのしかかる。
僕が本当に脱力して、もう抵抗の意志がないとわかると華日はようやく僕の頭から手を離した。
僕は地面に膝をついてへたりこむようになる。
「でも、もう終わったじゃないか」
震える声で言う。
陽花は死んだ。考えて事実が分かったところで、よりひどい悲劇が顔を出しただけだ。
ならもういっそ、諦めてしまった方が。
「あなたが人をちゃんと見ない理由も事情も、私にはわかりません」
上から、しっかりとした声が響く。
同時に、鼻をすする音がした。
泣いている音だ。
「ただ、私もあなたも、お姉ちゃんの死を無駄にするようなことをしちゃいけない」
死を無駄にするって何だよ。死は単なる死だ。そこに意味をつけるなんて、ただの自己満足じゃないか。
「お姉ちゃんの望みは、あなたに救ってほしいというものだった」
「遅くなっても、伝わらなくても、あなたが救わなきゃいけません」
一方通行な救いに意味なんてあるものか。
「あなたが変わろうとしないなら、私はあなたを無理やりにでも変えて見せます」
できるものならやってみればいい。
そうやって時間が経つだけだ。
「お姉ちゃんとあなた、どちらのためにも」
———『なら、無理にでも連れ出すよ』『君と私のために』
僕は華日に引っ張られることなく、顔を上げる。
目の前に立っている華日。
あの時僕に笑いかけた陽花。
姿が重なる。
まるで時が止まったみたいに、思考が凝縮される。
その時、僕は初めて考えた。
あの時の陽花の発言は、どういうことだったのか。
陽花の自殺計画は、極めて独善的なものだった。
実際の心でも、陽花自身が、「私を救ってほしい」と思って始めたものだった。
だったら、そこには僕のためだなんて利他的な思惑は介在しないはずだ。
だから、今までの僕と華日の読みが間違っていて再考する必要があるか、それをさらに拡張して僕のためだったという事実を包含するか。
僕のために、という言葉は一体何のためだったんだ?
そこで、一つ、閃いた。
なぜかはわからない。でも、そうとしか思えなかった。
———『じゃあ、そういう人たちを助けてあげるのが本当に優しい人なんじゃないか?』
他でもない、僕が言った言葉。
全てのきっかけはあれだったんじゃないだろうか。
僕はノイローゼのように呟き始める。実際には、単なるハイだけど。
陽花は、物語性がないことが一番の悲劇だと言った。
そして僕はさっきも言った通り、物語性のかけらもない人生を送るはずだった。
家の中でゲームをして、食べ物を食べて、寝て、ただ死んでいくのがお似合いだったはずだ。あの日陽花が来なければ、そうなっていたはずだ。
人は自分が辛く危機的な時だからこそ、他人を助けたくなる時があるというのを聞いたことがある。人を助けられれば、自分が人を助けられるほど余裕のある人間だと思えるから。
その要領で、陽花は人に優しくしたいと思っていた?
———『だから私は君を苦労させるんだよ』
僕の問題点。
人と真っすぐ向き合わない。そもそも人と関わりたがらない。
心から決心して行動しない。常に逃げ道を残しておく。
全て苦労するのが、傷つくのが嫌だから。
陽花は僕を苦労させるといった。陽花は僕のために僕を連れ出すといった。
それは、僕が人と向き合うように、心から動くように、仕向けるためだったんじゃないか?
すると僕に物語性が生まれる。
現に華日が僕をこうして阻んでる。僕は陽花の言葉と死に縛られている。
だから、えっと、つまり。
陽花の自殺計画には、三つの思惑があった。
一つは、悲劇的な物語性を生みたい陽花のため。
二つは、ただただ助けてもらえるかもしれないという期待。つらい現実のため。
三つは、人に優しくしたいという陽花のため。
…間接的に、僕のため。
一つ目は完遂した。ただそれは一番陽花の感情から遠かった。
二つ目は失敗した。僕のせいだ。
三つ目は、唯一———、
「まだ続いてる」
自分で見つけた事実は何より希望に見えて、明るく確かで、とても大事にしたい気持ちになった。
確かに僕が変わっても、どうやっても、陽花が報われるわけではない。
自己満足の域を出ない救いは、他人を無下にするに等しい。
けれど、僕は今、陽花の僕を救おうとした気持ちが、まさに目の前にあるように感じていた。
陽花の言動が、表情が、僕の頭の中にあるから。
僕のために使われた他人の感情を、置いたままにはしておけない。
それはどうやっても僕の中にあるのだから。
「遅くても救われなきゃいけない」
僕が言葉を噛みしめると、今まで僕のつぶやきをゆっくりと聞いていた華日の表情も和らいだ。
納得するまでが遅すぎた。考え着くまでが遅すぎた。
何だ、物語だとしたら、随分おんぶにだっこな主人公だ。
僕は足に力を入れて、立ち上がる。
僕はこれからどうする?
華日と目線を合わせて、その瞳をまっすぐに見る。
「ずっと見てなかった。考えてなかった。……悪かった」
「…僕は、陽花について、全然知らなかった。だから今度は、華日が一緒に行った場所に連れて行ってほしい」
陽花を知って、陽花のしようとしたことをもっと知らなきゃいけない。
もっと考えなきゃいけない。
…本当に、何でもっと知ろうと思わなかったんだろう、だな。
「お願いできるか?」
僕が言うと、華日は驚いたのか目を見開いた。
そして、とびきり笑った。
「いいですよ」
華日の本当の笑顔を見たのは、これが最初かもしれないと思った。
水の中の火花、満ちた海月 久々宮知崎 @kannnana
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