水浦家と苺を最初に食べる少年

結局、都合がいいということで水浦家にはその日のうちにお邪魔することにした。


クリスマスに限らず、何か季節のイベントのある時は全員商売やらイベントやらで忙しく、出払っているらしい。


華日は電車で来ていたので、僕は一人で自転車をえっちらこっちら漕いで、三度目の水浦家へ向かった。


久しぶりの寒さに身を震わせながら、薄れた記憶と華日のくれたいくつかの目印を頼りに、なんとかたどり着く。


「何度見ても別世界だよ……」


西洋の宮殿に近い。門がなくなって、小さめになったバッキンガム宮殿だ。口の字型になっていて、その中庭に僕の家がすっぽりと嵌りそうなくらい。


一財産築いた陽花のおじいちゃんが作ったらしいが、最近できたかのように白く輝いている。


僕の家と同年代にできたんだよね?


玄関にセコムのマークがついていることくらいが唯一の親近感ポイントだ。


「遅れてすみません~!」


僕が前回同様動揺していると、華日の声が遠くから聞こえてきた。


見ると、道路の向こうから華日が走ってきている。…走っているというよりは、走っている仕草をしているといった方が正しいだろうか。


スピードは徒歩だ。


「お待たせしましたぁっ……」


「全然待ってないぞ」


「はぁ、はぁ……、そうですか、それは良かったです…。けほっ」


運動音痴は姉妹そろってらしい。


大丈夫かと言いたくなるほど息切れしている。


「それでは……行きますか…、はぁ」


そんなに走った?


自転車を中庭に置かせてもらってから、息を切らして老人みたいになった華日に案内されて、陽花の部屋へ向かった。


階段を上った先の廊下にはいくつも絵画が飾ってあって、その荘厳な雰囲気が僕の身をさらに縮こまらせた。


華日は息を整えながら、廊下をすたすたと歩くついでにあの絵はだれそれの~などと説明してくれた。


脈絡のある会話過ぎて、姉妹という存在を疑ってしまいそうだった。


そしてそんなうちに、見覚えのあるドアの前までやってくる。


「こちらがお姉ちゃんの部屋……、だったものです」


華日が、がちゃ、とドアを開ける。


あら重厚。


「うわぁ……」


中を見て、思わず声が出る。


その部屋にはぎっしりと段ボール箱が積み重ねられ、本が散らばり、すっかり倉庫のようになっていたからだ。


「……まぁ、縁切り寸前だったもんな」


「はい……。従妹とか叔父とか、他の親族がお姉ちゃんの存在を忘れたいみたいに、この部屋に荷物をどんどん置いていったんです。警察の調査があったので、私物もほぼ他の場所に移っちゃってて……」


豪邸の家族というのも、普通の人とやることは変わらないんだな。


才能も努力する気もなく、両親からも忌み嫌われてたんだから、死後こうなってしまうのは仕方がないところもあるんだろう。


「これじゃ思い出すものも思い出せないですよね……。他のところも回りますか?」


「…そうだな」


少し気の毒そうに思いながら部屋を去ろうとすると、今まで荷物に埋もれていて気付かなかったあるものに目がついた。


「あれ、あのピアノはまだ残ってるのか」


すると、華日も気づいていなかったようで、嬉しそうに手を打った。


「あぁ! そうですね、あれは元々家のものみたいな扱いだったので」


「陽花は、ピアノ弾いてなかったもんな」


本来なら荘厳な黒い光沢をもつはずのそのグランドピアノは、埃が積もってすっかりその威厳を失っていた。前来た時も、そんな感じだったっけか。


寂れたピアノのおかげで、埋もれていた記憶が流れ出してきた。


————


『ちょっと待ってて』


そう言って、水浦は菓子か何かを取りに行った。


落ち着いた色調のその部屋は、本当に現代日本かどうか疑うほどさっきまでの風景と切り離されていて、不思議な雰囲気を醸し出していた。


部屋の隅には蓋が空きっぱなしグランドピアノ。


ところどころに、重厚な額縁に入れられた現実か非現実かよくわからない風景画がかけてある。


トロフィーが乗った棚にも、高そうなベッドにも、どこにも生活感が無くて、もはや不気味だ。


そしてそのせいか、恐らく僕の来訪のためだけに用意された、妙に重厚感のあるテーブルとイスは、いっそ立って帰ってしまいたいと思う程居心地が悪かった。


時間感覚が狂って、どれくらい経ったかはわからなかった。


『望君、待たせちゃった?』


後ろから声がして、僕の目の前にことん、とケーキと紅茶が置かれる。


自分から「待ってて」と言ったのに「待たせちゃった?」って言うのはなんでだよ。


さりげなく名前呼びされたことにも困惑する僕を気にせず、陽花は自分の分のケーキセットも置き、向かいに綺麗な所作で座った。


その所作もこの家も全く水浦には似合わないのに、妙に馴染んでいて気持ち悪い。


顔がこわばらないようにして、僕は答える。


『待った気がしなかったよ』


居心地が悪すぎて。


核心を隠す僕に、水浦は小さく笑った。


『それは残念。君には私を、待ち焦がれていて欲しかったのに』


僕はため息をついて、紅茶を一口飲んだ。


『冗談がお好きなようで』


『それは君もでしょ?』


『そうだね。だけど僕は冗談を聞くのは苦手なんだ」


『そう。嫌われるタイプね』


『言われずもがな』


今度は水浦の方がため息をつく。


僕らは無言になったのを合図にして、お互いにフォークを手に取った。


それでは。


僕は苺を、一番最初に食べる。


『苺を始めに食べるの?』


すると間を開けず、不服そうに水浦が聞いてきた。


僕は甘い苺をごくりと呑み込んで、後味を楽しみながら言う。


『楽しいことを一番最初に、だよ』


水浦はショートケーキを切りながら、はっきりとした声で言う。


『楽しいことは一番最後に、かな』


僕は肩をすくめる。


どうせ趣味嗜好なんだから、好きにすればいいさ。


僕も続いてショートケーキを切る。


『話したいことってのは、なに?』


まろやかなクリームを頬張りながら、本題に入るよう促す。


まだその頃ではないと水浦は思っていたようで、またも不服そうにこちらを見る。


急に饒舌になって、距離の詰め方がおかしいだろ。


僕は心の中でもう一度ため息をつく。


『あのピアノは使ってないのか?』


水浦は振り向いて、


『あのグランドピアノ? 何でそう思ったの?』


『使ってもないのに蓋があけっぱで弦に埃が積もってた』


『確かにそっか。探偵みたい。ひゅーひゅー』


ホントにこいつのテンション感は何なんだ。


『ピアノはいつだったかな、六歳くらいでもう、やりたくないって投げ出したの』


『随分と早いな』


『見切りが早くてすごいって誉めてくれてる?』


『諸説ある』


『残念』


そう言う陽花は、全く残念そうには見えなかった。


よっぽど強い冗談好きなんだろう。


『で、そろそろ本題を頼む』


僕がそう言うと、さっきの会話で水浦は満足したようで、仕方がないなとばかりにふっと目を伏せた。


そしてこちらを見て、不敵に笑った。


もともと言葉が決まっていたような、帰りの会を始めます、と淡々と言う風な口調で水浦は言う。


『望君、協力してくれる?』


『わたし、諦めたいの』


『だから、君が希望を見せて』


『わたしがそれを絶望に変えてあげる』


厨二病はとっくに終わったはずだぞ、と僕は思った。


————


僕が思い出したことを話し終えると、華日は首を傾げた。


「最後の発言は、一体どういう意図だったんでしょう?」


僕もちょうどそう思ったところです。


だけど、どう頭をひねってみても、記憶のかけらも出てこない。


そんなに前のことでもあるまいに。


「ごめん、何か思い出せない」


僕が申し訳なさそうに言うと、華日は少し肩を落とした。


「そうですか…」


これでは何か隠しているかと疑われても仕方がない。


僕は今度は思い出せない理由を探そうと思ったけど、それも見つからなかった。


頭を負傷する事故に遭ったわけでもあるまいし。


その日は結局それ以上何も思い出せず、陽花と中庭で話した他愛のないことくらいしか話せなかった。


玄関まで見送ってくれる華日に、僕は目を合わせられなかった。


「気にしなくていいですよ! まだまだいける場所はありますし」


「…そ、そうだな」


年下に気を遣わせていることを申し訳なく思いながら、まだまだ遠出があると思うと肩が重くなった。


だ、だるすぎる。


「じゃあ、次は再来週の一月七日に、学校ですね。お気をつけて」


華日はそう言って、快活な笑みを浮かべた。


僕は陽花の全く似ていない笑みを思い出して、少し笑った。

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