メモリアルドール

久々宮知崎

メモリアルドール

……私は、あなたたちのおかげで生きていられる。


あなたたちがいるから、心が動く。


ほら、笑って。


あなたが笑えないと、私が泣いてしまう。



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昔々、遠く遠くのあるところに、小さな小屋がありました。


その小屋は静かな森の中、一点だけ、太陽がやさしく差すようなところにありました。木々は照らされ優しい黄緑色に、花々は生き生きとしていて、蜂や蝶などが、よく集まっていました。


その小屋の主は、小さな小さな、十歳くらいの見た目の女の子で……、


「あちゃ。また水汲みに行くの忘れちゃった。」


「えっと、ばけつは………。そうだ、木の下に置いてきたんだった。


よく覚えてたね、さすが私!」


「………って、どの木の下に置いたっけ?」


などと、どこかぬけているところもありました。


彼女は、そのサラサラした赤毛を、落ち着いたボブにしているようです。


ぱっちりとした藍色の目はきれいで、彼女の優しさ、純粋さを表しているようにも思えます。


しかし、この女の子、実は三百年ほど生きています。


その正体は、機械人形。


昔々のさらに昔、ある生物学者が生み出したと、動物たちの間ではささやかれています。


彼女自身が名乗るには、


「私は、はじめ、あい。初めましての初に、愛を唄うの愛と書きます。


 あい、と呼んでもらえると嬉しいです。」


だそうです。


動物たちには漢字がわからないので、アイ、アイ、と、名前の音だけ覚えているようです。


動物たちは、優しく思いやりのあるアイの性格が、とても好きなようでした。


けれど、アイには動物の言葉がわからない。動物たちはアイの言葉が分かるのに、不思議なことです。


一体、どんな仕組みなのでしょう?


さてさて、そんな森の小さな小屋で、動物とアイたちはともに助け合って暮らしていたのですが、そこにある日、一人の人間がやってきました。


雨の日の事です。


その人間は傘もささずに、一人、よろよろとこの森の小屋までやってきました。金髪の、弱弱しい女の子でした。


名前を、ニーナ・クリナドールと言います。


彼女は、お金のない家に生まれたようです。金儲けに、親に売り払われそうになったところから逃げてきたといいます。


アイは、彼女を小屋に招き入れました。


そして、手を差し伸べるように言いました。


「ここは、静かな森の小屋。あなたを拒むものは、だれもいません。


 心休まるまで、一緒に暮らしましょう。」


気付いたことですが、アイは独り言では砕けた口語、誰かと話すときには敬語を使うようです。


ともかく、そのアイの言葉に、ニーナはとてもとても喜びました。


居場所のなかった彼女の中に、唯一、心落ち着ける場所が出来たのですから。


それからというもの、森の小屋は賑やかになりました。


ニーナも最初は遠慮がちだったものの、だんだんと打ち明けて行き、とても明るく快活な女の子になりました。


元気に森を駆け回り、時にはアイのお手伝い、洗濯や掃除、料理などもするようになりました。


とてもうれしい限りです。


そんなある日、ニーナは街に買い出しに行った後、一人の男の子を連れてきました。


名前を、ケイト・トルクバートと言います。


白髪の、落ち着いた男の子でした。


ケイトは、夫婦仲が悪い家庭に生まれたようです。離婚の際、どちらが子供を引き取るかの押し付け合いが起こった末に、捨てられてしまったそうでした。


似たような境遇に、ニーナはいてもたってもいられなくなったそうです。アイはケイトに、これから一緒に暮らしてはどうかと提案しました。


そして、また一人分、森がにぎやかになりました。


やがて月日がたち、ニーナとケイトは大人になりました。


アイはずっと身長が変わらないので、


「あっという間に追い越されちゃったね。」


なんて笑っていました。


そしてある日、二人は結婚したい、とアイに相談しました。


するとアイはにこやかに祝福し、二人のために結婚式を開いてみせました。


森の動物たちも参列し、とてもいい結婚式になりました。


結婚した後も、三人は何のしがらみもなく、仲良く暮らすことが出来ました。


しかし、そんな笑顔が生まれた後でも、やがてその時は来ます。


二人は、死んでしまったのです。


病死でした。ほぼ、同時に。


ベッドの中で静かに息を引き取りました。


二人とも、天使に連れていかれるような穏やかな顔でした。


アイは一晩ほど泣きじゃくりました。それはもう、痛々しく。


その後、アイはまだ夢の中にいるかのようにぼーっとした目でしたが、二人を土の中に埋めました。


アイは二人のお墓の前で目を覚ましたように再び涙を流すと、黄と白の、二輪の花を摘んできて、そっと置きました。


「人間だもん。いずれ死んでしまう。でも、それはあなたたちだって同じはず。私は笑顔であの人たちを送り出せたから、後悔なんてない。」


と、頬につたう涙を小さな手でぬぐいながら、動物たちに話しました。


アイに後悔がないと信じた動物は、一匹もいませんでした。






それからというもの、森はとても静かになりました。アイは、


「あちゃ、洗濯物とりこむの忘れちゃった。ねぇニーナ、洗濯物を……。」


こんなふうに、言ってしまうこともありました。


そのたびに、アイが悲しそうに顔を歪ませるのを、動物たちは心配そうに見ていました。






やがて時がたち、森の小屋に、また人がやってきました。


名を、セレナ・クレシレントと言います。


黒髪の、赤い目をした子でした。


セレナは、しきたりの厳しい村の村長の家で生まれました。


赤い目をしていたものですから、気味が悪いと殺されそうになったり、


珍しいと人身売買で売り払われそうにもなったそうです。


孤独な彼女を、アイはニーナやケイトと同じように受け入れ、共に楽しく過ごしました。


やがてセレナは大人になり、結婚し、二人と同じように幸せな家庭を築いて見せました。


そして、二人と同じように死んでしまいました。


アイはまた深く悲しみました。


泣いて泣いて、一晩ほどたつと、アイは二人を土に還し、赤と青の、二輪の花を摘み、そっと墓前に置きました。


また、アイは涙をぬぐいながら、小屋へ一人で戻っていきました。


こんなことが、何回も、何回も続きました。


ざっと数えて、三百年くらい。






……ねぇ、またあの子が悲しんでいるの。


助けてあげて。


あの子の苦しみを、繰り返さないようにしてあげて。


見ていることしかできない、不甲斐ない私の代わりに。






ある日、森の動物の中でも飛びぬけて長く生きている動物たちは、森でいちばん大きな木の下で、アイについての話し合いの場を設けることにしました。


アイが、何度も何度も、涙を流しているからです。


苔の生えた静かな大樹の下で、会議は厳粛に始まりました。


千年生きたフクロウが悲しそうに議題を言います。


「また人間が来たら、またアイが悲しんでしまう。もういっそ、人間のこの森への立ち入りを、禁止するべきじゃないか。」


ざわざわと議場がどよめいて、疑問の言葉が口々にが交わされました。


万年生きたカメが、池から顔を出して悩ましく言います。


「けれど、アイは人間が来るたび今まで見せなかったような笑顔を見せるんだ。人間と会う度、彼女自身が成長しているようにも思う。はて、


人間の立ち入り禁止が、本当に彼女にとっての幸せになるかどうか…。」


動物たちは、う〜ん、と黙り込んでしまいました。


みんな、アイが大好きだからこそ、彼女の幸せについて、勝手に決めることが心苦しいからです。


結局、最後まで会議の結論は出ませんでした。


きっと、どれだけたっても、変わらないでしょう。












ある日のこと、アイはいつものように洗濯物を畳んでいました。


アイには最早呼吸のようなもの。慣れた手つきで服を畳んでいきます、


その速さ、実に毎秒二着。わお。


主婦が欲しがりそうな能力だなぁと思いながら、私は彼女に声をかけました。


「ねぇ、こんにちは。」


アイは少しびくっとしましたが、すぐ笑顔を取り戻して言いました。


「はい、こんにちは。道に迷っていしまいましたか?」


確かにこの森にはよく人が迷い込んできますが、私は違います。


白いワンピースの裾をお姫様よろしく持ち上げて、私は言いました。


「私は、この森で一番大きな木だよ。姿を見せるのは初めてだけれど。


 もう、見ているだけじゃいけないな、って思って。


…この森の、すべてを見てきたの。もちろん、あなたのことも。


 いきなり出てきてしまって、ごめんなさい。」


アイは、少し驚いたかのようにぽかんとしたけど、すぐに笑顔をお取り戻して、返してきました。


「これはこれは。私も動物たちも、いつもお世話になってます。


 憩いの場としても、森の恵みとしても。」


意外と、


「驚かないんだね。」


「いきなり自分の事を木だっていう変人が来たんだよ?


少しは拒絶してもおかしくないのに。」


私が言うと、アイは苦笑いしながら言いました。


「あなたが、白い長髪の可愛らしい女の子だったことには驚きましたけど。私みたいな人形がいるなら、森の精霊がいたって、おかしくないと思いまして。」


「さして、ご用件は一体何でしょう?」


私は、他人行儀のような敬語を続けるアイに、少しむっとしましたが、話の本腰を折るわけにもいかず、アイに聞きました。


アイの目を見て、はっきりと聞きます。


「あなたは、悲しくないの?」


アイは、可愛らしく首をかしげて返します。


「悲しい、……ですか?」


「うん、悲しくない?」


私は、遠い昔のことを目に浮かべながらゆっくり話し始めます。


「少し、長くなるけど始めるよ。


昔、あなたはあなた自身の、作り手の教授に連れられてここ


に来たでしょう?


青い眼に黒い髪の、冷たい雰囲気の人だった。


あなたと一緒に歩いていると、差が大きすぎて面白いくらい。


最初は、あんまり仲が良さそうじゃなかった。


意見がぶつかって、喧嘩して、またぶつかってを繰り返して。


気付いたら、親友みたいになってて、びっくりした。


そのあといくつか波乱が起きて、あなたたち二人は驚くような方法で乗り越えて。


気付いたら、相棒みたいにぴったりな二人になっていた。


でも、その教授が死んじゃった。


その時、あなたは、あなたじゃないみたいに悲しんで、叫び泣いてた。


私はとてもとても胸が痛くて、苦しかった。


百年くらいたって、あなたが教授の死から立ち直ったと思ったら、


今度はニーナちゃんが来たよね。


あなたは、教授がいたときのようまた笑って、幸せそうにしてた。 


私も久しぶりに楽しさを思い出した。 


でも、またあなたの親友は死んだ。


あなたは、私に寄りかかりながら、苦しそうに声を上げて泣いてた。


その次も、その次も、その次もその次もその次も!


あなたはずっと泣いてた!


とても仲の良い親友を作って、楽しい時間を過ごしても、あなたはその分だけ悲しんだ。


あなたはこれを繰り返すの?


私はとても見ていられなかった!


繰り返すだけの喜びと悲しみに、一体何の意味があるの? 


私はあなたが自分で傷つき続けているようにしか見えない。


これ以上、あなたが泣くバッドエンドは見ていられない。 


ずっと見てきたから、もう見たくはない。


森の動物たちも、あなたの幸せを願ってた。


もっと、自分を大事にしてほしいの。


…まだまだ、あなたはずっと長く生きるんだから。」


私が考えを吐き出すように話し終えると、アイは静かに、優しそうに目


を細め微笑みました。


そしてしっかりと私を見据えて、親が子に語るように、話し始めました。


「………。私の笑顔を、覚えていますか?」


私は、アイの言っている意味が分からずに、数秒、アイを見つめ続けま


した。


するとアイは、にかっと笑って見せ、言いました。


「私の笑い方は、ニーナによく似ているんです。よーく、口角を上げて笑う、あの子の笑い方に。


 …ほかにも、こんなことがあるんです。


 洗濯物の畳み方は、セレナにおかしな畳み方を教えてもらったんです。おかげで、私の畳み方も遅くなっちゃいました。


 それでも、何故か悪い気はしません。


 他にも、お花の飾り方とか、掃除の順番とか、子供のあやし方とか、


かけっこの走り方とか、ありがとうの言い方とか、……。


あの子たちの面影が、みんなの面影が、私の中にあるんです。


 ひとりひとり違うものが、幾重も積み重なってるんです。


「……私は、何度も見てきたんです。


この小屋に人が来て、寝て、ご飯食べて、結婚して幸せな家庭を築いて、みんなをで馬鹿話して、いつまでも一緒だよって言って。


そして死んでいく。


また小屋に人が来て、寝て、ご飯食べて、結婚して、今度は子供も生んで、みんなで馬鹿話をして、親が死んで、子供と寄り添って生きて、


またみんな死んでいく。


 でも、私の中に、何かが残るんです。皆の生きた証みたいなものが。


 私が生きてきたのは、繰り返しのようだけど、そうじゃないんです。


一針一針縫うように、一組一組編むように、


繰り返しながらも、


雪のように降り積もって、一生溶けない私の中の思い出になる。


意味がないなんて言わないでください。


私の軌跡を。


みんなの軌跡を。」


アイは話し終えると、一息置いて私の方を向きました。


「あなたは、きっとずっと、命を知らなかったんでしょう?」


話が終わって少しの間、私は呆然としていました。


木の魂として生まれた私は、生まれたころからずっと一人でした。


干渉せずにいると、見ているだけであるのが木の誇りだと、信じて過ごしていました。


でも、だから。


だから、見えなかった。


彼女らの中にあった繋がりや、絆みたいなものが。


それは触れないと、干渉しないと見えるわけがなかった。


鑑賞しているだけじゃわかるわけがなかった。


どんな悲しみも、楽しみも、何のためにそこにあったのか、彼女は知っている。


彼女はいつまでも感じ続けている。


…木の誇りなんて、どこにあったのでしょうか?


ただ狭い世界に閉じこもっていただけなんて、滑稽にすら思えます。


きっと今の私は、爽快感と敗北感の入り混じった、なんとも言えないような顔をしているのでしょう。


しかし、長らく気づけなかったことに気づけたことの嬉しさと爽快感の方がいいということは、間違いないでしょう。


私は、降参のしるしに一言、聞きました。


「あなたは、一体どういうプログラムで動いているの?」


すると、アイは人差し指を唇の前にあてると、微笑んで、


こう言いました。


「それは、企業秘密ですよ。」


と可愛らしく言いました。


一体誰の面影による行動なのでしょうか…?


アイの意外な一面に仰天していると、遠くから、何か走ってくるような音が聞こえました。


見ると、動物たちがこちらに向かって一直線に駆けてきています。


私たちの会話を、聞いていたのでしょうか。


動物たちはアイにかけ寄ると、口々に感動の言葉を投げかけていきました。


私には聞こえても、彼女には聞こえないようです。


ですが、アイは笑って動物たちとじゃれ合っています。


私にはなぜか、今まで来た子供たちの、彼ら彼女らの影が、見えたようにも思えました。


アイも、周りのみんなも、笑顔です。


いつか、彼女らが笑えなくなっても、泣けなくなっても、それはきっと、残り続けるのでしょう。








昔々、あるところに、小さな小屋がありました。


その小屋は静かな森の中、一点だけ、太陽がやさしく差すようなところにありました。木々は照らされ優しい黄緑色に、花々は生き生きとしていて、蜂や蝶などが、良く集まっていました。


その小屋の主は、小さな小さな、十歳くらいの見た目の女の子で……。


彼女は今日も、いつか来る誰かのために、いつか来た誰かのために、


その小屋を守り続けています。













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