第二章

 通学が始まってからしばらく。

 溜まっていた課題や提出物を片付けた土曜。二週間ぶりに彼女を訪れた。

 受付で手続きを済ませ、独特の浮遊感と重力を感じた後に廊下へ出て、角を曲がり、突き当りまで。

 病室まで来ると、窓際に花が飾られているのが見えた。花と、草?

「あ、来た」

 まるで僕の気配を感じ取ったかのように振り向きながらそういう。

「こんにちは。それは、何の花? 薔薇と……」

 ベッド脇のパイプ椅子に向かいながら聞く。

「これ? これはね――」

 そういいながら花瓶を持ち上げる。

「こっちの黄色い花が、アネモネ。この青い花は、ネモフィラ。そしてこれは、雑草じゃないわ。アイビーっていうの。蔓の一種よ。全部、造花だけどね……」

 一つ一つ、指をさして教えてくれる。

「私ね、花が好きなの。香りも、色も、形も、――花言葉も」

「花言葉……」

「同じ花でも、色の違いで全く違う意味になったりもするのよ。有名なものだと、薔薇とかかしら」

「薔薇? どんな花言葉なの?」

「そうね、例えば、赤い薔薇の花言葉は『愛情』や『情熱』、青い薔薇だと『夢が叶う』、『奇跡』それと、『不可能』」

「青い薔薇だけでも、全然違うね……?」

「確かに、そうね。でも、面白いでしょ?」

「面白くはあるけど」

「あら、なに? 嫌いかしら」

「そんな事ないけど……」

「嘘よ、気にしないで」

 朗らかに笑いながら言う彼女の姿は茜色によく映えて。

「……私ね、花言葉が好きなの」

 そういう彼女の顔はどこか物憂げで、夕焼けに溶けて逝くようだった。


 ***


 それからまたしばらくして。

 課題や試験で忙しくしている内に、一か月が経とうとしていた。

 その間も、僕の頭にはずっと彼女が居て、最後の表情と、屋上でみた笑った顔が交互に反響していた。

 試験が終わり、課題も落ち着いた頃合いに彼女のもとを訪れる。

 訪れて、顔に出す。

「……見られちゃった」

 こちらを見やった刹那の嬉しそうな表情はほうと消え、代わりにその空きを哀しみが満たしていく。

「大丈夫なの……?」

 そう聞くのがやっとだった。

 そう思うのがやっとだった。

 だって、彼女は見るからに瘦せ、元々細かった腕は軽く掴んだら折れてしまうんじゃあなかろうかと思われるほどに、細く、弱弱しくなっていた。

 そこから伸びている二本の管が、更に分岐して四本になり、液体を迎えている。

「……今は、大丈夫」

「そっか……」

 思考が定まらない。

 だが、直感だけは確かだ。

 きっと、彼女は近いうちに死ぬのだろう。

 僕の輝きは、終演のカウントダウンが始まったようだ。

 カーテンコールすらも、許されないほどの――。


 その日は、何を話したかも覚えていない。

 ただ、彼女のその姿だけが、脳を支配し、脳漿の代わりと為ったようだった。

 帰りに、花を一輪買った。

 造花でなく、生の花を買ったのは、彼女の灯を花の枯れるまでにしているようで嫌だったが、でも、買った。

 どうしても、彼女に送りたくなった。

 それが、彼女にどう思わせるかも考えなかった訳じゃない。けど、考えたくなかった。

 どこまで行っても、これはエゴで、なんならただのクズだ。

 やっていることは、ただの自己満足であり、見様に依っては一種の自慰行為の類ですらあるやも知れない。

「この花の花言葉は、なんだろう。きっと、教えてくれるだろうか」

 家に着く。

 花瓶が無かったから、少し長めのコップに水を入れ、花屋でもらった薬液を入れて混ぜてから花を挿す。

「これで、いいのかな」

 生活感にそぐわない一輪の花が、そこにある。

 部屋で存在の浮いているそれは、今にも消え逝きそうな不確かさでそこに在る。

「おやすみ」

 花に挨拶をするのは、どこか変な感じだった。部屋の電気を消し、ベッドに潜る。

「あと、どれだけ会えるだろうか」

 そんなことを朧気に考えながら、微睡む意識に身を任せ、闇に溶けた。

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さよならの花を君に咲かそう。 葉月咲 @HazukiSaki

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