第4話 裂け目の予兆
王都を後にしたアストは、静かにトリグノアへの帰路をたどっていた。
街道の風は少し冷たく、午後の陽射しは木々の間から細く差し込んでいる。 時折、鳥のさえずりや風に揺れる葉音が耳をくすぐり、静かな時間が流れていた。
元パーティー〈ブレイヴ・ファング〉の面々を目にした衝撃は、まだ胸の奥で燻っていた。
彼らは今、確実に何かを抱えている。
互いの齟齬。 連携の崩壊。 そして、誰にも頼れずにいるような、孤立した空気。
あの頃は違った。
討伐前には自然と役割分担が決まり、戦闘中は言葉を交わさずとも意思が通じた。 誰かが無茶をすれば誰かがカバーし、リオナの指示が遅れれば、アストが陰から動きを整えていた。 その滑らかな連携こそが、〈ブレイヴ・ファング〉がS級と呼ばれる理由だった。
(俺が、かつて補っていたものだ)
アストは一歩ずつ、足元を見ながら進んでいた。 踏みしめる土の感触が、やけに遠く感じられる。
見上げる空は青く、どこまでも広がっているはずなのに、視界の端はどこか霞んでいるように思えた。
胸の奥に、得体の知れない焦燥が残っていた。 放っておけば、いずれあのパーティーは──
──放ってはおけない。
心がそう呟く。
だが、声をかけることもできなかった。 もう、自分は彼らの仲間ではない。 あの場所に戻る資格はないし、戻るつもりもなかった。
それでも、見守ることならできる。 遠くから彼らの安全を確認し、必要があれば陰から手を伸ばす。
それが、陰の支援者としての今の自分にできる唯一の選択だと、アストは思っていた。
数日後、アストはトリグノアに戻っていた。
帰還したその朝、町の空気はどこか穏やかだった。 広場では果物商が陽気な声を上げ、子どもたちが路地を駆け回っている。 小鳥のさえずりと共に、パン屋の焼きたての香りが漂ってきた。 けれど、アストの心は晴れなかった。
ギルドの扉を開けると、見慣れた空間が出迎える。 カウンターの向こうには、いつものようにリネアが立っていた。
「あっ、アストさん。おかえりなさい」
彼女の笑顔に少し救われる思いがした。
「……ただいま」
短く返しながらも、その言葉に自分でも驚く。 “帰ってきた”という感覚。 王都から離れたこの場所に、自然と心が戻ってくる自分がいた。
ギルドの奥では、他の冒険者たちが依頼を選んでいた。 剣を背負った若者が依頼掲示板の前で仲間と相談している。 魔導書を抱えた女性は、受付で依頼内容の詳細を静かに確認していた。 ペアで喧嘩しながら話す二人組は、どちらが先に依頼に気づいたかで揉めているようだが、どこか楽しげでもあった。
床には少し土埃が舞い、窓の外では陽光が揺れている。 アストはその光景を、ひとつの物語の断片のように眺めていた。 どれも平和な日常の風景だった。
カウンターではリネアが何かを記録していたが、アストを見ると手を止めた。
「王都はどうでしたか?」
「……特別なことはなかった。強いて言えば……少しだけ、思い出した」
「思い出した?」
「昔の自分。昔の……仲間たちのことを」
その言葉にリネアは少しだけ表情を曇らせたが、すぐに小さく頷いた。
「無理しないでくださいね。トリグノアにいる間くらい、ちゃんと休んでいいんですよ」
「……ああ、ありがとう」
王都での出来事や元パーティーとの再会については、誰にも話していない。 語ったところで理解されるとも思っていなかったし、語ること自体が、過去を掘り返すようで気が重かった。
だからアストは、いつも通りにギルドに顔を出し、依頼をこなし、必要とされることだけを黙々と続けていた。 淡々とした日々の中で、心のどこかにぽっかりと空いた穴の存在を感じながら、それでも手を止めることはしなかった。
だがその胸の奥では、ずっと考えが渦巻いていた。
(あれは一時的なものか? それとも、もっと深刻な綻びか……)
そんなある日、リネアがふと話しかけてくる。
「最近、変わった噂を聞いたんです」
「噂?」
「はい。子爵領の方で、妙な宗教団体が活動を活発化させてるって……巡回してる冒険者が、何人か行方不明にもなってるとか」
アストの眉が、かすかに動いた。
「詳しいことはまだ分かってないみたいですが、ギルド本部も一応情報収集中みたいです。だから、もし何かおかしなことに気づいたら教えてくださいね」
「……分かった」
情報の断片が、ゆっくりと脳内で結びついていく。
子爵領──王都から見て辺境の統治区域。 地理的には山と森に囲まれ、密林の奥には未調査領域も多い。 かつて魔族の活動が散発的に記録された地でもある。
表立って動きがある地域ではなかったはずだ。 だからこそ、何かが“芽吹いている”としたら……
子爵領。 冒険者の失踪。 不可解な活動。
──まさか、あいつら……
アストの脳裏に、あのすれ違った仲間たちの姿が浮かぶ。 ぎくしゃくした足取り。 交わされる声の棘。 まとまりを失った視線。
彼らがもし、子爵領へ向かっていたとしたら? この不穏な情報と、偶然にしては重なりすぎている。
再び彼らが大きな過ちを犯す前に、何かできることがあるかもしれない。
アストは静かに拳を握りしめた。
「……放ってはおけない、か」
呟いた声は誰にも届かない。 だが、その目には確かな意志が宿っていた。
陰からの支援は、すでに始まっていた。
空の青さの中に、わずかな不穏な影が差し始めていた。
翌日、アストは街の広場を歩いていた。 パン屋の前では行列ができ、露店では雑貨や旅装が並べられている。 何気ない日常の風景──だが、アストの耳は周囲の話に自然と集中していた。
「最近、北の街道で獣の動きが活発になってきてるらしいよ」 「また? こないだも冒険者が襲われたって聞いたけど……」 「うん、噂だけど、妙な連中が森に出入りしてるって話もある」
断片的な言葉。 それらがまるで小さな糸のように、アストの中で絡み合っていく。
ギルドに戻った後も、アストは掲示板をぼんやりと見つめていた。 依頼は日用品の護衛、薬草採取、獣退治──どれもありふれた内容。 だがその中に一つだけ、地味な文言が混じっていた。
《子爵領南部・街道付近での定期調査同行者募集》
依頼内容は「街道沿いの環境・魔物の変化を記録する」こと。 報酬は高くない。危険度も“中”と記載されていた。
しかし、アストの目はその依頼に留まっていた。
(地味だが、確実に情報に近づける)
ふと、リネアが背後から声をかけてきた。
「その依頼、気になりますか?」
「……ああ。子爵領、ってのが引っかかる」
「やっぱり。あの噂、気にしてるんですね」
アストは軽く頷いた。
「行ってくるよ。地味な仕事でも、今の俺にはちょうどいい」
「……わかりました。無理はしないでくださいね」
リネアの声には、わずかな不安と、確かな信頼が混じっていた。
その夜、アストは地図を広げ、街道の地形や中継地点を確認していた。 街の明かりが窓から差し込むなか、彼は静かに呟いた。
「今度は──失敗させない」
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