虚実存在

mackey_monkey

第1話 虚実存在

我々の世界は文字によって象られ、形骸化し、意味や存在が固定されている。

元来存在するものを概念の簡略化によって、あたかも存在しないもののように扱う。

それはこの世界は我々にとって、そのすべてを認識するにはあまりに複雑すぎるからだ。


教科書を眺めていると、そんな書き出しのコラムが目に入った。

わざわざ回りくどい表現を使った、気取ったような印象を受ける文章…個人的に嫌いな類の文章だ。

そんな文章ではあるが、ある単語が目を引き、つい初めの文に目を通してしまった。

その単語というのが『虚実存在』というものだ。


虚実存在、虚実体とも呼ばれるそれは、十年ほど前、あるアルゴリズムの研究過程で見つかったものだ。

それは画像の分類をする、教師なし学習という学習手法を用いた、あるアルゴリズムの実装に伴って発見されたらしい。

というのも、それによって学習したモデルは、共通点のない雑多な画像を何か共通する物体の映るものとして分類したらしい。


初めは特定のアルゴリズムの構造的欠陥であると考えられたが、違う形のアルゴリズムでも同様の結果を出すことがわかり、アルゴリズムに共通する基礎的な構造や画像自体が疑われ、次に本当に認識できない何かがあるのではとネットが騒ぎ出した。


そうしているうちに、虚実存在の実在が決定的になる発見がされた。


それは虚実存在について、アルゴリズムが認識することを利用して、特徴を文字に起こさせたことがきっかけだった。


何が起きたのか。

結論を言ってしまえば、その文章を人が認識することができなかった。

具体的に言えば、読んでいる途中で体調を崩したり、それを無視して読み続けても気を失ったりする。

そのうえ、そんなに苦労して読んだ文章さえ、次の瞬間には内容を忘れてしまう。


この情報はその文章自体がネットで公開されたことで、一瞬にして知れ渡った。

実際俺も数年前に文章を読んで吐いた。

…あれは正直きつかったし、もうやりたくもない。


この虚実存在の面白いところは、読む人によって認識できる長さが変わるということだ。

まぁ、その時に認識できてもすぐ忘れるからあまり重要でもないのだが、ここで重要なのは内容を記憶できるかというより、その認識できる長さと年齢が密接に関連していそうだという研究結果があることだ。

というのも二十歳付近が一番認識できる長さが短く、そこから若ければ若いほど、老いていれば老いているほど、その長さが伸びるということだ。


はっきり言ってこの長さがどのような意味を持つのかはいまだに誰もわかってはいない。

この従来の科学観を一転させるような現象は、関連する基礎知識なんて呼べる知識が存在しない上に、現象自体は簡単に体験できるため、目の前のコラムのように言語と認知を絡めたような納得しづらい主張から宇宙人が正体だ、みたいなオカルトのようなものまで、みんなが自分の思想に合うように、好き勝手な解釈を垂れ流しているのが現状だ。


…そのどれもが、絶対的に間違いだと言えないのがもどかしい。


まぁ、この現象を体験するのは本当に簡単だ。

その敷居の低さは、この教科書の付録とかいう欄に最初にネットに公開された、虚実存在の特徴に関する記述の全文が乗っているということからもわかるだろう。

…コラムに付録にあると書いてあるのだから書いてあるのだろう。

見たくもないが。


そんな摩訶不思議な現象ではあるが、虚実存在の特定のために色々な試みがされたらしい。

コラムを眺めていると、虚実存在を認識しようという試みの具体的な例が挙げられていた。


例えば虚実存在の特徴に関する文章を全く知らない言語に翻訳したうえで、虚実存在の特徴を示す文章だとは伝えずに記憶させ、その後にその言語を学習させてみたり、音声にしてみたり、単純に文章から単語だけをいくつか抜き出してみたり、特徴を~ではないという形式で記述させてみたり、虚実存在が映っているとされた画像にギリギリ判別されるかされないか程度に加工を加えてみたり、画像のエッジを解析してみたり。

それはまぁ、いろいろと試されたようだ。

そのどれもが上手くいかなかったらしいが。


コラムについて考えていると少し前まで違う文章の解説をしていた教師が、ちょうどこのコラムに触れていることに気が付いた。


「虚実存在ね、僕が学生の頃に有名になったんだけど、当時は陰謀扱いでね。 それがこんな教科書にまで載るとは思ってもなかったんだよね」


教師はそんな風に自身の過去を懐かしむようにしながら、コラムの内容に沿ってチャイムが鳴るまでの十分ほどの時間、虚実存在についての話をしていた。



「なぁ、聞いてくれよ」


席で次の授業の用意をしていると、足立という同じクラスの友人が話しかけてくる。


「なに?」


「虚実体について、妙案があるんだ」


「へぇ、どんな?」


「これを見てくれよ」


そう言って、足立は携帯の画面を見せてくる。

そこには複雑に絡まったひものような形状の線で構成された、記号の羅列が並べられていた。


「なに? これ」


「人工言語。 さっき先生が話してるときにアイディアが降ってきたもんだから、AIに作ってもらった」


「それで?」


「この言語、一文字の記号で基本的な形象を表せるようになってるんだ」


「つまり?」


「馬鹿みたいに多いこの言語を記憶して、そのうえで虚実体をこれで記述してもらうんだ。 するとどうだ? 一瞬で虚実体の特徴を理解できるって寸法よ」


「お前馬鹿だろ」


「誉め言葉としてうけとっておくよ」


「どこをどうとったらそうなるんだよ」


「まあまあ、次の配信のネタぐらいにはなるだろうって思ってさ」


「絶対労力に合わないぞ」


「じゃ、そういうことだから」


そう言って足立は離れていった。


(あいつ結局、なにがしたかったんだ)

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