第11話 三匹と三体の
影の精は肩に乗ったまま、微動だにしない。相当疲れたのだろうか? 陸に上がらず、しばらく川でのんびりすべきだったか……。
私は自転車に乗って、ゆっくり道を進む。なんだかひどく静かなサイクリングだ。
この世界に迷い込んでから、風が吹くのを感じない。
川のせせらぎに違和感があり、土の匂いもどこか違う。
そういう風土である可能性を視野に入れつつ、影の精が肩から落ちないようにそっと進んでいると、三つの小屋が見えてきた。
レンガと木と藁の小屋だ。
これは……狼注意報かな?
あたりを警戒しながら迂回しようとしたけれど少し遅かった。
どうやら、気づける距離に踏み込んでしまった時点で引き返すには手遅れらしい。
オオカミが森から飛び出し、小屋より先に私たちへと襲い掛かってきた。
影ちゃんは寝てるし、自転車を思いきり漕いで回避できるかな?
考えるころには体が動いて反応していた。
影の精を片手で支えながら体を傾けて一撃目を避け、ペダルを思いきり踏み抜きその場を去ろうとしていた。
しかし、オオカミの爪がタイヤに引っかかっていたらしく、そう長くもたないうちに走れなくなって追いつかれてしまった。
AIにもらったばかりの自転車が!
肩の影の精をかばいながらじゃどうにもできない。
影の精を近くの木の下にそっと置き、オオカミの猛攻をギリギリでかわしながら転がり、自転車に手を伸ばした。
あちこち擦り傷だらけの泥まみれだ。転がったときの打ち身も酷い。
汚くて痛いし不快すぎるけど、オオカミの爪と牙にやられるよりずっと良い。
爪か牙が当たれば、傷口に火が着いたような熱を感じ、止めどなく血が流れそうだ。
あまりの痛みに目がチカチカし、意識は飛びかけるだろう。そうなれば、あとはゆっくり肉を食いちぎられて終わりだ。
意識があるうちからじっくりと……。
それと比べたらこんなのへっちゃらだ。痛くもなんともない。生きたまま食われるよりましだ。体の故障が一生続くとしても、苦しみながら惨たらしく死ぬよりずっといいだろう?
奴隷時代に培った思考を駆使して痛みを誤魔化し、ほどよく自分に恐怖を与える。
まずは最低の事態を想定する。次はそうならないための策を練りつつ比較する。あとは様々なイメージを広げて自分を奮い立たせる。
自転車を持ち上げ、かつて教わったバッティングの仕方を思い出しながらフルスイング。
無理して持ち上げたせいか、肩に鋭い痛みが走ったが、今は生きるか死ぬかの瀬戸際だ。気にしてはいられない。
「腕や手首を使うんじゃなくて、腰を回して打つんだよ」
私を売り飛ばした親の声が頭に響く。
大事なのかそうでないのか、はっきりして欲しかったな……。
死に物狂いで応戦しているのに、なぜか回想が頭をよぎる。これが走馬灯というやつか?
売り払われた記憶、自転車ごと溝に落ちてビンタされた瞬間、バッティングを教えてもらった思い出……浮かぶのは、親とのろくでもない思い出ばかりだ。
こんなこと思い出しながら人生の幕を下ろすのは嫌だ。
雑念だらけの頭で自転車を力いっぱい振り抜き、重たい反動、鈍い感触が腕から全身に伝わってくる。
これで決められてなかったら、あとはもう隙だらけだ。死ぬ。
考えながら苦笑した。
死にたくない……。せめてもう一度ユキに会いたい。
諦めないで、隙ができて反撃されても被害が最小限になるよう、振った後の自転車を引きずりながら後ろへピョンと飛んだけれど、オオカミはピクリとも動かなかった。
やったか?それとも殺ってしまったか?
気絶ですんでいるのを願いながら、恐る恐るオオカミの体を確認した。
泡を吹いて気絶しているだけで脈がある。
またいつ襲われるかわからないけれど、お互い死なずにすんでホッと胸を撫で下ろした。
良かった……。
影の精を拾いに木の下を見ると、気持ち良さそうにすやすや寝ていて、見ていると顔が緩んだ。
影の精をゆっくり休ませるためにも、しばらくここでゆっくりしようと思ったそのときだ。
小屋から豚が三匹、こちらに向かって歩いてくるではないか。
絵本と違った展開だな。オオカミを倒してしまったからかな?
なんとなく、気絶したオオカミを見られないよう茂みに隠し、私も影の精を抱えて茂みに隠れようとしたけれど豚たちに見つかってしまった。
「待ってください。もしかして旅のお方ですか?」
三匹の豚のうち、二匹はにやけたような顔でこちらを見ている。
偏見と先入観は良くないけれど、このにやけている二匹は藁と木の小屋の豚だと思ってしまった。
にやけずじっとこちらを見ている残りの一匹の豚は少し警戒心が強いようで、油断も隙もなさそうだ。
しっかりしてそうだ。きっとレンガの豚だろうな……。
偏見も先入観もよくない。それはちゃんとわかっているけれど、顔つきや態度だけでなんとなく決めつけてしまった自分に苦笑した。
どうしてもなくせない問題ってやつだな。偏見や先入観があると自覚をもった上で、あとはどのように付き合って振る舞うかだ。
観察して考えを巡らしながら、豚たちからの質問にどう答えるか悩んだ。
素直に答えるか、はぐらかしながら本当のことを言うか……。それとも、誤解されやすく、都合よく解釈されそうな言い回しをするか。とりあえず無難にいくか。
ここは無難にいくべきかな?
「そうなんですよー。目的地を目指してまっしぐらだったんですが、どうやら迷ってしまったようで」
何一つ嘘はついていない。
あとはこいつらがどう解釈するかによって流れが変わる。
「それはお気の毒に。良ければうちへ泊まっていきませんか?」
「まだお若くて見目麗しいのに苦労されてるんですね。とても立派そうです」
豚たち……にやついてて少し嫌な印象の豚二匹は、私にとって都合の良い方に解釈して話を進めてくれたので、ほっと胸を撫で下ろした。
残りの一匹は少し首を傾げつつも、少し哀れむような目をこちらに向けている。
哀れんで欲しくて言ったわけではないのだが、深く質問してこないのはありがたい。
違う世界の、月も太陽も星もある世界からきました。ここはあっちで童話として親しまれている世界によく似ているなんて言ったらどうなることやら。
ひとつも想像できない未知の領域。対策を練れないし先を読むのすら難しい。
にしても、やたら褒められる場合は警戒するに越したことはない。
経験談として、褒められたら次に来るのは面倒ごとの押し付けだ。
他にはお金目当て、名誉目当て、仕事がもらえる……その他もろもろ。
やたら褒めちぎってくるやつは、たいてい何か裏がある。心から褒めてくれる場合もあるけど、そんなのはほんの一握りだ。
頭にユキの顔が浮かんでくる。
ユキが褒めてくれたなら、警戒しないで心から嬉しく思えただろうな。
ユキ……また会いたい。
そのためにも、今目の前にある出来事を回避するか乗り越えるかしなければ。
「泊まるのはよしておきます。私はさほど苦労をしておらず、立派でもなんでもございません。先を急ぐのでこれにて……」
豚たちの顔を見ないよう、目を伏せたまま言い終え、そそくさと去った。
レンガの豚らしきやつから刺さるような視線が向いているのに気づいたけれど知らんぷり。
しばらくの間、パンクだけでなく、ひん曲がって乗れなくなった自転車を担いで歩いていると、後ろから豚の悲鳴が聞こえてきた。
振り返ると、茂みに隠したオオカミが豚たちに見つかっていた。
「た、たいへんだ!オオカミがこんなところで寝ているぞ!」
「食べられる前に始末しよう!」
対策をとるのは懸命だけれど、まだなにもされていないのに殺すとはどういうことか。
さっきオオカミに襲われ、殺されかけたとはいえ、見過ごすことはできなかった。
でも、何て言って庇おうか?
必死に考えたけれど、結果はどれも悪党に徹する一択だった。
「おい、豚ども。そいつは私のペットだ。殺すということは私を敵に回すことになるぞ」
豚たちは動きを止めてこちらを見ている。
「へへっ。何言ってるんですか?旅の人。こいつはここいらじゃ有名な悪のオオカミですよ?」
「旅人のあなたが飼ってるオオカミは違うオオカミですよ。でないと、こんな茂みに置き去りにして立ち去ろうとなんてしないでしょ?」
藁と木の豚はヘラヘラ笑いながらこちらに歩き、口を開いたけれど、レンガ豚はオオカミとも私とも一定の距離を置いて様子を見ている。食えねえやつだな。いろんな意味で。
「さっき知り合って意気投合したんだけど、ひょんなことで喧嘩しちゃって。命懸けの決闘を終えたところなんだ。みてくれ、この相棒を」
豚たちに語りかけ、担いでいた自転車をわざと乱暴に地面に置いて見せつけた。
ついでにアザだらけ擦り傷だらけなのも見せるか迷って、結局やめた。
「これが私たちの拳で語り合った証だ」
言い終えてからボソッと「拳じゃないけど」と言ったけれど、豚たちはひん曲がった自転車と、のびてるオオカミを交互に見て大騒ぎしていた。
「えっ。まさか本当に?」
「オオカミを手懐けるなんて、是非うちに招待したい」
間一髪で当たりどころが良かったから生き延びただけなんだけどね。
しかし、素直に話せばオオカミがどうなることやら。
オオカミに死んで欲しくないから、誇張と脚色を駆使するしか選択肢がなかった。
その上、このままオオカミを置き去りにすれば、絶交したから私の友人として扱われなくなる可能性が高い。
さて、どうお話を続けるか……。
「少しやりすぎてしまったようなので、水でも探しに行こうと思っていたのです。あなたたちさえ良ければ、オオカミも一緒に一泊させていただけると安心できるのですが」
どうしても家に招こうとしてくる木の豚らしきやつが鬱陶しいから、嫌がるだろう選択肢を提示した。
ここから立ち去ろうとしていた言い訳も、水を探そうとしていたって話でなんとかなるはずだ。
これならきっと、怪しまれない上に放っておいてもらえるはずだ。
しかし、意外にも口を開いたのはレンガの豚だった。
「うちに泊まりませんか?うちはしっかりしてるし広いですよ。お水もご用意できます」
他の二匹の豚はレンガの豚を青ざめた顔で驚きながら見つめている。
「やめようぜ!」
「あのオオカミだぞ!食われるぞ!それに、俺たちの食事が……」
レンガの豚は他の二匹に構わず、一番離れた立ち位置から一番近くまで歩み出た。
「是非うちにきてください」
この子にはこの子の事情があるようだ。
人ではなく豚相手ではあるが、見た目や雰囲気で決めつけるのは良くないと思いながらも、他の二匹の豚は嫌な感じがする。
だが、この子は賢そうだし警戒心も強そうな豚だ。
それに、なんとなく苦労してそうだから気が合いそうだし、オオカミがいても良いというのだから聞き返してみた。
「本当にオオカミいて良いの?大丈夫?」
レンガの豚は後ろにいる二匹の豚をちらっと振り返ってから頷いた。
「ぜひ」
仲が悪いのかな?じゃあお言葉に甘えて……。
「お邪魔します!」
元気に返事をすると、レンガの豚はにっこり笑ってオオカミを運ぶ手伝いをしてくれた。
他の二匹の豚はヒソヒソ相談し合いながら困った顔をしている。
二匹の豚は警戒しておかねばならなさそうだな。
興味ないフリをしながら、目を向けないで様子を探って出した結論だった。
決めつけ通り、泊まらせてくれると言ってくれた豚は、レンガの家に住む豚だった。
それはさておき、オオカミは運ばれ終わってしばらくしても目を覚まさなかった。
相当強く殴っちゃったからなあ……。
そうしてまた、売り飛ばしてきた親の言葉が頭に流れてくるのだった。
「相手に加減できるのは力の差があるからだ」
確か、三節棍のお話が出てくるビデオを一緒に観ていたときに教えてくれたんだったか。
私は普段土いじりしてあとはぐうたらした暮らしをしているから筋力はほとんどないだろう。だから加減も何もできなくて、こんな風に思いきり振り抜くことしかできなかった。
自分がつけたオオカミの傷を手当てし、できる限り冷やして看病した。
ほんとごめん……。
心の中で謝りながら、他に何かできないか、考えられる最悪の事態はないか、ない頭を一生懸命働かせた。
ド素人で医術を修めてないからたいしたことをしてやれなくてもどかしい。
医者になっていたらなにか違ったのだろうか?なんて、たまに考えるけれど、私には医者なんて無理だ。責任が重すぎる。人の命を預かる器がない。
ただ、祈りと願いを込めながら看病して手当をするだけだった。
魔法さえ使えたら……。
魔法にどれだけ依存していたのか、魔法が使えない環境に閉じ込められてから思い知らされ続けている。
魔法抜きでも生き延びられる手段は多少あるけれど、何度か危なかった。
オオカミにつきっきりで影の精の様子を見れなかったけれど、影の精は大丈夫なのだろうか?
心配しながら目をやると、まだぐっすり眠っている。
影の精が姿を変えるのが実は相当でかい負担だったのではないかと思わされた。
私は影の精じゃないからどれくらい大変なことなのかちっともわからないし、どれだけ無理しているのか気づいてやれない。わかろうとしてもわかりきることなんてきっとできないけど、知ろうとすることはできる。
いつも平気そうだったから気づいてやれなかった。きっととても疲れることだったんだって、今回の旅でようやく気づいてやることができた。
こうなる前に、少しでも気づいてやれていたら、違ったかもしれないのに……。
健気についてきて守ってくれた小さな騎士をそっと優しく撫でると、少し幸せそうな顔になってくれたように見えた。
一人でも大丈夫だって安心させてやるのが一番良さそうだね。
オオカミと影の精を一緒に気にかけていると、レンガの豚くんがご飯を用意して持ってきてくれた。
豚くんが言うには、畑でとれたニンジンを使ったスープだそうな。
「まだどちらも目を覚まさないんですね?知り合って間もないので任せてもらえないかもしれませんが、僕が代わりに様子を見るのでゆっくり休まれてはどうでしょう?」
豚くんの優しい申し出に甘えるかどうか悩んだ末に、首を横に振った。
「配慮も申し出もとてもありがたく思います」
もしオオカミだけが目を覚ましたら大変なことになる。だってペットって嘘だもん……。オオカミが一緒でも泊めてくれるって言ってくれた上に、スープまで出してくれた親切な豚くんがどんな目に遭うことか……。
嘘も方便とはよく言ったものだけれど、嘘をつくと後が大変だ。なるべくつかずにすむに越したことはない。
でも、信頼よりも苦労する未来よりも、今目の前にある命の方が大事だからね。だからこそ、言葉に甘えて休むわけにはいかない。これは嘘ついた代償の一つだ。
豚くんが笑ってくれたように見えたけれど、一瞬すぎて自信を持てなかった。
「無理はしないようにしてくださいね」
返事をしようと思ったけれど、ひきつった笑みを浮かべながら会釈しかできなかった。
いつも周りに無理も無茶もしないようお願いしてるくせに、いつの間にか無理も無茶もしちゃっている自分に苦笑した。
こんなんじゃ人のこと言えないんだよな。
しばらくして、気力も体力も限界に達したのか船を漕ぎ始めていた頃、影の精が目を覚まし、あたふた様子で私に飛びついてきた。
言葉も何もなかったけれど、影の精が言いたいことがなんとなく分かった気がする。
私が居眠りしてしまって遅刻した時、失敗して大慌てしたときのような反応だったので、思わず大笑いしながら抱きしめてしまった。
影の精は一生懸命ぺこぺこしていたけれど、抱きしめた上に撫でて大喜びした様子を見せたら安心したようににっこりと笑って、あとは照れたのか両手で顔を覆ってしまった。
よし、これでちょっと休めるかも……。
自分の家だったら他にロボットや精霊たちがいるから、ここまで無茶して面倒見れずに、すぐ気絶するように寝ちゃってたろうな。
影の精にオオカミと豚の事情を簡単に耳打ちすると、気絶するように倒れ込んで目の前が真っ暗になった。
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