ゴミ処理はお早めに。

第1話

 ちかごろ、配信界隈では思考実験ゲームが流行っている。

 あらゆる配信者が【思考実験場α】という五〇〇円のゲームを購入し、一時間から二時間の時間をかけて配信するのだ。

視聴者たちはそれを娯楽として消費し、配信者を解釈した。中にはSNSに複数配信者の答えをまとめて投稿するなど、熱意ある視聴者もちらほらといる。

 こういったゲームは形態を違えて度々流行してきた。

 【思考実験場α】だってその一種だ。暴走したトロッコや、形をそのままに綺麗になった船、薬を飲まされた瀕死の親子などがデフォルメされたイラストで表示され、プレイヤーは【被検体】になりきってゲームを進めていく。

 ただ、このゲームはプレイヤーが決まった行動を取るのではなく、オープンワールドのように【被検体】を自由に操れるという特徴があった。

 そして、心のままに動かしたアバターからプレイヤーの情報を読み取り、たまに【被検体】が自発的に動き出すのだ。ゲームの紹介ページにはそれがプレイヤーの心情が如実に表れた行動とされているが、実際のところはプレイヤー本人しか知りえない。

 ただ、このゲームの特徴が、配信者の答え以外にもSNSで話題になる要素であっただけの話だ。


 さて、これを踏まえて、今の僕の現状を見てみましょう。

 目の前には地面から突き出た鉄のレバーがあり、その奥には等間隔に二本のレールが並んでいる。左手側に伸びていくレールは途中で二股に分かれ、片方はレールに服が絡まってしまった作業員がひとり、もう片方には縄で縛りつけられた作業員が五人転がされている。そして右手側に伸びるレールから、ガタンゴトンとブレーキが利かなくなったトロッコが猛スピードで走ってきている。

 いわゆる、トロッコ問題。

 それが今、僕の目の前にお出しされている。


「なんだあ、これ」


 場の緊迫感に反して、僕の口からはいかにも間抜けっぽい声がこぼれ出た。

 しかしそうなるのも仕方がない。

 だって、僕の足元には通常の線路らしくバラストと呼ばれる石が敷き詰められているのに、なぜか実験室のような薄汚れた白壁が四方を囲んでいるのだ。

 箱庭の中に、ポツンと線路があり、人が転がり、トロッコが走っている。

 ここはそんな違和感満載の場所なのだ。


『マイクテスト、マイクテスト。被検体№64113、調子はどうですか?』


 かすれた音声が頭上から聞こえて、分岐器のレバーに向いていた視線を上げる。

 正面の白壁の一部がガラス窓に変わっていた。そこから馴染みの研究員が見える。


「不調でも好調でもないよ」

『それは何より。今から貴方に№8034のプレイヤー情報をインストールします。準備は』

「できてると思う?」

『どうでしょうね。嫌ですか?』


 研究員は少し眉を顰め、心配そうに僕を見た。僕はそのまま研究員の目を見つめ、台本通りの言葉を紡ぐ。


「はじめていいよ」


 研究員は不器用な笑みを浮かべて、『はじめます。無理はしないように』と窓枠から姿を消した。いや、消したのではなく窓枠が元の白壁に戻っただけだ。これから僕は自分と向き合って、プレイヤーの考えを実行しなければならない。

 ふう、と深呼吸をひとつ。

 ――インストール、開始します。

冷たい電子音が聞こえると、まるで濁流の如き情報群が僕を飲み込んだ。



 〇 〇 〇



「よう坊主。元気か?」


 突然の呼びかけに、ぐいと曲がった猫背の巻き肩が思わず跳ねた。


「……っげ、げげ、げんき、です。元気、です」


 振り返ると、大剣を背負う馴染みの男が立っていた。上背のある身体で中腰をして、僕の頭上に影ができる。男はくい、と僕の着ていた病衣をつまむと、胸部に印字された【3】という数字を見て、少しだけ表情を曇らせる。それからぐっと背筋を伸ばし、僕の背をバンバンと叩いた。


「ははっ、こりゃあえらく陰気な奴をオトされたなあ!」


 男はどさりと無造作に胡坐をかいて座った。それから僕も膝に乗せられる。


「いつも変わりない坊主だったのになあ、ついに順番が回ってきたかあ」

「は、は、はい。と、トト、トロッコ、も、問題、で」

「なるほど、どっちを選んだ?」


 男は、売店で買ってきたらしいラスクを取り出して話を促す。


「し、し、死に、まし、た。ぼ、ぼ、僕が、死ん、じゃって……」

「はあはあ、つまり、作業員は両方とも助かったわけだ?」

「や、いや、ちが、って。僕、は、ち、小さい、から、止め、られなく、って。ろ、ろ、ろく、六人、死に、ました」


 この喋り方、ものすごく声が出にくい。

 声を出そうと思っても喉の奥につっかえて、思うように発声できないのだ。それに敬語だなんて柄じゃないのに、勝手に変換された言葉が声になる。

 僕にインストールされたプレイヤーがすごく腰の引けた人であることは分かったけれど、自分から発したものが他人のフィルターを通って外へ出力されるのは、やはり言葉にしがたい気持ち悪さがあった。


「この、こ、こ、この話し、方、聴きづ、ら、くない、で、ですか?」


 訊けば、男は溌剌とした笑顔を浮かべ、僕にラスクを手渡した。


「別に気にしやしねえ。いろんな話し方の奴らがいるんだ。異国語を話す奴とくらべりゃ圧倒的に聞きやすいぞ」

「そ、それは、あ、あ、ああ、あ、ありが、とう、ございます」


 がしがしと僕の頭を撫でると、男はラスクの袋を懐にしまった。それから僕の両脇に手を差し込み、一切の重さを感じさせない動きでひょいと持ち上げてくる。


「よぅし! 気晴らしに俺のワールドに行くか!」

「え、えっ!? あ、き、金〇、こっ、こ、小僧、さっ、ん!?」


 思わず男の名前――『金〇小僧100%』を口に出すと、男は眉を寄せて口に人差し指を立てた。


「俺の名前は秘密だって言っただろうが」

「ごっ、ごっ、ごめ、ごめんなさっ、い! わ、わざ、と、じゃない、です」

「わーってるよ」


 男――もとい金〇小僧さんは僕が口を開かないように、僕が手に持っていたラスクを取り上げて口に突っ込んでくる。

金〇小僧さんが好んで通っている売店は体の大きな人用のサイズで売られているようだから、ラスクのサイズだって僕が食べるパンより二回り以上大きい。

案の定、僕の口は咀嚼すらできないくらいパンパンに膨れた。


「じゃあ行くぞ!」


 金〇小僧さんは僕を肩に担ぐと、懐から水晶のついたペンダントを取り出す。それはいわゆる転移できる石、というものらしい。

 違うワールドにあるアイテムは人伝いに聞いたことがあるだけだから、実際に見るのは初めてでとても興味をひかれる。

 僕は慌ててラスクを噛み砕き、もごもご言いながらペンダントに手を伸ばす。


「ん? これ気になるか?」

「んんん、もごもご」


 言葉も出づらく、ラスクでもっと話せない。

 僕はぶんぶんと首を縦に振って首肯する。


「はははっ、あとでなら見せてやるから、今はちょっと待ちな!」


 金〇小僧さんは快活に笑って水晶を握りこむ。すると、水晶は淡く緑色に光り出して足元に魔法陣を描いた。時間が経つほどに魔法陣の光がぐんぐんと強まり――。


「んッ、んんん! んえわっ」


 ドンッ、と急に身体が揺れたかと思えば、エレベーターが下る時のような浮遊感が身を襲う。


「あッはははははあッ! いい反応だ坊主!」

「……きゅう」


 通常と違いすぎる非日常に、僕は思わず意識を手放した。



 〇 〇 〇



 世の中には大ヒットゲームがある。

 【思考実験場α】はそこそこのゲームだ。そこそこ人目をひく要素があって、そこそこの人が興味を持ったから結果的にそこそこの規模で流行したゲームだ。

 ぴょこぴょこと跳ねまわるドット絵がかわいらしいが、点の目が当たり前。イケメン風の研究員たちは白目がある人もいたけれど、被検体の僕なんかは画面を通せば目は点、髪は黒の短髪のどこにでもいる量産型。画面を通さずとも元がドット絵であるからか、解像度は荒い。

 だからこそ少しだけ憧れがあった。

 【思考実験場α】のブースから出た広間で知り合った、解像度とグラフィックの綺麗な金〇小僧さんのワールドに。

 けれど大ヒットゲームとやらはここまで違うのかと、気絶から覚醒したばかりの僕は思わず固まった。


「おうおう坊主、やっと目が覚めたか!」

「う、え、あ、あれ?」

「きみかあ、キンタマズゴッドの知り合いってのは」

「ヒャクパー野郎の知り合いだと?」

「どこの子なの?」

「思考実験の子よねぇ?」

「ああ、もしかしてあそこ行きの?」

「あれ見れば分かるだろ。【2】だってよ。もう時間ねえじゃん」


 目の前にいたのは金〇小僧さんを除いて五人。おそらく、彼らは金〇小僧さんとチームを組んでいる人たちだろう。

 右から順に、男性、男性、女性、男性、……人間?

 なぜか身体全体が真っ白に染まっていて、所々紫色の線が引かれた生物がいる。身体の造形は人間だ。けれど猫のような尻尾が生えているし、耳も全てで六つ生えている。手の指は全部で二〇本だ。それらすべてに指輪をしているので、動くたびにガチャガチャと騒がしい音が鳴る。


「き、ッ、ちょっ、と、か、かかか、変わ、って、ます、ね……?」

「キモイってよ」

「い、いい、言って! ま、せん!」


 オブラートに包んだはずの言葉が身ぐるみはがされ、僕は慌てた。

 けれど、その人間のような化け物らしき人はにこやかな笑みを浮かべ、金〇小僧さんの膝に乗る僕の頭を撫でた。


「いいのよぅ、わかってるからぁ。みぃーんなあたしを見るとうげぇっ、って顔するんだものねぇ」

「その話し方と歩き方も含めてな」

「あらっ! 多様性よ多様性!」

「その多様性を尊重してっから今お前は俺らと一緒にいるんだよ」

「やだいい男」

「キショ」


 化け物さんの隣に立っているいかにもイケメンそうな見た目をした青年は、嫌そうに身を退ける。それでも化け物さんが身をくっつけに行くので、二人の距離は一向に開かない。

 そんな二人を一瞥して、金〇小僧さんはそれぞれに指をさして名を教えてくれた。


「まずあっちのイケメンは梅干し、あっちの化け物は権蔵だ。それで――」

「私はオズ! 由来は魔法使いらしいんだけど魔法は使えないよ! なんて言ったって弓のプロだかんね!」


 金〇小僧さんの紹介を遮って身を乗り出してきたのは、ツインテールの可愛らしい女性だった。彼女は名乗ると、背負っていた弓を手に取って胸元に掲げる。ところどころハートマークのついた可愛らしい弓だ。けれどよくよく見てみると、何度も傷を補修した痕のようなものが見える。ずっと前に金〇小僧さんの大剣でも見たことがある特徴だ。


「つ、つか、使い込んで、るん、で、すね」

「あれ、わかっちゃう?」


 何度も頷いて首肯すると、オズさんは僕をぎゅうっと抱きしめた。


「やだあ! ドット絵の子かわいい!」


 なんと言っても、オズさんたちはモンスターを倒すハンターゲームのキャラクターだ。当たり前に鎧を身に着けているから、金属が押し付けられている右腕が痛い。

 このワールドの人々は力加減というものを知らないから、困るタイミングというのが多々ある。

金〇小僧さんだって今は制御できるようになったけれど、最初僕と交流を持った時はよく加減を誤って僕のワールドのものをたくさん壊していた。僕の病衣だって、すでに五枚が破かれている。

今日服をつままれた時に破れなかったのは、彼の努力の成果だと言えるだろう。


「オズ、あんまり無理させるな。坊主は一回死んでんだって」

「えっ! ああ、だから数字がないんだ! ごめんね坊や!」


 金〇小僧さんの発言で、オズさんはパッと手を離してくれた。

 僕はやっと解放された右腕を擦って再び金〇小僧さんの膝に戻る。それからふと胸元を見ると、印字されている【2】の下に薄く【1】が浮かびはじめていた。


「あ、あああ、あの、じ、時間が、な、ない、ので、ペ、ペペ、ペン、ダ、ント、見せてくださ、い」


 まだ紹介されていない人は二人いる。けれど、今の僕はそれよりペンダントだ。基本的に【思考実験場α】は現実に忠実なものしか置いていないから、魔法っぽいものには興味を惹かれて仕方ない。

 金〇小僧さんは苦笑いをしながら僕の頭をなでると、おもむろにペンダントを取り出して革紐をつまむ。


「誤発動したら困るからお触りは厳禁な! 見るだけ見せてやる」

「は、はい」


 目前にぷらーんと垂らされたペンダントの水晶は、瞬間移動からしばらく経っているというのに未だ淡い光を放っている。

 目を凝らしてみると、水晶の中心部に何やら緑の光が蠢いているし、水晶の表面は部分部分でひびが入っていた。


「こ、これ、こ、こ、壊れ、か、け、です、か?」

「あ、やっぱり分かるか」


 金〇小僧さんは自分の頭をがしがしと掻いて、少しだけ気まずそうな表情で笑った。それからペンダントを僕の目前から回収し、手中に収めて眉尻を下げる。


「実は俺のプレイヤーの趣味が壊れ物集めでな。困ったことにどんなモンスターが相手だろうと、HPが僅かな防具と武器ばかり持たせて来るんだ。おかげさまで腕っぷしは鍛えられたが、やっぱり怪我は痛いし、リスポーン場の受付嬢には呆れた目を向けられるし、辛れぇもんだぜ」

「こ、この、す、すす、水晶、も、です、か?」

「おう。これは出力が狂ってんだ。あと一回使えば壊れると思うぜ」

「あ、ああ、あ、危な、い、の、では……」

「大丈夫大丈夫! 俺は慣れてるから平気だ」

「こんなこと言ってるけど、金ちゃんは五回に一回ぐらい暴発させて死にかけてるんだよ。虚勢張ってんの、かわいいよね」


 金〇小僧さんの隣に座ったオズさんが言う。すると途端に金〇小僧さんが彼女の口に太いラスクを突っ込んだ。


「んんん!? おうおうあ!」

「お前は昔っから余計なことばっかり言いやがって!」


 おそらくオズさんは『横暴だ』と言ったのだろう。

 両手足をばたつかせながら金〇小僧さんへ身を乗り出して、何を言っているのか分からない口喧嘩をし始める。その間、僕の頭上からはラスクの屑がぽろぽろ落ちてきた。


「おっと」


 ひょい、と金〇小僧さんの膝から持ち上げて助けてくれたのは、まだ名前を知らない男性二人のうち片方だ。彼は濃茶のローブを纏い、十字架のついたベレー帽を頭にのせた、いかにも優しそうな男である。


「大丈夫かい、きみ」

「は、は、はい」


 首肯すると、男はにんまりと薄い笑みを浮かべて僕を下ろした。

 それから中腰になって僕と目を合わせ、はきはきと自己紹介を始める。


「ボクはパーマって言うんだ。このクランでは魔術師をやってる。みんなからは大佐って呼ばれているから、きみもそう呼んでいいよ」

「あ、あり、が、とうござい、ます」

「ちなみに、あっちの朴念仁はゴンザレスって名前」


 大佐さんがそう言って指をさしたのは、僕が目覚めて間もなく金〇小僧さんを“ヒャクパー野郎”と呼んでいた人だ。大佐さんも“キンタマズゴッド”なんて風に呼んでいたから、口の悪さはどっちもどっちのように思える。

 僕がじっとこちらを見てくるゴンザレスさんに会釈をすると、彼はふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。それに大佐さんが苦笑いをこぼす。


「あいつ、子ども好きなのに不愛想なの。損な奴だよね」

「そうなのよぉ。ああ見えても、あの子はこのパーティーで一番の新参だからぁ、まだ勝手がわからないのよねぇ」


 僕の隣には、先ほどまで梅干しさんとじゃれあっていた権蔵さんがしゃがんでいた。彼の――……彼女の? 見た目のインパクトにまだ慣れていない僕は、わかりやすく驚いて大佐さんに縋りつく。


「そんなに怯えないでぇ? あたし、いい人なのよぅ?」

「いい人は自分をいい人だなんて言わないよ」

「大佐ったら辛辣ぅ」


 しなしなと権蔵さんが大佐さんにしな垂れかかる。それを横目で見ていたゴンザレスさんは分かりやすく舌を出して「うげえ」と言い、金〇小僧さんとオズさんの口喧嘩を殴って止めていた梅干しさんは分かりやすく顔を顰める。


「おもっ、重い! ボクにくっつくなーっ!」

「いけずな男は嫌われるわよぅ?」

「権蔵はボクの守備範囲外だってば!」


 僕は先ほどの梅干しさんと権蔵さんの言い合いや、オズさんと金〇小僧さんの喧嘩もどきを見て、何となくこのチームの温度感が分かってきたような気がする。

 ただただ立っているだけのゴンザレスさんについてはまだ何も分からないけれど、顔を合わせてからまだ十分を経っていないのに、それぞれがお互いに気を遣わず過ごしやすそうにできる場所なのだと思う。彼らはみんな揃って戦闘をするために生み出されたから、きっと何度も死線を潜り抜けて、誰かが死にかけたとしても助けよう全力を尽くして絆を強固にしていくのだろう。だからこそ、この場所に連れてきてもらった僕という異物は、対照的な【思考実験場α】のワールドを思い出してしまうわけで――。


 別に僕たち被検体の扱いが悪かったわけではない。実際、たくさんいる研究員たちは僕らが暇をしていると遊び構ってくれたし、時には内緒でお菓子をくれたりもした。

 よって、僕らは研究員たちにいともたやすく懐いてしまって、構ってもらえると喜んだ。ひねくれた性格も、忙しそうな研究員たちに仕掛ける迷惑ないたずらだって、研究員たちはまるで血縁の子にするように緩いお叱りの言葉を述べるだけで、大層甘やかされてかわいがってもらった。

 そのあたたかな生活との落差だろうか。

 僕は被検体だ。

 被検体№64113だ。

 僕の前には64112人のそっくりな被検体たちがいて、僕が実験場αの箱庭に入室するよりも前にプレイヤー情報のインストール終え、それぞれ次の場所へと向かった。

今の僕の現状を見ると当然だけれど、インストールが完了すると人格が変わる。そこではじめて、僕ら被検体は個性を持つのだ。だから僕らは浮足立つ。数いる被検体の中のひとりではなくなって、ようやっといち個人となれると喜び、研究員のもとへと戻る。

しかし、そこには今まで被検体をかわいがってくれていた研究員はいない。

彼らがかわいがっていたのはあくまで“まっさらな被検体”であって、プレイヤー情報がインストールされた不純物だらけの“個人”はいらないものだからだ。


まあ、その、要するに。

被検体にふさわしい状態ではなくなった僕らに対する扱いが何とも乱雑で、実験室で死んだ被検体のゴミが残らないようにわざわざ蘇生する人以下の冷徹さがあったとして。

それと比べてしまえば、現状のなんて幸せなことか。


 僕は何となく頭の中で、研究員の態度によって冷やされた心が溶解するのがわかった。研究員たちの愛情が嘘だと知った今、たとえ動機が“かわいそう”であったとしても純粋な心配をして僕に構ってくれる金〇小僧さんたちの温かさがものすごく嬉しかった。


「さてじゃあ坊主!」

「は、はい」


 相も変わらず権蔵さんと大佐さんのじゃれ合いを見ていた僕の足が宙に浮く。僕の気絶前と同様、金〇小僧さんが僕の脇に手を突っ込んで持ち上げていた。

 けれど、今回は前と違って向かい合わせである。金〇小僧さんは満面の笑みで頷くと、よぅし、とつぶやく。そして大きく息を吸うと、声を張り上げて言った。


「めしを、食おう!」


 ゴンザレスさんと大佐さんはうるさそうに耳をふさぎ、他の三人は嬉しそうに己の顎に手を当てる。僕の目はキラキラと輝いた。我ながらそんな感じがした。


「ご、ごはん、ですか!?」

「そうだ! 今日坊主を俺のワールドに呼んだのもそれが理由だからな」


 わくわくと胸が躍る。

 さっき無理矢理口に突っ込まれたラスクも大きさが難点ではあったものの、味はものすごくおいしかった。たまに研究員がくれたラスクの十倍くらい、本当においしいのだ。

 そのような食べ物が安価で出回っているこのワールド、期待しない方がおかしかった。


「きみが食べられるサイズに切らないとね」


 大佐さんが立ち上がって言う。それにオズさんが手を上げて、「私がやるー!」と言葉を返した。そしてゴンザレスさんの逞しい腕を取ると、「こいつも一緒に!」と笑った。


「はっ? 何で俺が」

「しかめっ面しててもあたしにはお見通しだかんね! 本当は遊びたいのに子どもに逃げられてばかりのゴンザレスくーん」

「……うるさい」


 ゴンザレスさんはそっぽを向いて呟いた。見透かされたことが恥ずかしいのか、その耳は少し赤くなっているようにも思える。

 何はともあれ、僕はご飯を食べれるということに喜び、ゴンザレスさんとオズさんの方へ頭を傾けてにんまりと笑った。


「よ、よろ、し、くお願いし、ます!」


 すると、ゴンザレスさんはおもむろに近寄ってきて、「ああ」と不愛想な声で頷いてくれた。その口角が五ミリくらい上がっていたのは、きっと僕の思い違いではないと思う。



 〇 〇 〇



「じゃ、じゃあ、あ、ああ、ありがとう、ござい、まし、た」


 ぺこりと頭を下げる。

 目の前には、それぞれ巨大な串焼き肉を持った金〇小僧さんのチームメンバーだ。うち、梅干しさんはちらりと僕の病衣に印字された数字を見ている。

 僕もつられるようにして病衣を見ると、【1】が【14】に増えていた。


 そうして顔を上げると、一歩分のスペースをあけて梅干しさんがしゃがんでこちらを見ていた。毛穴の見えない美形の肌だ。眼福、眼福。


「お前さ」


 形の良いくちびるが動いた。


「は、はい」


 返事をすると、梅干しさんは口を開いたのち、パクパクと空気だけを吐き出して、どうしようもなく頭を掻いて黙り込む。

 何かを伝えようとしてくれているのは十分にわかるのだが、肝心の内容が分からない。僕は首をかしげて梅干しさんを見つめる。

 けれど結局何かを言うのは諦めたのだろう。

 梅干しさんは分かりやすく俯いて、「あー……」と逡巡の声を漏らした後、ゆっくりと僕の頭に手を置いた。


「まあ、なんだ。お勤めご苦労さまでした、とだけ」

「……あ、あり、が、とう、ござい、ます」


 まさか梅干しさんに言われるとは。

 僕が驚いて固まっていると、今度はオズさんがずずいと前に出てきた。


「また会えるといいね」

「は、はい」


 そしてゴンザレスさんが、権蔵さんが、大佐さんが順々に言葉をかけてくれる。

 最後、だいぶ行きたくなさそうに足裏を地面に擦ったままこちらへ来たのは馴染みの金〇小僧さんだ。


「あー、なんだ。とにかく、お疲れさん」


 言葉少なにそういった金〇小僧さんはがしがしと大きな手で僕の頭を撫でた。


「あ、ああ、あの、あの、お、お世話、に、なな、なり、ま、した」


 さっきよりも、もっと深くお辞儀を。


「おう。もう戻ってくんじゃねえぞ」

「……はい」


 それから僕はもう何回かペコペコと頭を下げて、ようやっと金〇小僧さんたちのワールドを出立した。

 その時には数字が【14】から【10】に減少していて、僕は慌てた。

 数多あるゲーム同士を中継するゲートをくぐると、一面が真っ白の世界に出る。

 今まで僕が金〇小僧さんと交流を持っていたのもこのエリアだ。


「じ、じかん、が、なな、ない」


 のこり、【9】。

 ここから目的地まで、成人男性が歩いて5分ほどの距離にあるけれど、残念ながら僕は子どもだ。一歩は小さいし、足の回転も遅い。

 僕は小走りに、最後に研究員がくれた手描きの地図と真っ白いエリアを見比べて進んだ。

 通称、中継エリアと呼ばれるその場所は、上下左右にゲームのロゴが浮いている奇妙な場所だ。ロゴに触れることでそのゲームのワールドに侵入することができ、他のゲームへ遊びに行ったり、見学をしに行くことも許可されている。ただし、プレイヤーが不在の間のみ、というのが条件だ。

 金〇小僧さんのゲームにお邪魔したのだって、途中でプレイヤーがログインするとなったら速攻で解散になっていたことだろう。

 いつもログインするなり壊れかけの装備をつけさせる癖に滅多にログインしない、と愚痴を言われていた金〇小僧さんのプレイヤーに今日だけは感謝した。


 そんなことを考えながらしばらく走っていると、徐々に黒文字のロゴが見え始める。

 書かれている文字は、【G.P処理場】。

要するにゴミ捨て場である。

 この近くにはもうゲームのロゴはなくなっており、僕の周りを歩く人は皆処理対象のG.P――、省さずGAMING PEOPLEのみとなっていた。

 中には処理される人の見送りもいるのだろうが、ここへ歩いてきた人たちには周囲を見る余裕などない。それに、不要物が処理されるだけの現場に見送りなんて不要だという考えをもっているのが大半であるため、そのような人がいたとしても無関心を貫くのみだ。

 それ以上に、見送り人という存在は全員が自分の行く末を思って鬱蒼とした気分になり、ギリギリまでどこかの物語のように自分の結末が救われるかもしれない、と淡い期待が漂うこの場所に相応しくない。

 かわいそうな奴に、わざわざお前に救いは来ないのだと突き付けてくる残虐な存在などいらない。

 【G.P処理場】とは、処理される者たちだけの聖域なのだから。


 僕はいつだったか、生まれて間もなく語り掛けてきた50000番台の先輩の言葉を思い出した。

 僕ら被検体にはインストールが終わって、思考実験が始まり箱庭から出された後、病衣に数字が刻まれる。今の僕の数字は【4】だ。

 これが処理場までのタイムリミット。

 最初は【5】から始まり、その数字は一時間ずつ数を減らし、最後の【1】は【30】になり間隔を60秒にして減ってゆく。そして【0】になったとき、被検体はプレイヤー情報もろとも、この世界から消去される。

ただ、それまでならどこで何をしても良い。

 50000番台の先輩は処理場送りの寸前に僕に語り掛け、このタイムリミットを、今まで務めを果たしたご褒美なのだと言った。

 だからこそ、あの場所には見送りの人なんて連れてきてはいけないのだと、悲しげに言った。


 きっと僕は先輩の言いつけを守れている。

 金〇小僧さんたちとはちゃんとワールド内でお別れをして来たし、他についてくるような人はいない。

 そのせいか、僕の心はまるで胸部に穴が開いて、風通しが良くなっているかのように清々している。

 先輩の言いつけがなければ、きっと僕も周りの人たちと同じように鬱蒼とした気分で黒いアーチをくぐることになっただろう。

 なぜ見ず知らずの後輩である僕にそんなことを言ったのかは分からないけれど、ありがたい言葉だったと思う。


 僕は内心で先輩に感謝を述べ、アーチをくぐって黒に足を踏み入れた。

 途端、床が抜けて、僕の身体は宙に浮く。

 金〇小僧さんたちに持ち上げられた時や、転移を使った時とは違う浮遊感が身を襲い、僕の両瞼に悲鳴を上げて落ちてゆくG.Pたちの姿が焼き付く。

 それから一度瞬いて、再び開けた時には、青い光を纏ったクラッシャーが眼前に迫っていた。

 ふいに胸元を見ると、【1】が【0】に移り変わろうとしている。


「やっとだ」


 すんなりと言葉が出た。

 プレイヤー情報の消去、完了。


「行って――」


 被検体№64113、削除。


 冷たい鉄の歯が人を――ゲームデータを噛み砕いた。



 〇 〇 〇



 ある人は言った。

 これは、起伏なくかわいそうな子どもが消えるまでの一瞬を記した物語である。

 それもこれも、全部が台本通りの。

 人は誰しも、気が付かないままに役割を押し付けられ、それを守って生きているのだと、楽しげに言った。


 その手には、分厚い台本がある。

【題:研究者A(元№50884)の物語⑮】

 これまでとこれからの、研究者が辿る全ての役割が乗った福音書の15冊目。


 男は満面の笑みを浮かべて、ゆるりと口を開いた。


「大丈夫、間違えたら全部壊そう。その残骸を材料に、新たなものを作ろうじゃないか」


 男が手を伸ばした先に、粉々に砕かれたデータの結晶があった。その中には噛み砕かれただけの串焼き肉が散らばっており、まるで生身の死体のような様相をしている。


「なあ……、№64113」


 心底愛しいものを愛でるように、男の手は結晶を撫でた。

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