ドゥルイトの愚王クリストファー・ドゥルイト

 ジリジリと汗ばむくらいの陽に照らされ、生温い風が頬を撫でる。

 庭先に植えられた梅の木には青果が実り、仄かな酸味のある香りが鼻を突く。


「今年も、いい梅が実ったねぇ……」

「ええ、ホントに……今年も腕が鳴りますわ」


 予が従者に向かって微笑むと、侍女のメリンダは丸太のような大きな腕をまくり上げ、笑みを返す。


「ご隠居、脚立を持ってきましたよ」

「あぁ、ありがとう。エリオ」


 監視役の騎士であるエリオット殿は35年前の戦争で足を失って以来、こうして予の監視役として長年付き添ってくれた。

 かつて敵国同士であったにも関わらず、思えば人生の大半を過ごしてきた友と言えるだろう。


 ハサミを取り出し、実の様子を良く見ながら形の良い生育状況が良い実を収穫していく。

 梅はこのアヴァロン王国の遥か東の国に自生する植物であり、非常に珍しい果実だ。

 実自体に独特な酸味もあるが、塩漬けや酒に入れて熟成させると独特の風味が良き香りとなる珍味と言えるだろう。


 なにせ、かつて王族であった予でも簡単に作れるぐらいなのだ。生育も手間がかからず季節によって見せる顔も四季折々である。

 予はこの梅の木が好きだった。


 麦わら帽子を外し、額に滲む汗を首に巻いたタオルで拭く。気づけば粗方の梅の実を取ってしまっていた。


「次に行こうか、エリオ。サクサクやらないと日が暮れてしまうからね」

「ええ、そうですな。すみません、ウチの家内や息子たちは……」

「良い、忙しないということは充実しとるということだろう」


 最近初孫が誕生し、エリオットの妻は孫の世話や義娘の産後の世話に忙しい。息子も王宮で働く騎士であるから昔のように家族纏めて梅の収穫などできないのだろう。


 身体を動かすのはいい。特にこうやって庭先に出て、何か仕事をするのはそれだけで気が晴れるというものだ。

 何もせずにいると気が病んでしまう。


 予の生活は充実していた。

 だからこそ、罪悪感が予の胸をちくりと刺す。


 そんなことを考えながら梅の収穫を続けると豪奢な作りの馬車が離宮の門前で停まる。


 扉を開けて出てきたのは白銀の髪を持つ麗しき淑女。

 年齢を重ねるごとにより威厳と美しさが高まっているアヴァロンの至宝と言うべきお方であった。


「……お久しぶりですね、クリストファー殿下」

「えぇ、お久しゅうございます。アレクシア皇后陛下」


 国を滅ぼした愚かな国王に過ぎたる礼節でアレクシア様は予に会いに来た。


「……梅を収穫していたのですね」

「ええ、今年も良い実がなりました……。昨年は気候も穏やかで天気が荒れることもありませんでしたからな……今年も冷夏や台風などなければよろしいのですが」


 陛下より頂いた梅の木は予にとって密かな楽しみである。

 6月の初夏に収穫し、塩漬けや梅酒作り、梅酢ビネガーなどといった加工も手作業で毎年行う。

 流石に陛下達に献上するほど上等なものなど作れないが、それでも身内で楽しんだり、エリオ達の親族や同僚に配っても余るぐらいだ。


 国を滅ぼした愚王に対し、過分なほどの日々であろう。

 毎日を穏やかに過ごし、王族としての責務から解放され、この小さな離宮にて静かに暮らす。

 過分なほどに、幸せな地獄のような日々だ。


「クリストファー殿下にお伺いしたいことがあります」

「お力になれるか分かりませぬが、何なりとお申し付けください」

「オズマンド・バラスについて、知っていることを」


 その名前を久々に聞いた。


「……オズマンド、ですか」

「えぇ、殿下の側近であったオズマンド・バラスです」


 オズマンド・バラス。

 おそらく、予が知る中で最も貴族らしく、最も強く、そして最も国に忠義を果たした臣下であった。

 予の弱さがオズマンドを死に追いやり、予が使いこなすことが出来なかった臣下である。


「……長い話になります。それでも良いなら予が知っているオズマンドのことを聞かせましょう」


 ☆★☆★☆


 その男と初めて出会ったのは5歳の時に予の生誕を祝う誕生祭のパーティーの頃であった。


「俺は法衣貴族バラス子爵家が嫡子、オズマントと申します。第二王子殿下、ご生誕の儀に末席ながら声をかけていただき、誠にありがたく……!」


 これが当時のオズマンド5歳の口上であった。

 狼のような灰色の髪に意思の強さを持つ黒い眼光。

 予と同い年とは思えない風格に圧倒されたのを覚えている。


 思えば、この時から予はオズマンドに対し、どこか苦手意識すらあった。


 ──一介の武辺者。


 オズマンドは自身のことをそのように言っていた。

 己はあまり頭がよくないのだと、どうしても小難しいことよりも身体が動いてしまうのだと、堪え性の無さが自身の未熟なところであると語っていた。


 その分、その優れた武勇と威風堂々たる自信のありようはまさしく古の勇者の如きであり、王よりも王らしいカリスマ性を備えていたともいえよう。


 ──まさしく、そのとおりである。


 オズマンドほど、優れた武人はいないだろう。オズマンドほど、強い人間はいないだろう。

 そんなオズマンドに予は嫉妬していたのだ。


 比べるところが違うことなど、わかっている。

 王に武勇があったところで、たかが知れていることなどわかっている。


 それでも、男児として優れているオズマンドに、あの強いオズマンドに予は妬心を隠せなかったのだ。

 羨み、妬んだのだ。


「殿下、俺は一本の剣で構わないのです」


 剣術の稽古で打ち負けた予にオズマンドは語った。


「殿下の一振りの剣として、使われ、削られ、打ち捨てられる剣なのです。ただ振るわれるだけの暴力であるのです。しかし、殿下は違いまする。殿下の玉体は剣のように替えが効かないのです。俺と殿下は違うのです。俺は振るわれるものであり、殿下は振るうものなのですから」


 小難しいことがよくわからないと言いながら、誰よりも小難しいことを言い放つのがオズマンドという男であった。

 予はオズマンドの忠言を、その諫言に対し、耳を塞いでしまった。


 忠義など向けられることは当たり前であり、配慮されることが当たり前であり、誰もが優れた王子であることを認め、何でも一番であった。

 その中でオズマンドだけが違ったのだ。


 あの男だけが、予に配慮することなどなく、下手すれば予の自尊心を傷つけ、罰せられることを理解したうえで、予のために壁となってくれた男があの男だったのだ。


 オズマンドだけが誠心をもって仕えてくれたのに、予はオズマンドが死ぬまでそれに気づかなかった。


 まこと、愚王であること他ならない。


 予は認められたかった。

 予は勝ちたかったのだ。


 あの男よりも男として、人間として上に立ちたかった。


「そんなことはありません、殿下はものすごーく頑張っていらっしゃるではありませんか」


 だから、予は致命的に間違ってしまった。


 アリシア・アップルトン。


 アップルトン男爵家の生まれであり、小領主を治める領地貴族の娘。

 かわいらしい笑みと桃色の髪を持つ可憐な少女に、予は惹かれた。


 知性があり、優しく、愛嬌がある。そんなアリシアに予はのめりこんだ。

 アリシアの裏の顔など知らずに。


 そのあとの顛末はアレクシア皇后陛下も知っての通りだ。

 恋に盲目となった予は皇后陛下との婚約を破棄し、アリシアを正妃とした。


 その結果、大貴族から反感を買い、兄上の病死や父上も精神を病み始めた。


 予がどうにかするしかないと思った。

 だから、父王を殺した。


 逆らうものなどいないと思ったのだ。

 新しき王となれば皆が傅くと思ったのだ。


「混乱するドゥルイトの民を救い、先王を殺めた偽王を討つ!!」


 隣国アヴァロンの王太子の言葉に、ドゥルイト貴族のほとんどが従った。


 予が殺したのだ。

 父を殺し、国を滅ぼし、民を戦争へと駆り立てた。

 誰かの父を、誰かの息子を、誰かの兄弟を、その家庭に当たり前にいた家族を。

 予の愚かさが、皆を殺したのだ。


 罪人の恩赦など、所詮焼け石に水でしかないやけくその政策であった。

 戦争で死ぬのであれば、罪人を戦地に向かわせればいいと、たったそれだけの考えだったのだ。


 その中に、かつて予が妬んだオズマンドが居るなど考えてもいなかったのだ。


 ☆★☆★☆


「予が知っておるのはこの程度のことです」


 クリストファー殿下は自嘲するように、すべてを語ると手元にあった冷えた紅茶を一気に飲み干した。


「オズマンドを刑に処すべきとしたのは皇后陛下ではないのですか?」

「いえ、私はオズマンド・バラスの死に関わっていません」


 そう、かつての祖国を滅ぼすと決めた際、私はあえて何もしなかったのだ。

 しかし、もし私の過去を知っているものが故意に忖度した場合はその限りではないかもしれない。


「陛下はなんと?」

「陛下はオズマンド・バラスを知るためにはクリストファー殿下とゲイル宰相、そしてドゥルイト教会の女司祭アレクサンドラの三人に会うべきであるとおっしゃいました」

「なるほど、それでですか……」


 クリストファー殿下はゆっくりと頷き、どこか遠いところを見つめる。


 かつての婚約者クリストファー殿下。そこに愛はなくとも、いずれこのお方の伴侶になると思っていたお方。


 昔はもっと余裕がなかったと思う。誰に対しても尊大であり、周りを固める側近たちは良くも悪くも殿下のご機嫌取りのイエスマンばかりであった。

 だから、期待していなかったとはいえ、婚約破棄されるのも当然だと思っていた。


「殿下はオズマンド・バラスの処刑に立ち会ってはないのですか?」

「アーサー陛下は亡国の王に臣下の死を見せつけさせて嬲るようなお方ではない。王都の降伏のあと、予はずっとこの離宮で幽閉されたのだ。ゆえに、オズマンドの死もアリシアの死もすべて伝聞で聞いた話でしかないのだ」


 アーサーは誇り高い王であり、少なくとも個人的な一時の感情で国政や人の死を決めることなどはしない。


「アリシアが予を都合よく操ったことは事実であろう。ほかならぬ、予自身のことだ。そこは相違ない。だが、オズマンドが佞臣として語られていることは確かに予も疑問であった。オズマンドは佞臣扱いされるほど、予に近しくはなかったのだから」


 殿下自身にもオズマンドがまるで王国滅亡の原因のように語られていることは疑問であったらしかった。


「だが、不思議なことはもっとある。最もわからぬのはオズマンドはなぜ、アリシアを殺さなかったのかよ」

「アリシア・アップルトンを、ですか」


 殿下は首肯する。


「オズマンドは誇り高く、尊大で、貴族らしからぬ惰弱なものを嫌う。しかし、予が知る限りオズマンドはアリシアに対して予に対して何も言ってはこなかったのだ」


 アリシア・アップルトン。

 ドゥルイト王国滅亡の原因としてオズマンドに並ぶ傾国の美姫。

 その美貌でクリストファー殿下の寵愛を得て国政を牛耳り、寵姫派ともいえる派閥を国内に作り王国を専横したドゥルイト最後の王妃。


「しかし、アリシア・アップルトンは……」

「すでに亡くなっておる。オズマンドとともに刑に処され、一族もみな処断された」


 オズマンドと同じく、その足跡をたどることは非常に困難だろう。


「……そうか、だから陛下は」

「殿下、何か?」


 ふと思い至ったかのように殿下は口を開く。


「アリシアには専属の侍女が居た。平民の娘で、サンドラという」

「……その侍女がどうしたと?」

「ドゥルイト教会の女司祭アレクサンドラはかつてアリシアの侍女だったものだ」


 仕えていた主人の死後、僧籍に入ったのだろう。陛下がお与えになったアレクサンドラという女司祭が点と線でつながったと言えるだろう。


「詳しい話は彼女から聞くのがよろしいでしょう」

「……そうですね。殿下、お話ありがとうございました」


 私は深々と殿下に対して頭を下げる。


「やめてください、予は貴方様に頭を下げられるような男ではないのです」

「いえ、ですか……」

「予はとんでもない咎人なのです。そんな男に頭を下げてはなりません」


 どうして、彼は愚王となってしまったのか。

 その知性のある瞳で、自らを戒めんと謙虚な対応を心掛け、動植物や人に対して慈しみの眼を向ける。

 並みの貴族よりもよほど聡明であり、よほど現実が見えているのに。


「予は多くを殺したのです。ほかの誰でもない、予が殺したのです。民を、臣下を、友を、愛するものを。すべて滅ぼし、壊してしまったのです」


 殿下はその両手を強く握りしめ、両目を塞ぐ。


「情けないのです。恥ずべき男なのです。皇后陛下、予は……予の国が滅ぼされ、二度と祖国に戻れずアヴァロンで生涯幽閉されると聞いたとき、どのような気持ちかお判りになりますでしょうか?」

「それは……怒りでしょうか?」


 殿下は首を横に振るう。


「予は、安堵したのです。もう苦しまなくていいと。処刑されずに済むんだと、予は安堵してしまったのです……!」


 臣下が死に、臣民を戦場に送り、死なせてしまったのにも関わらず、愚王クリストファーはその命が安堵されたことに安心してしまったのだ。


「多くのものを死地に追いやり、予だけがのうのうを暮らしているのです。穏やかな安寧の日々を過ごしているのです!! それを奪った予が!! 多くの者から、この安寧を持っていた者たちから奪った予が、与えるべきであった予が、こんなに穏やかで幸福な日々を過ごしているのです!!」


 それは、紛れもなく罰であった。

 幸福で穏やかな当たり前の日常。

 それを送らせることが、何よりもクリストファー殿下を苦しめている。


「情けないのです、なんとも情けないのです。自分で死ぬことすら、勇気が出ない臆病者の予が、一番憎くてたまらないのですっ!!」


 クリストファー・ドゥルイトは弱い男だった。


「予は……オズマンド・バラスになりたかった。あの勇気ある男に、あの威風ある男に、なりたかったのです」

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