白銀の乙女アレクシア・シュリュズベリィ
口は、禍のもとという言葉がある。
もし、あの時。私が違う言葉を口にしていれば、あの男は別の生涯があったのではないかと思わずにはいられないのだ。
「──そこを退け、シュリュズベリィの飼い犬」
血がしたたり落ちる片手剣。瞬く間に切り伏せられた二人のお付き。
「──その女郎を殺す」
これほどまでに殺意という物をぶつけられたことが初めてであり、私は痛みを忘れてしまうほどに恐怖によって凍り付いてしまった。
生涯で初めてであり、生涯で最も恐ろしかった男。それがオズマンド・バラスという男であった。
シュリュズベリィ公爵家の家臣を2名を斬殺、騒ぎを聞いて聞きつけた貴族子弟と宮中の護衛十数名に手傷を負わせた狂人。
「──公爵殿に伝えよ」
最終的に国政を司る法務大臣が出てきて、ようやく止まったオズマンドは私に向かって言い放った。
「──戦の準備をなされるがよろしかろう。このオズマンド・バラス、受けて立つ」
傲慢、尊大、不敬、狂気。そのすべての言葉にふさわしい貴族らしからぬ蛮族。
それが私にとってのオズマンド・バラスという男であった。
オズマンドという男のことは知っていたつもりであった。
私の婚約者であるクリストファー第二王子殿下の側近の一人であり、御父君は国王陛下の侍従長という栄誉ある立場にある方の一人息子であるということだ。
性格は単純であり、良くも悪くも裏表のないどこにでもいるような凡庸な男。
頭の回転が速いわけでもなく、口数も少ない男。
そう思っていたのだ。
「俺に恥があるとすれば、アレクシア姫を一撃で仕留めきれなんだことだ」
オズマンドは私への殺意を隠そうとはしなかった。
淡々と取り調べにおいてわけのわからない供述を繰り返す様は、私と同じ王国の貴族──否、人間の思考だとは考えられなかった。
「俺は聞いたのだ。殿下の寵愛を受けているアリシア姫への様々な嫌がらせと執拗なまでのその尊厳を辱めんとする行為の数々を。俺はそれを真正面から問い詰めたのだ」
冤罪だ。そんなことはしていない。
「あの女郎はなんといったと思う? 『もしやったというのなら、どうするのでしょうか?』とな」
確かに言った。その瞬間、「──お前を殺す」と言って剣を抜いてきたのがオズマンドであった。
その結果、私は胸に大きな傷と利き腕である右手を失ってしまった。
「あの女は、俺が突きつけた言葉に対して否定をしなかったのだ。仮定の話など、本当にやっていないのであれば論ずるまでもない。俺が切る理由としては十分だ」
たったそれだけ、そんな言葉遊びのような挑発の言葉だけで、オズマンドは私を殺しに来たのだ。
普通ではないのだ。普通、第二王子の婚約者を手にかけようなどと考えるわけがないのだ。そうでなくても私に手を掛けるということは公爵家を敵に回すことと同義であるのだ。
「その話が狂言である可能性? 明確に罪を認めたわけでもないたかが失言? 確かにその可能性はあるだろう」
オズマンドは尋問官から問われた質問に滔々と答える。
「ならば殺すべきであろう。他者に謀略で後手に回り、臣民に対して失言癖があるなど、王妃の愚かさと脇の甘さによって国が傾きかねん。であるならば、臣下として佞臣の類は排除せねばならん。例え、それで死を賜うことになろうと、貴族であるならばやらねばならん。──俺はそれを、終生の誉として喜んで受け取ろう」
頭がおかしい。
「バラス家とは関わるな。二度と」
憔悴した表情で父は私にそう告げた。
オズマンドの生家であるバラス家がお家断絶となり、父であるバラス子爵が賜死となり、オズマンド自身が王都の監獄で終身刑となった顛末を私は聞いた。
思うところはあった。
恨みもあった。憎しみもあった。
四肢の一部を欠損したということもあり、内々に婚約破棄の手続きが済まされることとて承知した。
「アレクシア! 君との婚約を破棄するっ!!」
そこから、ズルズルとドゥルイト王国の崩壊は始まってしまった。
私の国外追放から始まり、国王の失政、王太子の病死、国王陛下の暗殺、貴族たちの反乱。
ドゥルイト王国は衰退し始めていた。
「僕が、君の祖国を救いに行こう」
アヴァロン王国のアーサー殿下はそうおっしゃった。その言葉が、私にとってどれほどの救いとなっただろうか。
国は滅び、かつての王家は凋落し、それでも民が救われた。
これ以上ないほどの話だ。アヴァロン王国は国土を二倍に増やし、シュリュズベリィ公爵家も残り、臣民も心穏やかに暮らしている。
めでたし、めでたしと言えるだろう。
「ゲイルと申します。皇后陛下」
夫が王位を継ぎ、十数年。夫が招いた市井の農学者と言われるゲイル卿と出会ったのはそんな過去を忘れかけていた時であった。
知的で博学。何よりも勤勉であり、民衆の手本とすべき学者であったゲイル卿がアヴァロン王国の農務大臣となるのはある意味当然であろう。強いて言うのであれば、彼が平民であり家名すら持たないという特異性にある。
当然、そのような身分の成り上がりものであり、貴族とは馬の合わない性分であったため、敵も多かったのは確かだ。
それでも、彼の推し進める農地改革案と教育政策は多くの国民の生活水準を押し上げ、救うものだったからこそ、肩入れした。
「農民の子倅ですのでファーマーと名乗りましょう」
王国最初の平民宰相ゲイル・ファーマーの誕生であった。
媚びず、引かず、ただひたすら懸命に、臣民のためにその身を投げうちながら王国の内政に従事するアヴァロンの執政官。
清廉潔白で欲のない人間。
夫であるアーサー陛下が何度も爵位を与える旨を伝えても決して首を横に振らなかった男。
「臣はこの王国で最初の平民の宰相やもしれません、されど臣が最後の宰相などということもないのですから」
謁見の間で堂々と宣言したゲイル卿はまさに傑物と言われるべき存在なのだろう。
「宰相よ、それでは駄目なのだ。王国の功臣である其方に何も褒章を与えることがないなど余の沽券にかかわるのだ。何でもよい、宰相……なにか望みはないのか?」
とうとう、ため息とともに折れた夫の言葉にゲイル卿は初めて興味をひかれたのか、陛下を、そして私に視線を投げる。
「……それでは、恐れながら申し上げます」
「よい、なんだ?」
「臣には、尊敬する男がおりました。しかし、その男は被らずとも良い罪を背負い、不当に貶められております。願わくば、その男を救ってはくれないでしょうか」
これほどまでの男に尊敬される男とは何者なのか。
不当な罪を被ったとまで言われる男。何らかの冤罪に巻き込まれたのであればすぐさま開放しなければならない。
王族である義務感と、一人の女としての興味。そんな中、ゲイル卿が放った一言はあまりにも衝撃的すぎるものであった。
「──35年前、旧ドゥルイト王国の王都ドゥバッハにて処刑されたオズマンド・バラス様の名誉回復を望みます」
かつて、忘却の彼方にあった過去が、追いついてきた。
「……宰相、それは」
「陛下、伏してお願い申し上げます。臣は……おれは、オズマンド様が酷いように言われるのは、耐えがたく辛いのです」
苦く、歪んだ表情を浮かべるゲイル卿。
この男のこんな表情は初めて見た。
いつも冷静であり、身分の低いものにたいして丁寧に接し、それでありながら泰然と貴族と戦ってきた男が。
嫌いであろう
「陛下?」
頭を下げて、願うゲイル卿を、夫は眉間にしわを寄せ、顔をゆがめる。
「宰相それは……あの男の思いに反するのではないか?」
「──あれから35年も経ちました。陛下の治世は大陸に平穏と繁栄を翻し、臣民もみな健やかに暮らしています。陛下の治世を臣民が脅かすことはありません。だからもう、よいではありませんか」
「……」
失ったはずの右腕が酷く痛む。このような幻痛を感じるのは実に数年ぶりのことだった。
「少し、考えさせてくれ」
「……はっ」
重苦しい空気の中。謁見は終わった。
疲れた顔のした夫を見るのは久しぶりで、奥で自らの口ひげをさすりながら、私にどう声をかけようか逡巡しているのだろう。
「──陛下、教えてください。オズマンド・バラスとはあのオズマンド・バラスなのですか」
「……そうだ、君に一生残る傷をつけ、そしてドゥルイト王国を滅ぼした元凶のひとりとして蔑視されるあのオズマンドだ」
「なにがあったのですか」
陛下の口が重い。隠し事があったり、悩んでいる時は陛下はいつもこのように考え込んでしまう癖があった。
「一生、口を噤むものだと思っていた。僕が死ぬまで、誰にも話さないつもりだった」
「アーサー様……」
「君には知る権利がある。オズマンド・バラスがどういう男なのかを……あの素晴らしい貴族を僕たちがどのように嬲ったのかを。けどこれは……君にとってとてもつらい話になる」
夫が懸念したのはただそのことだった。
私が夫を想っているのと同じく夫も私を想っている。
かつて、私が目を逸らした男。
処刑されたという話を聞いたときに安堵した男。
私が知ろうとしなかった35年前に何があったのか。私は知らない。
「教えてください、陛下。オズマンド・バラスがどうしてそこまで陛下を苦しめているのかを。私におしえてくださらないでしょうか」
かつての私は、子供であった。腕を失い、身体に傷をつけられ、かつての婚約者にまで捨てられた私を救ってくれた。
それが、どれだけ私の救いとなっただろうか。
私はもう子供ではない。夫婦とは病める時も健やかなるときも、どんな困難があろうともともに苦労を分かち合い、痛みを分かち合うものだのだ。
「あなたの荷を私に分けてください。貴方の苦しみを私にも背負わせてください」
覚悟を決めて、告げた言葉に。陛下も覚悟を決めたのだろう。
彼は静かに口を開いた。
これは、
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