40;仙石流剣

 小林組で高瀨啓治に命令が下されたのとほぼ同時刻、本田は仙石組の本拠地に来ていた。

 門の前には下っ端が二人立ち塞がっている。本田は歩み寄るなり内通機オルロを胸の前に掲げた。


「日異協の本田魁十だ。アポなしですまないが、組長はいるか? 大事な話がある」

「ええ!? 本田魁十!? ど、どうして」

「お、親父は確かにおられますが……」


 日異協会長の突然の訪問に門番二人は目をひん剥いて驚く。しかしそれには目もくれず本田は畳みかけるように続けた。


「都合が合わなければ伝言を頼む。電話は、まぁされないとは思うが盗聴防止でなるべく避けたいのでね」


 門番二人は目を見合わせてひそひそと何やら話しだす。それからすぐ本田の方へ向き直って言った。


「す、すぐ確認してきますね……!」


 言い終わるやいなや門番の一人が駆け出していった。本田は追いかけるように言葉を投げかける。


「ああ、よろしくたのんだぞー!」


 その門番の姿が見えなくなると、門の前は静まり返った。残った方の門番は恐る恐る本田を見上げる。気づいた本田は目を合わせ、逸らし、また合わせてにこやかに口を開いた。


「君は若いようだが、小林組のことは知っているのかい?」

「え? ま、まぁ、大きな組織ですから、もちろん」


 門番は小さく頷いた。本田は腕を組む。


「交流したことは?」

「いえ……ないです」

「仙石組との仲は良くないと聞いているけれど」

「あー、そうみたいですね。向こうの親分と仙石の親父が犬猿の仲? だとか」

「……そうか」


 本田は門の奥へ目をやった。誰かが小走りでこちらへやってくる。そして門を半開きにして、顔だけ出してきた。


「おお本田会長。親父がお呼びだぜ、入ってくれ」

「日野さんか。すまない、ありがとう」


 本田は門番に一礼し、日野についていく形で仙石組の敷地へと入っていった。

 そこはやたら豪勢な和風の屋敷である。広大で美しい白さが目を奪う石庭に、威風堂々と立つ巨大な松、屋敷の入り口へ続く道は古き良き石畳で、左右から色とりどりの造花が出迎える。屋敷本体は大貴族の居城かというほど豪華絢爛迫力満点。一目見てヤクザの事務所などと誰が思おうか。暴力団は街の外れにある小さなビルなどを根城にすることが多い中、このつくりは仙石組の力を象徴しているかのようだった。


 屋敷の中に入ってしばらく進むと、和風の大広間の真横に小さめの部屋がある。日野はそこで立ち止まり、ふすま越しに言った。


「親っさん、本田さんを連れてきましたぜ」

「おう、入ってくれ」

「……失礼します」


 日野がふすまを開け、本田は頭を下げてから部屋に入った。中央に大きめの座卓が置かれた粋な座敷である。そこに真っ白な和服に身を包んだ老齢の男が座っていた。


「よぉ、久しぶりだな本田くん。元気にしてたか?」

「お久しぶりです、そちらもお変わりないようで——仙石せんごく流剣るけん組長」


 仙石流剣。それこそこの男の、仙石組組長の名である。

 よわい七二。豪快、大胆、磊落らいらく、それを体現したような性格が子分から人気を集め、ときおり見せる迫力は老人とは思えぬ荘厳さで頼りになるという言葉では役不足なほどである。それゆえ何十年も組を支えてきており、日異協とも長く深い関係を持っていた。

 

 本田が流剣の前に座ると、流剣は頬杖をついて口を開いた。


「そんでなんだ、調査で何かわかったのか?」


 本田は小さく頷く。

 ここで伝えることはひとつだけ。先日の作戦で判明したことだ。


「はい。単刀直入に申し上げます。先日判明したことなのですが……」


 目を閉じる本田。流剣は何も言わず、次に本田の口から飛び出す言葉をただ待った。

 本田は目を開け、流剣の目をしかと見据える。そして続けた。


「件の薬物事案、小林組が、元締めをやっていることがわかりました」

「——は?」


 聞くや否や、流剣は目を見開いて頭を上げた。


「今なんて言った……小林組だと?」

「はい」

「小林光二が親分やってるやつか?」

「さようです。こちらの通り」


 本田は内通機オルロや携帯の通信履歴を流剣に見せた。彼はそれをまじまじと見つめる。そこには間谷業耶、本木幸太郎という紛れもなく小林組の構成員である名があって、流剣は頭を抱えた。


「小林組が半グレに命じて薬物をバラ撒いてやがったのか……」


 流剣は肩を落とし、黙りこんだ。指一本も動かさず、ただ座卓を眺めている。だがほんの少し経ってから、大きなため息をついた。


「あの馬鹿野郎、知ってか知らずかはどうでもいいが……それでウチの縄張り《シマ》にまで手を出しやがったのか……!」


 また正面を向いた顔は、口角が上がっていた。しかしそれは笑みではない。怒りから呆れから、そういった感情のあまり引きつりすぎてそうなっているだけだ。その証拠に、目からは部屋全体をねじ切ってしまいそうなほど絶大な覇気を放っていた。

 大気が小刻みに震えるのを感じながら、本田は額に汗を滲ませた。


「……やはり昔馴染みなだけあって、歯がゆいですか」

「馴染んだ覚えはねぇ。まぁ五〇年も前からの付き合いだったけどよ」


 異常なまでの眼力はとどまることを知らず、むしろますます強くなる。この男がこのように静かな怒りを見せるのは久々のことで、本田は相変わらず凄まじいな、と自分ごと飲み込んでいきそうなこの迫力にかえって苦笑した。


「んで、わかったことはそんだけか?」

「……そうですね。元締めがそうだったってことが割れただけです。動機などはまだ」

「動機ねぇ……」


 流剣は先ほどまでの気迫を弱めて、窓の外を見た。

 

「なにか心当たりはありますか? それと、小林光二について少し教えていただけれるとありがたく思います」


 本田は流剣の横顔を見つつ、尋ねた。

 彼が今日ここに来たのはそのためである。敵の親玉がどんな人間で、どんな動機を持つか、その手がかりを得ること。だから小林光二と自分、両方と長く関わりがあり、さらには同盟関係にある仙石組の長である流剣から詳しく話を聞きたかったのだ。


「あいつのことか……まぁあいつのことだ、どーせ自分のため金のためだろ。昔っからそんなヤツだった。周りのことなんて考えてるとこ見たことねぇ。ウチの縄張り《シマ》荒らしてるあたり、最初のころ仲良くしてやったことも、鉄火場で死にかけてるのを助けてやった恩も一切覚えちゃいないんだろうな」


 腕を組みため息混じりで、吐き捨てるようにぼやく流剣。数十年間でよほどの鬱憤を溜めてきたであろうことが本田にも読み取れた。

 この話を聞いて本田自身も内心呆れかえっていた。敵の親玉がそんなのでよく組織がまとまるな、と思いつつ、新たな疑問を投げかける。


「しかし、それでも仙石組の縄張りを狙うことに何の意味が……」

「オレが組長になってからことあるごとにオレの嫌味を言うようになったらしいからな、挑発かなんかじゃねぇのか」

「しかし、こちらには貴方や一条さんが」

「……あいつはな、高瀨啓治って男に絶大な信頼を寄せている。アレを雇ってからずいぶん威張るようになったらしいからな。あいつ自身の戦闘能力はド素人級だ、一条と高瀨の力の差なんてわかりゃしねぇだろうよ」

「なるほど、そうですか……」

 

 本田はここまでの話をメモしはじめた。流剣はその様子を眺めながら続ける。


「小林のことをもうちょい詳しく聞きたいか?」

「そうですね、よろしければお願いしたいです」


 本田が顔を上げてにこやかに答えると、流剣は一拍空けてから話はじめた。


「じゃ、これだけは言っておく。あいつは弱いがズル賢い。とりあえず事務所を攻め落とそうとしたところでダメだろうな、お前は本木を殺しちまった。多分もうみんな仲良く隠れちまってるよ」

「なるほど、了解しました」


 本田は深く頷きながら手早くまとめる。それから流剣は前のめりになり、よく聞けと言わんばかりに本田を指差した。


「だがな、報復はしてくる。あいつは自分がナメられるのを極端に恐れるから、力を示すためにやられたらすぐやり返すようなヤツだ。おそらくだが、高瀨を出してくるだろう。あいつにはマジで気をつけろ、さっきオレはあんな言い方したが、高瀨の実力は一般的に見りゃ突き抜けてる。一対一サシならそっちの主力のうち四、五人を除けば全員危ねえぞ。狙うなら本木殺したお前が先になるかもな、気をつけろ」


 本田はゆっくりと手を止め、目を閉じて頷く。


「……はい、それは分かっています。ですが私が真っ先に狙われるなら好都合です。若い子らに危害が及ばずに済むのなら。——本日は突然の訪問失礼いたしました。情報下さってありがとうございます」


 本田は立ち上がって一礼した。流剣は胸の前で手を小さく振って言う。


「いや、礼を言うのはこちらの方さ。このことは組員全員に共有する。にしてもよ——」


 流剣は尊ぶような視線を投げかけた。


「——あんなことがあったのに、あんときよりトップらしい顔になったじゃねえか。責任感じてたろうに。先代会長もあの世で喜んでるだろうよ」


 先ほどの気迫とは打って変わった、優しく慈しむような声色。本田は一瞬目を丸くしたが、小さく笑って


「……恐縮です」


 と言い、もう一度深くお辞儀をして部屋を後にした。

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