第4話:差出人に会いに

 その手紙は、風の強い水曜日の朝に届いた。


 庭の赤いポストを開けると、いつものように白い封筒が一通。けれど今回は、短い文の最後に、決定的な一文が添えられていた。


『5月の最初の金曜日、午後3時。駅裏のベンチで、お待ちしています。——Y.K』


 ひかりは思わず手紙を握りしめた。文面からは、祖母がもういないことを知らないまま書かれていることが伝わってくる。

 ——それでも、その人は会いに来ようとしている。


 祖母が待ち続けた人。

 会いたくても会えなかった相手。

 そして今、会うことが叶わないまま残された、“最後の返事”。


 ひかりは迷った。けれど、決意はすぐに固まった。


「私が、行くべきだ」


 祖母の代わりに、会う。

 祖母が届けられなかった想いを、たとえ言葉にできなくても、手渡すために。


 5月。空は柔らかな青に染まり、町の緑が少しずつ濃くなっていた。


 午後3時少し前、ひかりは小さな駅の裏手にあるベンチにたどり着いた。

 祖母が待っていたという、あの場所だ。


 ベンチには、ひとりの男性が腰を下ろしていた。白い帽子に、杖を手にした姿。背筋は伸びているが、どこか慎ましく、周囲を静かに見守るような雰囲気があった。


 その人は、静かに立ち上がり、ひかりのほうを見た。


「……安西カツエさん、ですか?」


 穏やかな声だった。けれど、その問いにひかりはゆっくりと首を横に振る。


「私は、孫の——ひかりと申します」


 男性の目に、ほんの一瞬だけ戸惑いが浮かんだ。けれど次には、深く頷いた。


「そう、ですか……。お元気でいらっしゃいますか」


 ひかりは、手にしていた手紙の束を胸に抱きしめるようにして、言った。


「祖母は……三か月前に亡くなりました」


 その言葉に、男性は小さく目を伏せた。長い沈黙。やがて、空を見上げて小さく笑った。


「そうですか。……やっぱり、そうでしたか」


 ひかりは祖母が残した書きかけの手紙の一通を、そっと差し出した。


「これは……祖母が、最後に書いていた手紙です。宛先は……あなたに」


 男性は、それを両手で受け取り、丁寧に胸元に収めた。

 そして、まるで懐かしい友人に語りかけるように、ぽつりと語り始めた。


「若い頃、カツエさんとは文通をしていました。配属先が離れてしまってね、しばらくは手紙でやりとりをしていたんです。けれど……ある日、急に手紙が来なくなった」


「祖母は……駅で、待っていたそうです」


 男性は、驚いたようにひかりを見た。


「駅……?」


「当時、会う約束をしていたのではないですか? でもあなたが来なかった。そう祖母は言っていました」


 男性の手がわずかに震えた。


「……事故に遭いました。その日、会いに行く途中で。しばらく入院して、連絡も取れず……退院した頃には、もう彼女の住まいも変わっていた。戻る場所が、なかったんです」


 言葉が、春風に溶けていく。


「それでも、ずっと後悔していました。もう一度だけ、謝りたかった。……ありがとうと、言いたかった」


 ひかりは、祖母の書きかけの最後の一文を思い出した。


『——もしあなたが今も、あのポストを覚えていてくれるなら、私はもうそれだけで、十分です』


「……きっと祖母も、同じ気持ちだったと思います」


 ベンチに再び座ったふたりの間に、やさしい沈黙が流れた。


 届かなかった手紙たち。

 けれど、今——ようやく“想い”は届いたのかもしれない。


 日が傾きはじめた空の下、ひかりはそっと、ポケットの中の鍵を握りしめた。

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